このブタ野郎、とそのプリンセスは言った。

rinaken

第一話 ダンジョン最深部

 まだ幼さを残した女の目が、ダンジョン最深部の薄青く光る天井を見上げていた。


 そこは女神のダンジョン、最深部。そこに辿り着いた者には「女神の加護」が与えられるという。


 勇者のパーティの唯一の生き残り、ジオ王国第四王女にして凄腕の魔法使いでもあるフィトは、ダンジョンのうっすらと暖かい床の上で目を覚ましたのだった。







 千年の長きにわたる魔王軍との戦いに終止符を打つべく、連合王国軍は勇者を中心とした最強のパーティを女神のダンジョンに送り込んだ。


 勇者たちのパーティは死の罠や恐ろしいガーディアンたちを潜り抜け、首尾よく最深部に到達した。


 しかし、魔王軍の放った刺客部隊にバックアタックを受け、勇者のパーティは敗北したのだった。







 この千年のあいだ、攻略した者はないと伝えられる女神のダンジョン。フィトはしばらく時を忘れてダンジョンの天井を見上げていた。


 淡く、青く光る天井。


 フィトの最後の記憶は、自分の必殺の魔法が敵に無効化されたという事実。戦場の魔法使いとして彼女が戦線に立つようになってから、そんなことは初めてだった。もしあったとすれば、そく死につながったはずだった。


 しかし、フィトは生きていた。


 フィトは上体を起こした。はらり、と彼女の体にかけられていたローブが落ちた。


 そのローブは確かにフィトの着ていたものだった。つまり彼女は全裸だった。


 だが、フィトはそんなことを気にしてはいられなかった。そんなことより急いで確かめなければならないことがあった。仲間の安否だ。


 そして、フィトはすぐに想像していた通りの事実を見つけた。


 フィトが上体を起こしたのは、整然と並べられた物言わぬ身体の列の中だったのだ。


 フィトの右側には、パーティのプリーストが横たわっていた。名をトリナと言った。整った彼女の顔はどこか平穏にさえ見えた。戦場のプリーストになる前は、辺境の修道院で過酷な修行に明け暮れていたという。最強のパーティにふさわしい高度な回復術の使い手ながら、格闘にも優れ、「絶対防壁」と呼ばれていたハイプリースト・トリナ。


 しかし、トリナは勇者のパーティにとって最後の戦いが始まった直後に死んでいた。振り向きざまに額を撃ち抜かれたのだ。撃ち抜いたのは羽もシャフトも漆黒の、極太の矢。


 フィトは鮮明に思い出すことができた。それまでパーティの危機を幾度となく救ってきたトリナの突然の死。そしてフィトが初めて感じた敗北の予感。


 トリナの隣には、ダンジョンのあらゆる致命的な罠を突破した熟練のシーフ・キオノが横たわっていた。女神のダンジョンの難攻不落なデストラップも、彼にかかれば、ただの時間稼ぎに過ぎなかった。戦いでも持ち前の俊敏さで、並みの戦士だとかすり傷もつけられない。そんな彼だが今や傷だらけで横たわっていた。もう軽口を叩くこともない。


 キオノの隣にはオーガさえねじ伏せる屈強の戦士が永遠の眠りについていた。戦士ハルアは暴力事件さえ起こさなければ、とうの昔に近衛騎士団長になっていたかもしれなかった。だが、そんな彼ももう暴力とは無縁の彼岸に行ってしまった。


 そして、フィトはおそるおそる右隣を見た。


 「不敗神話」。そう呼ばれた無敵の勇者ユーク。ジオ王国最強の魔法騎士。聖剣二振りに選ばれた勇者。圧倒的戦力。


 だが、今やユークも無力だった。それは、トリナと同様、胸から生えた漆黒の矢が雄弁に物語っていた。


 そのユークの隣には姫騎士トゥア。聖剣一振りに選ばれた騎士にしてジオ王国第三王女。フィトの姉だ。きれいな顔をしたまま、横たえられていた。他の仲間たちとは違って、彼女の上には下着が被せられていた。つまりフィトと同じように。


