オオタ秘密俱楽部
麻々子
第1話
オオタ秘密倶楽部
つまんない。
何が?
何もかも。
学校からの帰り道、つまんない気持ちを抱え私は一人歩いていた。立ち止まり道ばたの雑草を足でけりとばした。草はしなりとかしいで、何もなかったように元に戻った。
ふと気が付くと帰り道の曲がり角を曲がり損ねていた。
「あれ、こんな所に道がある」
私は下草が途切れたところに細い道を見つけた。道は獣道のようで小枝が垂れ下がったりしていて人が通る道には見えない。
のぞき込んでいると、道に何か落ちていた。黒いプラスチックの固まりにバンドがついている。腕時計かもしれない。
「あとで交番に届けよう」
私は腕時計風な物をポケットに入れた。
その時、拾った腕時計がピロローンとなった。おどろいてポケットから出してみると文字が浮かんでいた。
『腕につけてください』
光の文字がくり返し流れる。落とし主が連絡を待ってるのかもしれないと思い、私は腕につけてみた。腕につけると、青や赤の光の線が浮かんでは消えた。
「連絡先じゃないんだ。へんなの」
私はつぶやいた。
道は上り坂になっていたが、もう少し進めそうだった。道の先は明るくなっている。
「もう少し行ってみるか」
私はゆるくカーブしている道をクマザサを手で払いながら進んだ。少し行くとパッと目の前があかるくなった。右側の木々が途切れ、広場とコンクリートの建物が見えた。鉄の頑丈そうなフェンスがある。フェンスの中の広場は芝生が植えられていた。その奥にコンクリートの箱のような建物が建っていた。
こんな所にこんな建物があるなんて知らなかった。散歩道からは、きっと見えないような作りになっているんだろう。
「広いなぁ、何の建物だろう」
フェンスにそって歩いて行くと少し錆の浮いた鉄柵の大きなゲートがあった。門柱には[オオタ 研究所]と書かれていた。
門の中を気にしながらのぞいていると、また腕の腕時計がなった。文字が浮かんでいる。
『何がお望みですか?』
「望み?」
『マイクがオンになっていません。マイクをオンにしてください』
文字が出た。
「マイク?」
私はもう一度腕時計の画面を見た。右端に小さなマイクのマークがある。マイクのマークには斜めの線が引かれていた。
「これをオンにすればいいのね」
私はマイクのマークにタッチした。マイクについていた斜めの線が消えた。
「何がお望みですか?」
腕時計が声を出した。
「叶えてくれるっていうの?」
「まぁ、そういうことです」
「じぁ、さぁ、つまんない気分を変えてよ」
「そういう事ですか。いいでしょう」
「本当?」
「あなたは、ネコ派ですね?」
腕時計が私の質問には答えず、かぶせて聞いてきた。
「どちらかというと、そうだと思う」
「ええ、今さらそんなあいまいなことをいうんですか?」
「今さらって……」
「まぁいいでしょう。データーはそうなっているから、問題はないでしょう」
「はぁ?」
私は腕時計が何を言ってるのかわからなかった。
「では、どこか行ってみたいところはありますか?」
そうか、そういうことでつまんないを解消してくれるのか。
「うーん、突然行きたい場所といわれても……」
私はつぶやいた。
「理解できません。もう一度いってください」
腕時計がしゃべる。
「じゃ、海」
私はぶっきらぼうに、頭に浮かんだままを言ってみた。
「ジャウミ? 理解できません」
「ジャウミなんて言ってないわよ。海、って言ったの」
