金魚姫
日比 樹
1
日が傾き紅に染まり始めた空を横目に、煙管を燻らせる。
昼見世の時間はもう終いだな、なんてことをぼうっと考えた。
もう暫くして暮れ六ツになると縁起棚の鈴の音を合図に夜見世の始まりを知らせる振袖新造たちの清掻が聞こえてくるはずだ。
そうすると張見世にも灯りが灯され、遊廓が最も賑わう時間がくる。
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初めはただの興味本位だった。
欲望の赴くままにふらり、吉原へと足を踏み入れた。
自分の内に燻る黒い獣を、渇きを、吉原という水槽の哀れな金魚で満たすのはどうだろう。
逆らう術を何一つ持たない者を自分の意のままに甚振ってやるのも暇つぶしには良いだろう。
斬っても斬っても、腐った世界には腐った奴らが蔓延り続けている。思い通りに行かぬ苛立ちが胸の内を支配する。
捌け口としては打って付けだと、そう思った。
各々が存在を主張し合い、目がちかちかするよな景色の中、ふと目に入った淡い色。格子の奥、静かに紫煙を燻らせる女と視線がぶつかる。
——美しい。
率直な感想だった。
都都逸や三味線といった——部下曰く『見かけによらない風流な趣味を持つ』俺も、この時ばかりはそんな月並みの表現しか出てこなかった。
豪華に結い上げられた紫に光る黒髪。それを彩る簪の装飾が、女が煙管に度にゆらゆらと揺れる。
女の纏う柔らかい白みを帯びた青色打掛と小袖の緋色の対比が一際目を惹きつけ、遊女特有の大きな抜き襟からのぞく肌は雪のように白い。
俺を見つめる瞳は、まるで夕日の沈む海を映したかのように穏やかで、それでいてどことなく憂いを帯びていた。
張見世にいるので太夫でないのだろうが、ここら一帯の張見世の遊女の中では一番の器量であることはまず間違いなかった。
ならば振袖新造、或いは座敷持ちか。この金魚には一体幾らの値がつくのだろうかと単純に興味をそそられた。とは言っても、どれだけ値が張ろうと、一度狙った獲物を逃がすつもりなど微塵もなかったが。
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