実験的なショートショート集

Hiro Suzuki

ノートを買う

 書き出しは、こうだ。

「その日はしばらくぶりに雨がやみ、湿度の高い少し暑い6月の風の吹く日だった」あるいは、哲学の引用、「永劫回帰、ニーチェが未だにズタズタにされていないエロスとタナトスの欲望の歯車」───僕はそんなとりとめもないことを考えながら、鎌倉の書店の二階にある文房具コーナーで目的もなく文具を物色し、緑の少し厚いノートを買い、自宅へ戻る湿度が高く風の強い海岸沿いの道を歩くあいだも、書き出しについての僕の思考はとめどもなく続けられていた。連日の大雨で施工中の新築は養生期間を1週間近く置く必要があり、4日ほど半日で終わる修繕や、どうということのない事務的処理だけで、残りの半分は家に居なければ自由だった。今月の収入は少し減るが、どうしようもないし、生活に困るほどでもない。偶然、修繕工事を数件立て続けに頼まれていたのは、運が良かった。依頼が無ければ完全に休みにしてどこかひとり旅行へ行くのも悪くなかった。もちろん、ひとり旅を妻に言い出せるわけもなく、それは打ち捨てられた空虚な夢でしかない。今、こうして書いている間じゅう、どこで時間を潰すか考えながら彷徨い歩いている。家に帰れば、一歳半の娘と24歳の、僕にとっては、美人の妻が待ち構えていて、何かを読むとか書くなんてできない。断っておきたいが、決して僕は彼女たちを邪魔だと感じたり、家事育児をしたくないわけではない。どちらかといえば、家事育児は好きな方だ。僕はそうした家庭のささやかなことをするのが好きで、見方によっては、昔の女性的な何かを持っている。つまり、女っぽい上に、こうしてぶつくさたまに呟きながら、海岸通りをジョギングしたり散歩する恋人たちや夫婦、家族連れや観光客たちとすれ違うひとがいないことを確認してだが、俯いてiPhoneでメモを書くくらいに根暗なうだつの上がらない27歳の男、それが僕だ。


 日常はそんなに面白いことなんて何も起こらない。心が躍ることも滅多にない。平板でのっぺりした時間が過ぎていく。由比ヶ浜を通り越し、大胆に国道を走って渡り、小道に入って長谷寺の方へ向かった。国道を渡ったことすらがちょっとした出来事のようにすら思えるほどに、何も起こらない毎日だ。創作ショートショートや読書感想のエッセイをインターネットのあるサイトにコツコツと──これも妻から根暗だとか中二病と言われる所以だが──投稿して一年ちょっと経つ。ほとんどは過去の話をデフォルメしているか、独断的で上から目線(これも妻)で悲観的で批判的な、読むと要するに憂鬱になるか、嫌気がさすか、文章自体の文法が小学生以下であったり、目的語となる名詞がすっぽりと抜け落ちて、自分ですら時折解読不能の無駄に長い文章のエッセイや創作内容で、読む価値の見当たらないような内容だ。母親にある日読み上げたときは、「あなたの文章には希望がないし、哲学的な小難しい小手先の言い回しや引用で誤魔化して何が言いたいのか見えてこない、ただ意味もなく言葉遊びするのが好きな根暗にしか見えてこない」と、かなり的確な批判をもらえたほどだ。こうして歩きながら書いていて、すでに、書いている意味も目的も見出せず、ただ、頭の中を駆け巡って鳴り止まない言葉たちを必死に繋げているだけになっている。案の定、長谷は、よく通る場所にもかかわらず、道に迷った。正確には、住宅街の小道に入り込んでしまっていた。この辺りはどこの家も庭や玄関先に紫陽花を植えている。連日の雨のせいか、花びらは色褪せたアンティークな色調になっているものが多く、景色全体が写真の中の一部で、こうしてぼんやり歩く僕自身もその一部でしかなく、現実をどこかに置き忘れた、あるいは、現実から見放された誰も気に留めることのない孤独な写真のような世界にひとりで迷い込んだ気分になる。どこからか下手なバイオリンを練習する音が聞こえて歩調を緩める。