私は、やっぱりコイツはバカなんだと思った。機械に人の言葉を理解させるなんて無理だよなぁ。
「いいえ、私は完璧です」
「あら、思ってることもわかるの?」
「はい。私は完璧です」
「すごい!」
私は、すこしほめてやった。
「それほどでも、ハハハハ」
腕時計が笑っている。機械にしては調子のいいヤツだ。
「海ですね。了解」
「なんだ、ちゃんと海だって理解できてたんじゃない」
「ハハハ、ちょっと遊んでみただけです。では、オオタ研究所に入ってください」
腕時計が目の前の建物の名前を言った。
「どうしたらここへ入れるの?」
私はつま先立ちになりフェンスをのぞきこんだ。
ちょうど白衣を着た背の高い女の人がこちらに向かってくる。ショートカットにした顔は小さく、背がより高かく見えた。
「すいません……」
私は声をかけた。
「はい?」
「ここに入れてください」
女の人は長い首をかしげて、私を見つめた。数秒見つめていたが思い切ったように「あなたまさか、オオタ倶楽部会員というわけじゃないでしょう?」ときいた。
「え?」
「あら、でも、そのBW……」
少し頭をかしげた女の人は、私の腕を見てつぶやいた。
そして、二三度まばたきをして「どうぞ、入って」と重そうなゲートを押し開いて私を招き入れた。
「こっちよ」
女の人の後ろに私は続いた。
オオタ研究所の建物の中は薄暗く、ヒンヤリと冷たい空気が流れていた。
「はい。ここに座って、ケイミャクだけ診させてね」
小さい部屋に入って女の人は言った。
「ケイミャク?」
「そう、東洋医学よ。経脈。あなたの身体のすべてがわかるの。神秘よね」
女の人は、私の手首を取った。
「はい。OKよ。正常」
数秒後、女の人がニコッと笑って言った。
「こちらへどうぞ」
女の人は反対側のドアを開けた。
私は、不思議な気持ちで女の人に従った。長い廊下が続いていて、突き当たりにはエレベーターがあった。
「はい。乗って。何かあればそのBWに相談してね」
女の人は謎の言葉を残し、さっさと廊下を歩いて行ってしまった。
「あなたがBW?」
あの女の人が言っていたBWというのはこの腕時計のことだと思って、私は腕時計に聞いてみた。
「そうだよ」
エレベーターのボタンは地下を表すB1からB5まであった。
私は一番下のボタン、B5を押した。
下へおりていく。止まる事がないのかと思えるほどぐんぐん下りていく。
ガクンとベーターが止まりドアが開くと地下通路になっていた。
歩いていくと、ゴーという電車が走るような音がしてきた。右に曲がり歩いて行くと改札口があった。何人かの人が改札口に入っていく。人がいるんだと少し意外な気がした。
「ワタシを改札口にかざすと入れるよ」
BWが言う。
私は恐るおそるBWを改札機に近づけた。ピピと音がした。ドアがサッと開き、そのまま私はホームに入っていった。
ホームに立って電車を待つ。電車を待っている人が何人かいたが、誰もしゃべろうとはしない。私は、これはやっぱり夢かもと思った。
「夢じゃないよ」
BWがまたしゃべり始めた。
電車の中はだれもいなかった。私は一人で電車に乗っていた。いくつかの駅で電車は止まりドアは開閉したが誰も乗ってこなかった。
「次は終点、海、海です」
アナウンスが流れた。
「ここでおりるんだよ」
BWが言う。
電車が止まって、私は電車を下りた。階段を上って改札口を出て「海」とかいてある出口の階段を上る。出ると、その道は砂浜に続いていた。ヤシの木に白い砂。遠くの岬にはホテルらしい白い建物も建っていた。誰もが考えるザ・ビーチという感じ。
