月、ログイン──インターネット接続エラー
この先の53kmポスト付近で人が倒れている との一報が入りました
現在 事故の調べを行なっています
お急ぎのところご迷惑おかけしています
また この先の26kmポスト付近で梟が肉を拾っているとの一報が入りました
詳細については現在確認を行なっています
また この先の 80kmポスト付近で男の子が 泣いているとの一報が入りました
この状態を抜けるのに15年以上かかります
お急ぎのところご迷惑をおかけしています
また この先の 湾岸環八IC付近で古い友達が 夢を食べているとの一報が入りました
詳細については現在確認を行なっています
お急ぎのところご迷惑をおかけしています
───chouchou 1619kHz より引用
アカネは今日も誰も居ない部屋に戻ってきた。オレンジ色の月が西の闇に沈みかけている。夏の蒸し返すような湿気のこもった暑い部屋。エアコンのスイッチを入れて風呂を沸かす。汗が全身を伝わる。ポツンと置いてある大きな液晶ディスプレイはTVではなくPC用だ。TVは買っていない。だからNHKに受信料を払う義理もない。ゲーム機のスイッチをオンにするとディスプレイ画面にいつものオンラインゲームの画面が映る。
───インターネットの接続がありません
Wifiの調子が最近良くない。何度か電源を抜き差ししてようやく接続できた。
接続ができると、息がしやすくなったように感じた。安い缶チューハイのプルを開けると、一気に安堵に包まれた。
ログインを押し、ゲーム画面を操作して、画面を見ることなくチャットに挨拶を打ち込み終えると、シャワーを浴びて、簡単な夕食の準備をする。今日も一日中、事務処理に追われ、後輩のやらかしたミスの後始末のことや時事問題のことをSNSでオンラインゲーム仲間に向かってぼやく。話し相手はオンラインゲーム仲間くらいしかいなかった。現実の世界で恋人を作ることは半ば諦めている。 大学を卒業してすぐに始めたオンラインゲームで二十代半ばのとき、ゲーム仲間と恋に落ちた。アカネといつも遊んでいたユウジは、ゲームの中では勇ましく、頼れる存在だった。ユウジはアカネのことをいつもゲーム内では気にかけて優しくしてくれてもいた。ゲーム内の綺麗な景色の場所へ行ったり、難しいダンジョンへ行ったりすることが、仕事を終えて、家にかえってきたら真っ先にする楽しみとなった。アカネにとっては、現実の世界のことよりも画面越しにユウジと共有できる幻想の世界でのその時間が現実と取って代わっていた。
二十代の大半の夜、土日はすべてそのようにして時間を過ごした。やがて、二十代後半に差し掛かり、ユウジとオンラインで遊ぶようになって1年目のある日、ユウジからアカネに現実で会ってみたいと言わた。渋谷で待ち合わせをした。ユウジとは通話はしていてもビデオ通話をしたりしたことはなかった。待ち合わせ場所に行くと、少しくたびれたアカネより若い男が待っていた。「ユウジくん?」アカネからそう声をかけると、ユウジは少し驚いたようにアカネの顔を見た。「アカネちゃん……?」アカネは飛び抜けて美人というわけではなかった。なぜか彼女はそのことでユウジに引け目を感じた。ユウジの反応は、控えめに言っても、決して良いものではなかった。明らかにガッカリしていることがアカネにもわかった。ふたりは適当な店でランチを済ませて、他愛もないゲームのことを話し、夕方にはそれぞれ帰宅した。帰宅後、アカネはゲーム機のスイッチを入れる。ゲームにログインする。 いつもならログインしている時間のはずのユウジはまだログインしていなかった。スマートフォンに連絡がないか確認する。
──ユウジくん、今日はログインしないの? メッセージを送ってみる。
結局その日、ユウジがログインすることはなかった。メッセージが既読になることもなかった。ユウジのログインを毎日待つ。半年近く、ユウジがログインすることはなかった。ある日、共通のゲーム仲間からアカネはユウジが職場の子と結婚したことを聞かされた。アカネのゲーム内でのユウジとの恋愛ごっこのようなものはそうして終わった。
その数ヶ月後、アカネはまた、別のゲーム仲間、マサシと恋愛ごっこをする。
マサシとは旅行にも出かけた。別々の部屋を取って、男女の仲にはならず、健全この上ない単なる友人の旅行と言って良かった。アカネの好きなぬいぐるみのことやアイドルのことをマサシは穏やかに聞いたりしてくれていた。今度こそアカネは上手く行くと思った。「おれ、アカネちゃんみたいにゲームの話できる女友達ってあんまりいなかったんだよね、彼女はゲームしないからさ」「え、マサシくん、彼女いたの?」「いるよ、言ってなかったっけ?」
