サイン

深川我無

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 僕の名前は人見善ひとみぜん。僕がいつものように教室に到着すると、そこはいつもの教室ではなかった。机はすべて無茶苦茶になぎ倒され、ピンク色のカーテンはカーテンレールから引き剥がされて床で無惨な姿になっている。掃除用具箱はひときわ悲惨だった。横向きに倒されたうえに、何度も踏みつけられでもしたのか、ベコベコにひしゃげている。扉は外れかかって首の皮一枚でなんとか本体に繋がっている有様だった。他のクラスからも野次馬が集まってガヤガヤと騒ぎ立てている。野次馬の中心には派手チームのリーダー格、相澤聖也あいざわせいやが大きな声で「絶対俺が犯人見つけるから!」と騒いでいた。

 

 とにかく自分の席に荷物を置こうと、人混みを押し分けながらなんとか自分の机があった場所までたどり着くと、クラスメイトの芥川正吉あくたがわしょうきちが声をかけてきた。


「おはようぜん君。やばいよね? これ。いったい何があったんだろう?」


正吉くんは散乱した机の中身を片付けながら迷惑そうな顔でそう言った。


「来たばっかだしわかんないよ」


教室を見渡しながら僕は答えた。教卓や黒板消しや傘立てまで、何もかも無茶苦茶だった。ただ金魚の入った水槽だけは無事な様子だった。


 しばらくすると先生たちが野次馬をかき分けてやって来た。


「とにかく自分の教室に戻りなさい! 来た人から自分の机を元の位置に直して座りなさい! 聖也! お前も早く机直して座れ!!」


ブーブーと文句を言いながらも野次馬達は自分の教室に帰っていった。

 

「誰か事情を知ってるやつはいないか?」


先生が生徒に問いかけけてみたが、みんな口々に「しらな〜い」と言うばかりで有益な情報は出てこなかった。


「進藤さん! ちょっと前に来て!」


「えっ!? あ、はい」


そういって学級委員長の進藤サチは前髪を手櫛てぐしで左に直しながら教卓の方に出ていった。


「先生は今から緊急職員会議だから、進藤さんは教卓に座って皆の自習監督をしてください。皆は進藤さんを困らせないで静かに自習してるように!」


そう言って先生は教室を出ていってしまった。

 

 先生が出ていくと教室の中はヒソヒソと、そしてざわざわと話声でいっぱいになった。先生の気配が完全に遠のいたのを感じると、待ってましたと言わんばかりに聖也が手を上げて立ち上がった。


「はいはいはい! 今から俺が犯人を推理して見つけまーす! この手口は泥棒そのもでーす! 昔、俺の親戚の家に空き巣が入った時と完全に同じ状況でーす!」 


 教室内のざわざわがいっそう大きくなった。女子たちは「ヤダ! 私の体操服盗まれてない?」「リコーダー狙いの変態じゃない!?」と騒いでいる。


男子たちも「犯人は外部の人間かも」とか「この前、連続制服泥棒のニュース見た!」と興奮している。


「静かに自習してください!!」


委員長の進藤さんが大きな声で呼びかけた。しかしざわざわは収まるどころかますます大きくなっていった。


「はいはいはい! 静粛に! これは外部犯の仕業ではありません! 内部の人間の犯行です! 私はすでに証拠を発見しています!」


聖也は芝居じみた身振り手振りで皆にそう呼びかけた。

 

 みんなが聖也に注目していた。聖也はその様子を満足そうに確認すると、人差し指を上に立ててぐるりと皆の顔を見回した。


そして芥川正吉の顔を指差して「犯人はお前だ!」と静かに言い放った。

 

「ち、違うよ! 俺やってない!」


正吉くんは手をぶんぶん振りながら否定した。


「嘘つくな! 証拠は揃ってるんだ! 昨日の夕方、サッカーの練習の帰りにお前が校舎から出てくるのを見てるんだぞ! なあ太輔たいすけ! 翔太郎しょうたろう!」


「ばっちり見ちゃったね!」


嘘つき太輔がすかさずそう言った。


「嘘つき太輔のいつもの嘘じゃないよ! 俺も一緒に見たから! 絶対見た!」


翔太郎もそう言って正吉くんを指さした。


「違う! 違う! やってない!!」

正吉くんは顔を真っ赤にして否定する。

 

ざわざわは加熱して教室の中はいつしか独特の熱気に包まれていた。それを見渡して聖也が「まあまあまあ」と両手で皆をなだめるような素振りを見せる。


「出来れば自白して欲しかったが、もう一つの証拠も見せなければならないようだね。」


聖也はそう言って教室の鍵をポケットから取り出した。


「これは教室の鍵です! 今朝はサッカー部の朝練の日でした。そしてサッカー部の俺が一番に教室に来ました。その時すでに教室は荒されていました! つまり犯人が犯行を行うことが出来たのは昨日の夕方以降です! そして鍵をかけて教室から出ていったということは犯人は内部の人間です! その条件にピッタリ合うのは君だけなんだよ!」