さらさらの白い砂をギュギュと踏みしめて波打ち際に向かって歩いた。おだやかな波が寄せては返している。
温かい砂の上にひざを抱えて座り込み、波を見つめていた。
でも、なんかつまんない。何がつまんないんだろう。
「あ、そうだ。生き物がいないからだ」
私はつぶやいた。
「生き物ですか?」
BWがたずねる。
「そう。何もいない海なんて本当の海じゃない」
BWの画面がすねたようにみだれた。赤い線と青い線が混乱している。
「生き物は、何が必要ですか?」
「そうねぇ。シオマネキなんていたらおもしろいかも」
「シオマネキですか?」
「うん。シオマネキ」
「はい。そこにいますよ」
BWが、自分の理解範囲だというようにうれしそうな声を出した。
足元を見ると小さなカニがいた。黒い体には似合わないような、赤い大きな爪を振り上げている。
「シオマネキです」
BWが得意げに言う。
「やるわね」
ちょっとBWほめてみた。
「いやぁ、それほどでも」
画面には、丸いかおと頭をかいているマークが出ていた。機械もほめるとうれしいのかもしれない。
私の前にいるシオマネキはつま先立ちするように私を見上げていた。飛び出したシオマネキの目と私の目がガチッと合った。そして、大きなはさみを振りかざし、シオマネキはこっちにおいでと私をさそいだした。
「ついていけばいいのね」
私は立ち上がり後を追った。シオマネキは小さな砂の穴の前で止まった。そして、私の顔をちらっと見て、来れるかなという目をして穴の中へかくれてしまった。
「ええ? 私はこの穴には入れないわ」
そうつぶやくと、足下の砂が崩れだした。まるで蟻地獄にありが吸い込まれていくような感じだ。どんどん穴が大きくなっていく。
「わあ!」
砂の上を体がすべった。
「いやだ。いやだ!」
私はずるずると穴にすいこまれていった。砂といっしょにどんどん落ちていく。
ドシン!
「痛い!」
おしりを打ったのは、洞窟の中の岩の上だった。頭の上にぱらぱらと砂が落ちてくる。
「ここは、どこ?」
私は頭の上の砂を振り払いながら、辺りを見回した。どこからか光が入ってくるのか薄明るかった。
「何なのここは?」
「洞窟です」
BWがいった。
「いやだ。どうして、私が洞窟に落ちなきゃいけないの?」
「シオマネキは穴に入る。穴は洞窟、ってことじゃないですかね。いわゆる連想ゲームですかね。シオマネキの行動ですから、私は何とも言えませんね」
「あなた、役にたたないわね」
「聞き取れません。もう一度言ってください」
「もう、都合が悪くなると、聞き取れなくなるのよね」
私はほっぺをふくらませた。
「じゃ、どうしたらここから出られるのか教えて」
「ええっと、まっすぐ歩いて、手を上にあげると出られるようです」
「本当?」
「はい、私は完璧です」
それが信用できないのよねと思いながら「まっすぐって、こっちの方向でいいの?」と、聞いた。
「はい、もう少し歩いて」
私は落ちた洞窟の横穴の中を、腰をかがめながら歩いた。
「はい、ここで止まって、両腕を上げて」
BWが命令する。
私は半信半疑で狭い横穴で両手を挙げた。天井の岩に触った。力を入れると天井が動くような気がした。
「天井が動くわ。押し上げればいいのね」
「ビンゴ!」
「もう、もっと楽に出してよね」
私はうんと腕に力を入れた。動く。マンホールのふたのようにググッと天井の一部分が持ち上がった。一気に力を入れる。
パカッ!