アカネはゲームが唯一の居場所のようになっていた。ログインすれば 孤独から解放された。ゲーム機が壊れることやインターネットの調子が悪くなることが、1番あってはならないことのようにすら思えていた。実家に帰る時も、毎回ゲーム機を小型の旅行用トランクに入れて持って出かけた。
ある時、年下の女、マミがゲーム仲間になった。マミは気まぐれにゲームにログインして、やがて、彼女は現実の世界で恋人と結婚した。マミはアカネに遠慮することなく、パートナーとの日常のことや悩みを話すこともあった。何もかもがオンラインゲーム中心の生活で、気付けば32歳になろうとしていた。アカネにはマミが疎ましく思えて、やがて、マミの相談してくることやちょっとした話を鬱陶しく感じるようになった。
──私にわざわざ相談されてもわからないんですけど、ウザいな
SNSでアカネはマミのことを段々と揶揄するようにもなった。マミは、それでもアカネに新婚生活のことや充実した日々のことを自慢してもいた。ある日、マミがアカネに疎ましく思われてSNSで揶揄されていたことに気づき、ゲーム仲間ではなくなった。マミは日常に忙しくもなり、ゲームをやめた。それでもアカネに時々連絡をした。アカネは鬱陶しいマミのことをまたぼやいた。
──今は若くて可愛いから良いけどあのまま10年したらヤバいって
会社では、真面目で通っていた。 SNSのトレンドに上がる社会問題には目を向けてもいた。LGBTというわけでもなく、ただ、器量があまり良いとは言えないだけだった。 ゲーム機さえあれば、インターネットが繋がっていれば、ログインさえできれば、それでよかった。顔の見えないゲーム仲間の男友達とふたりで通話していれば満足だった。確かに、相手に会いたい、という気持ちがなくもない。 けれど、何度も現実のアカネは彼らと会うと拒絶されてきた。誰かといまさら恋をするなんてことも面倒になってきていた。
幻想の中、恋人ごっこができればそれで良いし孤独も忘れられる。もう誰にも拒絶されたくもないし、幻想の世界を壊されたくない。服にこだわるだとか、見た目を気にすることもなかった。 アカネは32歳よりもずっと老けて見えるようになった。ひとり、暗い部屋に帰る。ゲーム機のスイッチを今日もオンにする。自分の分身のようにすら思える愛着のあるキャラクターを操作し、幻想の世界に現実をすり替える。ディスプレイ画面を見つめる間、孤独を忘れられる。部屋の中でひとり、ログインし続ける。 さらに数年経ち、アカネは会社でも居心地悪くなっていた。真面目に勤務していた。地方の小さな関連会社へと出向を命じられた。 退職して転職するか出向するしかなかった。出向を選んだ。鬱を発症し、休職した。
ログインし始めて10年が経とうとしていた。10年間、SNSでのひとりごとは20万回を超えていた。自分のひとりごとの回数を見て、吐き気がしてきた。それは孤独の象徴みたいで受け入れられなかった。風呂にも入ることをやめてしまい、一ヶ月に一度入るかどうかだった。外出はコンビニエンスストアでの買い物以外することもなく、休職の間、ずっとゲームにログインするだけの生活だった。同期たちはほとんどが結婚し家庭があった。たまに連絡すると、彼女たちはパートナーのことや子どものことを話す。かつてのゲーム仲間、マミがしてきたように。アカネは自分の境遇を聞かれたくなかった。自然と彼女たちとは連絡を取らなくなった。誰もアカネを気にかける人がいないかのようにすら思えた。ログインすれば、それも忘れられる。 ゲーム仲間がアカネを気にかけてくれる。
暗い部屋でディスプレイ画面を見つめる。ゲームのコントローラーを握りしめ、ヘッドセットをつける。コントローラーは手垢でまみれ、ヘッドセットには髪の脂やフケがへばりついている。じっとログイン画面に切り替わるのを待ち続ける。
───インターネットの接続がありません
3カ月ぶりに風呂に入ることにした。
誰かと話したかった。自分を受け入れてくれる誰か。── 人の肌の温度。 優しさを感じられる会話。笑い声。ヘッドセットからではなく、すぐ目の前で、触れ合って、孤独を抱きしめ合い、笑って朝を迎えて──風呂に入ろう。 そして、散歩してかえってきたら、世界と繋がれるようになってるはずだから。繋がったらユウジくんと行ったあの景色を見に行こう。
信号の点滅する夜の終わりかけの国道を渡る。 アカネは小さな黒い影となり、夏の夜のアスファルトに痕跡を残す。世界にアカネがいた痕跡。
オレンジ色のグラデーションの東の空からニュースが流れてくる。
───人身事故により環状〇〇号線、5kmの渋滞
月は完全に地平線の裏側に沈んでいた。
実験的なショートショート集 Hiro Suzuki @hirotre
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