 長谷には中学生の頃よく学校帰りに道草して訪れていた。和田塚の山のてっぺんにある由比ヶ浜を一望できる中学校は、テレビや映画の撮影にもよく使われた。長い校門までの坂道は、春になれば桜が咲き、その坂道を女の子と歩いて下り、その女の子の自宅のある長谷まで行き、中学生らしい恋愛とも呼べないような恋愛をしていた。僕は当時テニス部で、彼女は陸上部だった。「英語の宿題を手伝って欲しい」とかそんな理由で部活動のない放課後、ふたりで英語の教科書を開いていた。それがきっかけで、僕の部活が終わるのを下駄箱のまえで待ってくれたり、僕も下駄箱のまえでなぜかその子を待つようになった。誰かに冷やかされたりだとか、そうしたことは不思議なくらいになかったように思う。小学校までは見た目が浅黒く、たまに「フィリピン帰れよ」だとか、ボロい鞄やら兄貴のお下がりのつま先に穴の空いた運動靴を冷やかされたりもしたが、中学生になってから、そうした事はぴたりと止んだ。少しだけ外見が良いことも自覚し始めていた。たまに下駄箱の中に手紙が入っていたり、バレンタインのチョコレートだとかを律儀な僕は自分の部屋の小さな子供用の机の引き出しに入れて、食べなかった。引き出しには鍵が付いていて、僕は兄貴らに見つからないように鍵をかけたのだが、ある時、鍵をなくして、長いあいだチョコレートやら手紙と再会を果たすことができなかったのだ。


 よく一緒に帰るようになった陸上部の女の子とは、ませガキの僕は色々と経験した。変なところで感の働く僕の母親が、ある日、コンドームについて切々と語りながら──恐らく親父の──コンドームを持ってきて、「これ、財布の中入れといた方がいい」と無理やりそれを手に握り締めさせてきた。最後には、「マミーは負け組か勝ち組かとか考えたことないけど、お父さんと結婚したこと、たまに後悔じゃないけど、何で、ああなのかって考えることあるのよ。フィリピンなら離婚してておかしくない」だとかいつもの愚痴を僕の背中の向こう側の窓を見ながら、けれど少し幸せそうに、話していた。結局、受験シーズンになって、自然消滅し、中学卒業と同時に、彼女とは会うことはなかった。6月になると、昔の女の子たちのことをごくごく稀にぼんやり意味もなく思い出す。それがなぜなのか、はっきりとはわからない。下手くそなバイオリンを練習する音はすっかり遠ざかり、僕はどこを歩いているのか、もう気にもしなくなっていた。極楽寺の成就院の通り道の坂道をのぼり、赤い橋のところで、少しほっとしていると、電車が下を通過して行く。その通過と同時にまた僕は歩きだし、駅を通り越して、まっすぐ、海の方へと歩く。海岸通りの手前を右に曲がり、セブンイレブンがみえてくる。このセブンはかなり僕にとって意味のあるセブンだ。ここで妻と7年半ぶりに、偶然、再会した4年前のその日、僕らは明け方まで稲村ヶ崎の海岸と七里ヶ浜の海岸を行ったり来たりしながら、時々砂浜に腰を下ろして、色々なことを話した。思い出のセブンを横目でチラ見して、通り越す。しばらく歩いて脇道を入り、坂道をのぼると、作業場とトラックと平家の掘立て小屋と、三階建の白い母家が目の前に出てきた。不思議と平家からも母家からもひとの声は聞こえない。何をノートの最初に書き出すか、結局見つけることができないでいた。


 ノートを片手に虚な目をした男がトラックの中にいる写真は昨日買った古本の中に挟んであった。同じようなノートを買った帰り道に立ち寄った古本屋で手に入れた本だった。本の持ち主なのか、たまたま通りすがった際、写真を撮っただけなのかわからない。いずれにしろ、男のノートがおかしな存在感を醸し出し、僕はその写真を食い入るように見つめた。色のない紫陽花と白いハイエースが何処となく男の言いようのない空虚さを強調しているかのようで、可笑しくなり、悲しくなって、声に出して笑った。

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