開いた。
私は開いた穴から首を出した。と同時に首を引っ込めた。私の目の前を自動車がブンブンスピードを上げて走っていたのだ。
ピピピー
笛が鳴る。
「だれだ。そんなところから出てくるやつは。あぶないだろう」
私は、天井のふたのすきまから頭と目をだして外をうかがった。お巡りさんの格好をした人が警棒をグリグリ回しながら私に近づいてくる。りっぱな口ひげを生やしている。まるで積み木の人形のようだ。
「出なさい」
お巡りさんが走ってきて、交通整理をしだした。自動車がなくなると、私が持ち上げている天井のふたを引っ張り上げ、地下から出てくるようにうながした。
「何してるの?」
お巡りさんが恐い顔をして聞いた。それでも私の手を持って、引っ張り上げようとしてくれている。
「何って……」
私は穴から這い出て、道路の真ん中に座り込んだ。
「ほら、危ない。こっちに来なさい」
お巡りさんは私の腕を引っ張って、歩道の方に連れて行った。
「どうしたの? あんな車道の真ん中のマンホールから出てくるなんて」
「あの、シオマネキが……」
「何だって、シオマネキの言うことなんか聞いたの? そんなもんの言うことなんか聞くんじゃないよ。わかったね。本当にシオマネキはロクなことを教えないやつだ」
私は、何を怒られてるのかよくわからなかったけれど、一応うんとうなずいた。
「わかったら、よろしい。はい、行った行った。自動車に気をつけてね」
「はい。シオマネキでした。次は何をお望みですか?」
「おなかがすいた」
私はふくれっ面をしてつぶやいた。
「それでは、後ろの喫茶店にお入りください」
私はふりかえった。そこには、木のドアがあり喫茶店と書いた木の看板がぶら下がっていた。おそるおそる木のドアをあけた。
カランカランというベルの音といっしょに「いらっしゃい」という声が聞こえた。アフロヘアーのおばさんがにっこり笑ってカウンターから立ち上がった。
「この店の人ですか?」
「そうよ。この店のオーナーよ。おなかがすいたのね」
オーナーが私のBWを見て言った。
「うん」と私はうなずいた。
「何が食べたい?」
私がだまっていると、オーナーはまた私のBWを見ていった。
「大っきなパンケーキね。バター&メープルシロップ。生クリーム乗せ」
また私の心が読まれてると思った。たしかに、今大きなパンケーキが食べたいと思ったんだ。
「分かった。どこでもいいから、座って待ってて」
オーナーは、大きな頭をふりながら奥の厨房へ入っていった。
待っていた私の目の前に、テーブルいっぱいのお皿がバンッと置かれた。高さ五センチ直径五〇センチはあるパンケーキが二枚。バター、メープルシロップ、生クリーム添え。夢に描いたパンケーキだった。
私が驚いてオーナーの顔を見ると「召し上がれ」と二ッと笑った。
「私、お金を持っていない」
「あら、平気よ。それで払えるわ」
おばさんは私のBWを指さした。
あ、そうか。電車賃もこれで払ったんだ。そう思うと、俄然食べる気になった。これぐらいのパンケーキなんか食べつくしてやる。
私は立ち上がって、ホークとナイフを振り回した。バターをぬりメープルシロップをかけ、生クリームをのせる。食べる。食べる。どんどん食べる。おいしい!
「完食!」
BWが私の思ったことを音にした。と同時に赤い文字が浮かび上がった。
『充電してください』
「え、充電? 充電ってどういうことよ。ちゃんと最後まで説明してよ」
BWに聞いても、何も答えてくれない。
『充電してください』
もう一度赤文字が浮かび上がった。
「こんなところで、バッテリー切れになるの。どうなってるのよ、もう。すいません。このBW、充電したいんですがどうすればいいかご存じですか?」
「充電? そんな言葉聞いたこともないわね」
「これでパンケーキ代が払えるんですよね。バッテリー切れみたいで、充電しないとお支払いできません」
私は腕を突き出した。
「バッテリー切れ? まさか無銭飲食?」
目を真ん丸にしてオーナーはさけんだ。
「だから、充電すればだだいじょうぶだと思うんです」
「だから、充電って、な、あ、に?」
オーナーはこてんと首を曲げ、バッテリーが切れそうな顔をして私に聞いた。
それにしても、なんでこのBWは、こんな時にバッテリー切れになるんだよう。私にアドバイスをくれる役目なのを忘れてるんじゃないの。
役立たずのBWに腹を立てていても仕方がない、なんとかしなきゃ。
このオーナーは無銭飲食と言う行為は知っていそうだから、このまま逃げればきっと追いかけてくるに違いない。悪くするとさっきの積み木のお巡りさんの所へ連れていかれるかもしれない。
私はとっさに「充電器、充電器を貸してください!」と大声で叫んだ。だれか、充電器と言う言葉を知っている人が聞きつけてもってきてくれるかもしれない。
「充電器、充電器を貸してください!」
もう一度叫ぶ。
すると、店の奥から「充電器、充電器」とつぶやきながら人間と同じぐらいの大きさのネコが出てきた。灰色しましまネコである。それも二本足で歩いている。
私はおどろいて壁にへばり付いた。
「あら、ジュウデンキネコだわ」
オーナーが言った。
ええ、充電器ネコ。さっきは「充電ってなあに」って知らないような顔をしてたくせに。ジュウデンキネコは知ってるわけ?