「違う! 違う!」と叫ぶ正吉くんの声は皆の熱狂にかき消されてしまった。


「動機は金ですね? 家が貧乏でお金に困っていることは皆知っているんだ!」


聖也がそう言って正吉くんの横に立つと、嘘つき太輔が大きな声で叫んだ。


「俺知ってるぜ! 正吉の父ちゃんは昔、窃盗容疑で逮捕されて母ちゃんに離婚されたんだ! それで父ちゃんがいないから貧乏なんだ! 泥棒遺伝子だ!」

 

 そう言い終わるやいなや委員長の進藤サチが教卓をバーンと叩いた。そして彼女から聞いたこともないような大きな声で「いい加減にしなさい! 先生を呼んできます!!」と言って教室から出ていった。

 

 一瞬静かになったあとも「泥棒遺伝子!」とか「自白しろ!」とかそういう野次が正吉くんに向かって飛ばされていた。

 

「ちょっといいかな?」

僕は手を上げて立ち上がった。


「なんだよ善!? お前そんなタイプじゃないだろ?」


聖也が僕を睨んだ。


「正吉くんは犯人じゃないよ。そもそも犯行の目的が泥棒だって証拠はない。聖也がしているのは状況証拠だけをもとにした煽動せんどうだよ」


「なんだと? 俺が悪者みたいに言うなよ! じゃあ泥棒目的じゃないことを証明してみろよ!」


聖也が泥棒の話に食い付いてきた。僕は心の中で小さくガッツポーズをした。


「わかったよ。まず教室が荒らされていた時の状況を整理する。教室の中はすべての机が無茶苦茶にひっくり返されていた。それどころか掃除箱や傘立てまで壊されていた。そうだよね?」


「ああそうだ! あれは叔父さんの家に空き巣が入った時と一緒だ!」


「うん。普通の空き巣ならそうだね。空き巣は目当てのお宝が家のどこにあるかわからない。だから家の中の目ぼしいところを全部ひっくり返してお宝を探すんだ。そして一刻も早く現場から離れたい。だから片付けたりせず、お宝を手に入れたら一目散に逃げるんだ」


僕はクラスメイトたちと目を合わせながら話しを続けた。


「でも、ここは学校の教室だ。傘立てや掃除箱に金目の物が入ってないのは誰だって知ってることだ。僕が犯人ならさっき皆が言っていたように高額で売れる可能性があるものだけを狙うし、あらかじめ目星をつけて行動する」


聖也が何か言おうとして口を開こうとした。僕はすかさず聖也に手の平を向けてそれを遮った。


「そして、これが一番重要な部分だけど、空き巣でも教室を狙う泥棒でも、共通することがある。それは!」

 

 そう言ってから僕は自分の机を中身が飛び出すように思いっきりひっくり返した。ガシャーンと大きな音が立ち、驚いた数人が「おわっ」と声を上げた。


「こんな風に全部の机をひっくり返してたら、音に気付いた人がいつ様子を見に来るかと思って、犯人は気が気じゃないよ。掃除箱をあんなになるまで壊すとなれば尚更だろうね」

 

「それもそうだよな」「考えてみれば当たり前だよね」


 気が付けば教室の皆は口々に自分の推理を話し合っていた。その頃には正吉くんを犯人だという声は無くなっていた。


 そんな中、聖也はどす黒い気持ちで胸の中がいっぱいだった。名探偵として皆にたたえられるはずだったのに、この結果はなんだ? 全部あいつのせいだ。そんなことを考えていると聖也の頭に名案が頭に浮かんだ。


「善が犯人だ。」


聖也は立ち上がってわざと驚いたようにつぶやいた。そしてもう一度今度は大きな声で「善が犯人なんだ!」と叫んだ。


「こんな推理、普通はできるわけない! こいつ初めから全部知ってたんだ! 自分で仕組んでたんだ! 皆から注目されるために! この目立ちたがり屋の嘘つき野郎!」


 嘘つき太輔や、翔太郎もここぞとばかりにそれに追従ついじゅうした。


「なるほどね! 自分でやったから当然全部お見通しなんだな!」


「そういうの自作自演っていうんだぜ! 自作自演の詐欺師だ!」


 聖也も詐欺師というレッテルを気に入ったようだ。泥棒から詐欺師に乗り換えて、今度は詐欺師コールが始まった。


「詐欺師! 詐欺師!」

 

そう言って僕の周りを三人で取り囲んでいる時に先生と進藤さんが帰ってきた。


「お前ら何やってる! 自分の席に座りなさい!」


先生がそう言うと三人は渋々、自分の席に戻っていった。帰り際に聖也が僕の耳元で「詐欺師」とささやいた。

 

 休み時間ごとに聖也達は僕のことを自作自演だとか詐欺師だとか言って回った。僕にも聞こえる大きな声で他のクラスの連中にも言いふらしていた。だけど僕は気にしなかった。僕は詐欺師でもないし自作自演もしていなかったから。ただ黙って本当の犯人のことを考えていた。

 

