第二話 マジック・プリンセス
「何か言ったか」
そのオークは流ちょうな共通語でフィトに語り掛けた。
「何度でも言うわよ。このブタ野郎」
フィトはヤケだった。勇者のパーティは敗北。「女神の加護」はその手にはない。勇者の死の知らせだけを王国に持ち帰ったなら。王位継承権上位の王女や王子たちに消される。
「聞こえなかったの? 『このブタ野郎』って言ったのよ、ブタ野郎」
フィトはそう言うとローブを着た。
そのオークは、また眉を上げた。
「おまえは完全に武装解除されている。発動できる魔法も限られていることをオレは知っている」
「わかってるわよ」
トリナとユークに刺さった漆黒の矢。下手な動きをすれば、勇者さえ射殺した魔装の餌食なのはヤケクソのフィトにもわかる。
「オレがおまえの状況なら、オレを煽ろうとは思わない」
「わたしはあんたとは違う」
今や王位継承の死地に堕とされたフィトの気持ちなど、目の前のオークの知る由もない。
「人間の王女さまってのは命知らずだな。すぐにでも転移魔法を使えばいいと思うんだが?」
いま、転移魔法を使っても、フィトは別の死地に飛び込むことになる。転送魔法陣は城の地下に固定されている。手ぶらで一人、城に帰還すれば、敵前逃亡で死罪にさえなりかねない。
「こっちにはこっちの都合があるの。いちいち指図しないでくれる?」
オークはまた顔をゆがめた。
「どうしてオレがおまえをコイツで撃たないって思うんだ?」
オークはフィトに向けたクロスボウの狙いを定めた。
「そうしたいならもうそうしてるでしょ」
オークは、怒るでもなく肩をすくめた。
「確かにな」
フィトは、おかしなことに気が付いた。このオークは自分が王女であることも、転移魔法を使えることも知っている。
「どうしてわたしのことを知っているの」
「おまえのことだけじゃない。トリナ、キオノ、ハルア、ユーク、だっけか」
オークはフィトに向かって右側に並べられた死体を持っていた弩弓で示した。
フィトは言葉を失った。
「まさか、魔王軍に情報が漏れていたなんて」
「あいにくな」
そのオークは苦笑した。
「それがおまえらの負けた理由だよ」
オークは横たわっている自分の仲間たちを見て寂しげにつぶやいた。
「戦いは終わった。とっととお仲間を連れて帰りな」
そう言われて、フィトは目の前のオークをあらためて怪しいと感じた。なぜ、このオークは自分の命を助け、城に帰そうとするのだろう。
「あんた、わたしの体に何かした?」
「してねえよ」
「城に帰ると爆発する呪いとか、悪魔が自動召喚されたりする仕掛けとか」
「オレがそんな細かいことできるように見えるか?」
オークは呆れた顔をした。確かに、疑えばキリがない。
「女神の加護」
フィトはつぶやいた。せめて「女神の加護」を持ち帰らなければ。そのものでなくても情報を。
「そうよ、『女神の加護』。『女神の加護』を知らない?」
そのオークの様子が少し変わった。なぜか、困惑しているようだった。
「あー、おまえらが狙ってたアレな。オレらの任務はおまえらにアレを渡さないことだったから、オレらの任務はめでたく完了だ」
何かを隠している、フィトは直感した。
「まさか……あんたが『女神の加護』を?」
フィトは、魔力探知を発動させた。未知の魔力を目の前のオークに感じた。フィトは慄然とした。そんな魔力、これまで感じたことはなかった。
「さてな。おまえらはそれをもってない。それで十分だろ」
オークは手で頭を掻いた。
「それがないと、わたしは帰れないのよ」
フィトは目の前のオークがおおそらく「女神の加護」をもっていることに気が付き、つい、気弱に呟いてしまった。そして、しまった、と思った。魔王軍の兵士の前で、ヤケになった挙句、弱みを見せるなんて。
オークは、そんなフィトを見て、フィトには理解できないことをした。クロスボウを下に降ろしたのだ。
「まあ、『女神の加護』のことは心配することねえよ」
そう言うと、オークは床に座り、クロスボウを横に置いた。
「おれはもう、戦いにはこりごりなんだよ。魔王軍は抜ける。そうだな、森で木でも切って暮らすわ」
フィトは、オークが「森で木でも切って暮らす」と言ったことに思わず吹き出してしまった。それまでの緊張の糸がついに切れてしまったのだ。
「やけに平和ね」
「平和でいいだろ」
もしこのオークが「女神の加護」をもっているのなら、手ぶらで帰らなくても済むかもしれない。
「あんた、名前は?」
オークは少し考えるようなそぶりをしていたが、やがて言った。
「そうだな、おれだけおまえの名前を知っているのは、そうだな。無礼だよな」
「今更無礼?」
フィトはまた噴き出した。仲間の仇なのに、調子を狂わされる。
「おれはコブタだ」
「そう。コブタね」
フィトは少し思案して言った。
「わたしと一緒に城へ来ない?」
このブタ野郎、とそのプリンセスは言った。 rinaken @rinaken
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