もう、わけわかんない!
「充電器、充電器」
灰色しましまネコは、つぶやきながら私の前を通りすぎた。ドアに手をかけ、店を出ていこうとしている。
「まって、充電器を知ってるの?」
私はここで取り逃がしてはいけないと、灰色しましまネコを追いかけた。
「無銭飲食は、ダメ。後でちゃんと払ってもらうからね。でなきゃ、刑務所行よ」
オーナーの声が私を追いかけて来たが、「後で、ちゃんと払います」と叫びながらネコを追った。
私は充電のことだけを考えていた。
からだの割には足がおそい。もう少しで、手が届く。このネコを捕まえなきゃと、私は手を伸ばした。
と、同時にキキーッとネコが走るのを止めた。
「どこに行きたかったっけ?」
「充電……」
「そうか、じゃ、病院だね」
「え? どうして」
「病院へ行けば、充電できるんだ」
「そうなの?」
私は半信半疑で聞いた。
「行けばわかるよ。ついておいで」
そう言うとネコはまた、走り出した。
右に曲がった所に門があった。「オオタ病院」と書いてあった。
ふと、私は忘れていたものを思い出したような気になった。元の世界だ。
だまって門柱をながめている私に「早く入って」とネコが、鉄の重そうな門扉を開けながら言った。
白い大きな建物の自動ドアが開き、ネコが私の手を引っ張った。私は吸い込まれるように入って行った。
長い廊下を歩いていくと、奥のドアが開き、白衣を着た女の人が顔を出した。
私は「アッ!」と思った。オオタ研究所から出てきたあの背の高い女の人だった。
診察室に入ると女の人が、私を初めて見るような顔をして「どうしました?」と聞いた。
「つまんない病をなおしてほしいらしいですよ」
ネコが、私が「病気じゃありません」というより早くより先に言った。
私は、この世界に入った理由を思い出した。そうだ、つまんないを解消してくれるというからドアを開けたんだった。
でもどうしてこのネコが、そんなこと知っているんだろう?
