しかし俺の予想は見事に外れた。


 さほど高くもない金で夜見世の時間を買い取り、些か拍子抜けしたまま男衆に案内された二階の座敷で待っていると、暫くして廊下に衣擦れの音が聞こえてくる。


「失礼します」


 若い娘特有の澄んだ声がして、襖がすぅっと開き——


 女と、視線が交わった。


「どうした? こっちへ来な」


 カンッと小気味いい音を立てて灰入れに煙管の雁首を打ち付け灰を落とし、女を呼び寄せる。

 俺の姿を見た遊女の反応は大体いつも同じようなもので、恐れに顔を引きつらせ、その身を固くする。

 目の前のこの女はどうだろうか。試すように冷たい視線を送ってやる。

 

 女は一瞬躊躇いを見せたが——遊女としての矜持があるのだろう。

 一たび座敷へ足を踏み入れると精一杯の気品を保って、まるで扇子を折り畳むような滑らかさで膝を折り音もなく畳に腰を下ろしてみせた。


 それとほぼ同時に、胸の辺りで結ばれた帯に手を掛け、強引に引き寄せる。

 今すぐにでもその矜持をへし折ってやりたい、そんな衝動に駆られたからだ。


 紅い着物が座敷に華を咲かせ、俺はそれを見下ろして笑う。


「憐れなモンだなぁ……」


 金魚は金魚らしく腐った目をしていれば良い。

 矜持なんて抱く手がはたしてどこにあるというのか。


 組み伏して間近で見てみると、女というにはまだ成熟しきっていない穢れを知らぬ少女のようだった。

 これから起こる事をハッキリ理解して、白くて細い手首は細かく震えていた。それでいて瞳だけは凛として、真っすぐ目を逸らさなかった。

 それがまた余計に、俺の加虐心を煽る。


 先ほどの張見世で身に着けていた白群色の打掛はなく、女が纏っているのは赤い小袖のみ。

 それは女が今夜俺に飼われている身であり、被食者であるということを物語っていた。

 遊女特有の正面で結ばれた豪華な帯は、観賞用に交配を重ねられた金魚の尾びれのようにも見えた。


「此処の腐った水は美味いか?」


 その澄み切った瞳をぐちゃぐちゃに濁してやりたくて、左手を女の頬に滑らせながら侮蔑の言葉を投げかける。

 絶望を味わえばいい。そうしてびいどろの中を泳ぐ金魚みたいに虚ろな瞳で死ぬまで此処で泳ぎ続ければいい。


「……貴方も、同じようなものでしょう」


 女の口から思いがけない言葉が発せられた。

 玲瓏たる声は、酷く鋭い形を持って耳に突き刺さる。

 白魚のようにか細い指先が、俺の着物の胸元をくいと引いた。


「なんとも雅な柄ですこと。私の着物と取り換えてはいただけませんか?」


 女はそう言って、紅い口の端を吊り上げた。


「クソガキが……」

 

 カッと頭に血が昇る感覚がして、次の瞬間には女の細い首筋に短刀を突きつけていた。

 その切先から伝わる微かな震えで、女が息を呑むのが分かる。


「口の利き方に気を付けろ。死んで此処から出たくなければなぁ」


 馬乗りになって女を見下ろし、短刀を持つ手に力を込める。

 ほんの少しでも怯えた声を上げてみろ、喉切り裂いて殺してやる。本気でそう、思った。

 しかし女の反応は、これまた予想外のものだった。


「此処から掬ってくださるのでしたら喜んで」


 切先が刺さるのにも構わず、女は言葉を落とす。

 その喉元から一筋の血が垂れる様子に、胸中が酷く波立つ。


「一度でいいから、此処ではない外の世界の綺麗な水の中を泳いでみたいものです」


 女はゆるりと笑った。


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