 昼休みになっていっそう詐欺師コールが激しさを増している時に委員長の進藤さんが席に座っている僕のところにやって来た。


「あんなこと言わせてていいの? 自分で言えないなら私が先生に言ってあげようか?」


 僕は座ったまま進藤さんの方を見上げた。進藤さんは金魚の水槽の方を見てこちらを見ようとしなかった。足を組み替えながら僕の反応を待っているようだった。


「大丈夫だよ。そのうちきっと飽きてやめちゃうから。聖也の怒りもずっとは続かないよ」


 進藤さんは「でも」と言いかけたがすぐさま「わかった」と言ってどこかに行こうとした。進藤さんの後ろ姿に向かって僕は「後で話があるんだ」と言った。


 進藤さんは驚いた様子で振り返った。振り返ったとき初めて進藤さんと目があった。目の下にはうっすらクマが出来ていた。目もすこし充血しているようだった。


「放課後、理科準備室で待ってるよ」


僕がそう言うと、進藤さんはうなづいたような、ただ振り返っただけのような曖昧あいまいな仕草で去っていった。

 

 放課後、僕は理科準備室で待っていた。しばらくすると、進藤さんがドアを少しだけ開けて静かに入ってきた。


「話って何?」


僕のことを怪訝けげんそうな顔で見ながら彼女は尋ねた。


「ノンバーバル・コミュニケーションって知ってる?」


彼女は顔を横に振った。


「非言語コミュニケーションって意味なんだ。人は仕草とか表情とか声の調子とか、そういう言葉以外の色んな方法で他者にサインを送ってるんだ。」


彼女は自分のつま先を見ながら黙って聞いていた。


「それで、僕には進藤さんから言葉じゃないサインがたくさん聞こえてきたんだ。そのサインから考えると、教室を荒した犯人は君なんだろ?」


進藤サチは目を大きく開いて僕の顔を見た。

 

「まず最初にあれ? と思ったのは、先生に前にくるよう呼ばれた時にドキッとしてただろ? いつもなら驚いたりしない。先生に自習監督を頼まれている時も、何度も髪を触って緊張をほぐそうとしていた。あれは自分が犯人だってバレてるんじゃないかと思って内心ドキドキしてたんだ」


彼女は黙っている。

 

「それにいつもの進藤さんは、クラスが騒がしい時も静かに笑って見ているのに、今回は声を荒げて犯人探しのにこだわっていた。あれは真犯人の自分じゃなく、正吉くんが犯人にされそうなのを見て申し訳ないと思ったからじゃないの?」


彼女はうつむいている。

 

「それでも正吉くんを犯人にしようとする声は止まらなかった。そして嘘つき太輔が話した、正吉くんのお父さんがいなくなった話で、進藤さんの感情が爆発した」


彼女は顔を上げてこちらを見る。

 

「ずっと動機がわからなかったんだ。なんで進藤さんはこんなことしたんだろう? ってずっと考えてた。そのヒントはお父さんの話と、無事だった金魚の水槽、そして充血した目と目の下のクマ」

 

「金魚、死なせたくなかったんでしょ? ここ数日、毎晩泣いて寝不足なんでしょ? 進藤さんのお父さん……」


 そう僕が言いかけると、進藤サチは「わあー」と声を出して泣いた。僕の目を真っ直ぐ見て、スカートの裾を固く握りしめて、泣きながら彼女は話し始めた。

 

「ずっとお父さん病気だったの。治るって信じて必死で勉強したり委員長にもなったの! お父さんが治るように、毎晩神様に良い子でいますって約束して、人のことも責めたりしないようにしてた!」

 

「お父さん、いつも、誰かを責めたり恨んだり傷つけてはいけないって言ってた。だけどクラスの皆は簡単に人をいじったりバカにしたりするじゃん! それ見てヘラヘラ笑うじゃん! だれも止めないじゃん!」

 

 進藤サチは泣き叫んで言った。ぼろぼろ涙をこぼしながら、感情を言葉と態度に乗せて爆発させた。もう一度泣いて、少し静かになった時、彼女は僕の方を見てしぼりだすような震えた声で言った。 

 

「どうしてそんな人達が幸せそうで、私のお父さんは死んじゃったの?」

 

 しばらくの沈黙の後に「進藤さんの名前の由来は?」と僕は尋ねた。


少したってから「お父さんが、私が幸せになるように願いをめて付けたって言ってた」と彼女はこたえた。

 

「……良いお父さんだったんだね。お父さんの願いのためにも幸せにならないとね」


そう言うと、彼女は小さく頷いた。 


「……でもね、お父さんの願いは進藤さんがゆるせない人たちをゆるさないと叶わないんだ」


「……なんでよ?」


ゆるさないでいるとうらみがずっと、自分の心を傷つけ続けるんだ。だから優しい進藤さんが誰かを怨んだまま生きていくなんてダメだ」

 

 五分ほどうつむいていた彼女は「わかった」と小さく頷いた。


 僕らは理科準備室を出て、二人で職員室に向かって歩いていった。


 職員室のドアの前で進藤さんは左手で二回前髪を触った後、すこしほほを赤く染めて「ありがとう」と呟いて職員室に入っていった。

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