「そうですか。簡単なことね。手術をすればいいだけのことだわ」
「え、手術?」
私はさけんで、口を両手でおおった。
「そうですよ。簡単な手術よ」
「どこを手術するのですか?」
「心よ」
「心って、どこにあるのですか?」
「心って、心臓に決まってるじゃない」
「心って、心臓なんですか?」
私は混乱してきた。
「どんな手術なんですか?」
ぼんやりしている私に変わって、灰色しましまネコが、質問する。
「心臓をプラスチックでコーティングするだけよ」
「ああ、それなら簡単だ」
ネコが言う。
「そう、完璧に心が強くなるわよ。心が強くなるとつまんないという感情もわきにくくなると専門書にかかれているの」
女医さんがこぶしをにぎりしめた。
「いやだ。そんなの」
私はイスをけって立ち上がった。
「どうして、簡単よ」
「心臓にプラスチックなんか入れたら、心臓が止まっちゃうじゃない」
「入れるわけじゃないわ。コーティングするだけよ。だいじょうぶ。あなたの望みをかなえてあげる」
「いらない。そんなこと誰も望んでないわ」
女医さんは、サッと私の手首をつかんだ。
「経脈が、弱いわ。これは、心をコーティングしないといけないわ」
私はむずかしい顔をした女医さんの手を振り払った。
女医さんの目は、ずっと私の胸を見続けていた。その目の中に興味津々とゆうような炎が燃えていた。
「はい、コーティング手術」
女医さんが命令口調でさけんだ。と同時に壁に近づいた。壁にはこぶし大の丸くて赤いボタンと三角の青いボタンが二つあった。
女医さんは赤いボタンをポンと押した。
部屋の中が動いていく。床から手術台がせり上がってきた。血圧や心拍数を計る機械が現れ、診察室が手術室に変わっていく。まるで切り取られた絵を何枚も続けて見ているようだった。
呆気に取られている私の後ろに、屈強の男の看護師が現れ、私を手術台の上に寝かせた。
「まって、まって」
私はさけんだ。
「ああ嫌だ。何なのこのシュチュエーションは。訳わかんない。私の命をこんなネコが決定するわけ? 訳わかんない!」
私は、思いっきりさけんだ。
「決定!」と灰色しましまネコが一秒差でさけんだ。
「手術決行が決定しました! はい、ライトをつけて。手術器用意」
女医さんもさけぶ。
「まって、まって」
私は大声でさけびながら、からだを動かし手術台から逃れようとした。しかし、拘束ベルトでしっかり固定された体は少しも動かなかった。
バンという大きな音とともに、強烈なライトが目の前で光り、目がくらんだ。もう何もできない。だれか、だれか助けて……。私の意識は薄れていった。
気が付いたのは、白いベッドの上だった。灰色しましまネコが、私を上からのぞき込んでいる。
「だいじょうぶですか? 手術は成功です」
ネコは、心配そうに聞いた。
「なんてことをしてくれたのよ。ああ、やっぱり心臓をコーティングされちゃったんだ」
「はい。よかったですね。これで、あなたは強い心の持ち主で、つまんないという感情はなくなりました」
ネコは満面の笑みで答えた。
「ほんとかなぁ。起きてもいいのかな?」
私は脱力感を感じながらネコにきいた。
その時、女医さんが部屋に入ってきた。
「はい、もう退院してもいいわよ」
こぼれるような笑顔で答えた。
私はゆっくり起き上がって、大きく息をはいた。そして、ベッドの上に座って考えた。
だいたい心ってどこにあるというんだろう。心って感じる所じゃないの。好きだとか嫌いだとか、悲しいとか嬉しいとか、つまんないとか……。そんな感情を作り出すのは心臓なのかしら。本当は脳の中にあるんじゃないのかしら。それを、心を強くするということで心臓をプラスチックコーティングするなんておかしいんじゃないの。だいたいプラスチックってどうなの。今の科学だったら、もっと人体にやさしくって強くって柔軟な素材があるはずでしょうに。
私がそこまで考えたとき、女医さんの目が動いた。私の頭を見ている。
「脳をコーティングするっていう方法もあるわよ」
素晴らしい考えだというように、目がキラキラ輝きだした。
「ハイ、コーティング手術」