 フィトは、姉に駆け寄る気はなかった。すべて、終わったと感じていた。


 フィトは、まだ悪夢の中にいるのではないか、いや、夢であってほしいと切望した。


 そして、パーティ最期のときを思い出した。






 あれはこのダンジョン深奥部に来てしばらく経った頃。パーティがこの階層を一通り探索して、何も発見できなかったことをリーダーのユークが確認したときだった。


 そして、トリナがこう言った直後だった。


「ユーク、残念ながら、わたしたちの仕事はまだ終わりそうにありません」


 そのときパーティの背後から物音がした。


 異様な気配。


 百戦錬磨の勇者のパーティの誰もが、それまで感じたことのない、奇妙な静かさ。


 直後、振り返ったトリナが漆黒の矢に穿たれた。それを見たフィトは「超神速」の魔法を反射的に放ったはずだった。不意打ちへの対応プロトコル。パーティ全員の素早さが十倍に跳ね上がる。


 しかし、その魔法は発動しなかった。


 あまりの事態に思わず二度、三度と発動する。しかし、何も起こらなかった。


 フィトは魔力の急激な使用による反動で意識を失うなか、視界の端に魔王の紋章の入ったローブをとらえた。魔王軍ではなく、魔王家の紋章。資料で見たことはあったが、戦場で見るのは初めてだった。


 フィトが思い出したのはそこまでだった。


 あとは仲間たちの死という現実。


 そして、自分が生き残ったという奇妙な事実。


 フィトは今度は立ち上がり、より広範囲を見渡した。


 すると、自分たちのいるところから数メートル離れたところに、別の人影が横たえられているのが見えた。数体あるようだった。


 フィトはローブを取り上げ、そこに向かった。ダンジョンはうすらあたたかく、ローブを着ることよりも事態の把握が優先された。






 ほんの数歩で、フィトは安堵した。その数体の人影は、みな漆黒の鎧で武装していた。フィトたちを襲った連中であることはすぐにわかった。


 その魔王軍の兵士たちのフルヘルメットは脱がされ、脇に並べられていた。そして、目を閉じられた彼らの顔は、いわゆるヒトのものではなかった。緑色の肌に、豚のような鼻。つまりはオークだ。


 横たえられていた人影は、みな、死んだオークだった。


 ヒトもオークも、死んだ者は、みな、等しく横たえられていたのだった。


 安堵したフィトは自分の体がようやく温かみを取り戻しつつあるのを感じた。


 しかし、すぐにそれが錯覚だとフィトは直感した。


 いったい、誰が死体を並べたのか。


 誰が自分を全裸にしたのか。


 フィトの背中に冷たいものが流れた。


 そのとき、ダンジョンの薄青い魔法の照明の中に、漆黒の人影が浮かび出た。いや、前からそこにいたのだろう。


 漆黒の胸当てを装備したその人影。その魔王軍の兵士は、もう漆黒のフルヘルメットはかぶっていなかった。


 兵士にしては、背の低い方だった。小柄な人間のような姿。だが、その頭部は人間のそれではない。緑色の肌に豚の鼻。オークだ。


 そのオークの手には、その小柄な体にはふさわしくないほどの大きな輝くクロスボウがあり、それには漆黒の矢がすでに装填されていた。


 「絶対防壁」を打ち破り「不敗神話」を射殺したのは、このオークであることは一目瞭然だった。


 フィトは魔法を唱えようとした。瞬殺のマジックアロー。しかし。


「この距離ならおれが引き金を引く方が早い」


 そのオークは、怒鳴るでもなく、脅すでもなく、静かにそう言った。


 フィトは驚き、集中力を乱した。オークが彼女を殺そうとしないことにではなく、流ちょうな連合王国共通語をしゃべったことに。


「……どうして、しゃべれるの?」

「そりゃあ、習ったからな……つか、服くらい着ろよ。見ているこっちが寒くなってくるぜ」


 そう言うと、そのオークはつかつかとフィトに近づくと、落ちていたフィトのローブを拾った。


 フィトは後ずさった。


 そのオークは少し顔をゆがめた。いや、眉に該当する顔の筋肉を上に持ち上げただけだった。


 それから、フィトのローブを彼女に放って寄越した。


 ローブは宙を舞うと、フィトの頭に覆いかぶさった。


 フィトの耳に、そのオークの野太い声が聞こえた。


「戦いは終わった。失せろ、人間」


 フィトは目の前のモンスターに聞こえないように小声で呟いた。


「このブタ野郎」

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