大声で叫んで、壁に近づく。
ダメだ。赤いボタンを押させてはいけない。
私は、素早くベッドからおりて、女医さんを突き飛ばした。
これからどうすればいい。そうだ、青い三角の下向きのボタンを押してみよう。赤がダメなら、青に決まってる。
私は青いボタンをたたくように何回もおした。
青いボタンは正解だったようだ。部屋がエレベータのようにヒューンと上っていく。それは、すごいスピードだった。誰も立ってはいられなかった。ネコも女医さんも気圧の変化に耐えられないかのように、耳をおさえてしゃがみこんでいる。私も壁際に座り込んだ。
ガクンと部屋の動きが止まって、部屋のドアがサッと開いた。
「こっちですよ」
しゃがみこんでいた灰色しましまネコが頭を振って立ち上がり、私の手を取った。女医さんは意識を失って倒れていた。
「え、今度はどこへ連れて行く気なの」
「ぼくに任せて」
「早く行かないと、またあの女医さんが目を覚まし追いかけて来ますよ」
ああ、どうしたらいいんだろう? このネコを信じるか、あの女医さんを信じるか? やっぱり、あの女医さんは嫌だ。私は、もう一度このネコを信じようと思った。
部屋を出る。
外は暗いトンネルだった。トンネルの中を走りながら、私はネコに聞いた。
「あなたは、女医さんの仲間じゃないの?」
「ちがいますよ」
「でも、嫌だっていう私に手術をさせたのは、あなたよ」
「仲間とかそういう問題じゃないんです。心臓までは私の仕事ですが、脳までは聞いていない」
「ええっ、仕事? 何言ってんのよ。いいかげんにしてよ。これって、何なのよ?」
「君の思いです」
「私の思い?」
「くわしい話をしている時間はありません」
闇の中からゴーという地下鉄の走る音が聞こえてきた。
「あれに乗らなきゃいけないんです」
ネコがスピードを上げた。
「元の世界に戻れるの?」
「ええ。今、命令がきました」
灰色しましまネコが短く答えた。
改札口が見えてきた。確かにここの世界に迷い込んだ時におりた駅だった。改札口が明るい出口に見える。もう、なんでもいい。あの改札口に飛び込んでやる。
そう決心して、ふと私は思い出した。
BWの充電ができていない。乗車賃がない。「まって、BWのバッテリーがないの。乗車賃がない。電車に乗れない」
改札口で私がさけんだ。駅員さんは乗車賃がない人は乗せませんというように冷たく私を見ている。無賃乗車の人は刑務所行ですというように。
「あ、そうだった。あの病院で充電するはずだったんだ」
ネコが困ったように顔をしかめて言った
「だから、充電充電って私、言ってたよね。それを無視したのはだれよ」
「仕方ありません。ほら、私の肉球にBWを置いてください」
「それで、充電できるの?」
「つべこべ言ってないで、置いて!」
「は、はい」
私はネコの肉球の上にBWを置いた。ネコはじっと目をつむっている。トンネルの中の地下鉄の音がだんだん大きくなってくる。
「逃がさないわよ」
突然、女医さんの声がした。
「追いかけてきた。早く逃げなくちゃ」
私は、灰色しましまネコの腕をバンバンたたいた。しかし、ネコは目を半開きにしてピクリとも動かない。
「あ、あそこにいたわ。捕まえて。脳の手術を試してみたいの」
走りながら女医さんが、看護師さんたちに命令しているのが見えた。
「ねぇ、ねぇ。目を覚ましてよ」
私は、灰色しましまネコをゆすった。
「ふぁー、ああ、よく寝た」
灰色しましまネコが大あくびをした。
「寝てる場合? 私、追いかけられてるんですけど!」
私はにらみつけた。
「あ、充電が終わりました。どうぞ、改札を通ってください」
ねぼけた顔で灰色しましまネコが言った。
「だいじょうぶなのね」
「どうぞ」
BWをたたきつけるように改札機にあて、私はあわてて改札を通った。
「待ちなさい」
女医さんは改札口まで来てさけんだ。手をグインとのばす。その手が私の肩に触れた。
「乗車賃の無い方はここから入れません」
駅員さんが、改札口を入ろうとした女医さんの腕をしっかりつかんでいた。
「放しなさいよ。あなたに私を止める権限はないでしょ」
「乗車賃。乗車賃」
機械のように駅員さんはくり返している。
となりでは灰色しましまネコが、バイバイと私に手を振っていた。
[オオタ研究所]
地下鉄が駅のホームに着いた。
ドアが開き、私は車両からおりた。
「あなた!」
「ひえぇー」
私は声がした方をふり返り悲鳴を上げた。そこには、髪を振り乱した女医さんがいた。
「あなた、それ、あなたのBWじゃないわね」
「ひ、拾ったんです」
私は急いでBWを外し、女医さんに投げるように渡した。
「手術は嫌です」
「手術?」
「手術は嫌です」
私はもう一度言った。
「しませんよ、そんなもの」
眉をひそめて女医さんは言った。
「ほんとう?」
「ええ、しないわ」
研究所の事務室で女の人が話してくれた。女の人は内村さんという名前で、この研究所の研究者の一人だった。
「私もうかつだったわ。あなたみたいな子供の会員がいるって、聞いたことがないもの。オオタ秘密倶楽部は大人の会員ばかりですもの」
「私、その何とかっていう倶楽部なんか知りません。そのBWは拾ったんです」
「そうでしょうね」
内村さんは少し考えて続けた。
「ここはもう一つの世界を作る倶楽部なの。BWに心を読ませてもう一つの世界を作る。そんなことができれば、ステキでしょう? そういうことが可能かどうか実験しているっていうのがこの倶楽部なわけ。子供はまだ自分がしっかり確立していないからこの実験には参加させていないのよ。でも、あなたを見たとき、次の実験のフェーズに入ったのかなと勘違いして、実験参加をゆるしてしまったの。今は子供も大きなストレスを感じていると問題になっているでしょう? ごめんなさいね」
「私の心を読んだ世界?」
「そうよ。何だかあせっていたようにみえたけど、体、大丈夫よね?」
内村さんは心配そうに聞いた。
「心臓をコーティングされました」
「まぁ、心臓をコーティングされたの。心配はいらないと思うけど、一応経脈を診ておきましょうね」
内村さんは静かに私の手首に手を添えた。
「うん、大丈夫。じゃ、これは、元の持ち主に返すわね。あなたのデーターはすべて消してしまうわね」
内村さんはBWを机に置いた。
「まって、私、海の見える喫茶店で、無銭飲食をしちゃったの。データーを消しちゃったら、お金が払えないわ」
「だいじょうぶ、ちゃんと清算してから消すようにするわ」
「データーを消しても、また、ここへ来られますか?」
私は、データーが消えてしまったらここで起こったことはみんな夢に終わってしまうんじゃないかとちょっと寂しくなっていた。
「もちろん、いつでも遊びにいらっしゃい。でも、私もここでは仕事をしているんだから、そうそうあなたの相手はできないわよ」
「それでもいいです」
「今に子どもを対象とした実験もはじまるかもしれないものね。その時にはまたあなたに手伝ってもらうかもしれないしね」
内村さんはにっこり笑った。
「あ、もう一度、そのBWと話してもいいですか?」
私は、内村さんの手にあるBWを見た。
「いいわよ。どうぞ」
内村さんがBWを私に渡してくれた。
私は腕にのせて、顔を近づけ「ありがとう」といった。
「いいえ、どういたしまして。大切な時にバッテリー切れをおこしてしまい、悪かったね」
「いいの。あなたが、あの灰色しましまネコを作ってくれたんでしょう?」
「そうだけど、ちょっと変な奴だったね。アルゴリズムが難しくって、変な奴になっちゃった」
「少しね」
私はくすっと笑った。
「さあ、もう帰りなさい」
内村さんが肩越しに言った。
私はBWを内村さんに返した。
私と内村さんはオオタ研究所から出て、重いゲートを押し開けた。見覚えのある道が続いていた。角を曲がると細い獣道になるはずだ。
「じゃあね。気をつけてね」
内村さんは手を上げた。
「うん」
私はうなずき、前を向いて細い道を少し歩いた。そして、もう一度、後ろをふりかえった。オオタ研究所は完全に森の中に消えていた。
オオタ秘密俱楽部 麻々子 @ryusi12
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