その四「二一世紀のキツツキ様」

 舞羽が御神体の取り出しにかかったのは、店に戻ってからすぐのことだった。というのも、話を聞いた源三朗が〝優先すべき仕事〟として認めてくれたため、その日のうちに手を着けられたのだ。


 作業場所は深山模型店の裏側にあるささやかな庭である。

 舞羽、きすか、そして、源三朗が立ち合っていた。


 最初の難関となる周囲の粘土層の除去は、思いのほかあっさりと終わった。源三朗はiPadに転送した画像と現物を見ると、「思い切ってやった方がいいね」と道具を用意してくれたこともある。

 ノミと木槌で当たりをつけて、なたのような見かけの薄刃ノコギリを入れると、すんなり刃が沈み込んだ。切れ込みを入れ終えると、粘土層の下にあった壺がぱかんと割れて、鳥の形をした石像が姿を現した。


 石像の大きさは、全高二十センチほど。


「結構可愛らしいわね」

「石像って言うよりぬいぐるみっぽい解釈ですね」


 細部こそ簡略化されているものの、キツツキそのものを象っている。くちばしから尾羽おばね、足まできっちり作ってあるが、そこはかとなくシルエットが丸っこい。


「でもこの表面のドロドロは何かしらね?」


 きすかの問いに、石像の表面についた粘土層のかけらを拭いながら舞羽が答える。


ろうだと思います」

蝋燭ろうそくの?」

「はい」


 調べてみると、全体に蝋が塗られていることがわかった。割れた壺には石像の形の跡があったことからすると、どうやら壺の中に詰めた耐火粘土の間に塗られているようだった。


「考えはわかるけれど、これは素人の仕事だね」


 作業を見守っていた源三朗がぽつりと言った。

 

「かなり時間が経っているだろうから、蝋を落とすには苦労するかもしれないが、本体は石だから熱でやるのが早道はやみちだと思うよ」

「エタノールを希釈きしゃくして溶かすのじゃダメなの?」

「布に染み込ませてやるならばいいかもしれない。削ってみるのもありなんじゃないかな」


 舞羽の問いに祖父は、真っ白なあごひげに手を当てておだやかに答え、「いろいろ試してみなさい」と言って店へ戻っていった。

 きすかはその背中に頭を下げ、舞羽に向き直る。


「舞羽ちゃんの専門分野じゃない。頼んで正解だったわ」

「ちょっと違いますが、応用は利きますね。ところで、そっちはどうです?」


 検品用の布手袋をはめたきすかは、神妙な顔をして色褪せた紙を広げている。おおよそB5大の紙は、少し黄変していたものの破れや染みはなかった。


「状態はいいけど、さっぱり読めない」


 ラムネの瓶のような影の正体は、厳重に密封されたガラス瓶だった。ラムネの瓶よりもやや胴が太く、表面はくすんでいた。安全に開封できたものの、入っていたのは剥製化はくせいかされた鳥の羽と古びた紙だった。


 羽根は十センチ余りと小さく、おそらくキツツキのものなのだろう。


 きすかの言ったとおり紙の保存状態はよかったものの、漢文らしいということだけはわかるが判読は困難だった。達筆たっぴつすぎるため素人には読めないという可能性もあるが、どちらにしても自分達だけでは解読は不可能だった。


「きすかさん、知り合いに書道家の人いません?」

「書家はいないけど、この手のブツの専門家ならいないこともないわね」

「じゃあ、その人に調べてもらいましょうよ」

「舞羽ちゃんのそういうところは、ほんと美徳だと思う」


 舞羽の言葉に、きすかはまぶしそうに目を細め、少し渋い顔をしてうなずいた。


「んー……じゃあ、手分けしましょうか。もしかしたら、二、三日は留守にするかもしれないから、必要経費が出たらその分は請求書に足しておいて」

「あ……うん、わかりました」


 直接出向かないと行けない相手ということから、互いの関係にまつわる面倒を察して、舞羽は黙ってきすかを見送った。



     ◇  ◆  ◇



 それから三日後、きすかは深山模型店に現れた。

 服装は先日と似たり寄ったりだが、髪を結わずに下ろしているので。童顔と丸顔の印象が少しだけ緩和されている。


 時計の針は午後五時半を回り、相変わらず暑いが初秋らしく日が陰り始めていた。客の姿がないのをいいことに、カウンターの前に居座ったきすかに舞羽は問いかけた。


「それで、あの紙になんて書いてあるかはわかったんですか?」

「わかったわよー。完全に専門外だったことも含めて」


 きすかは、手にしたクリアファイルから半紙を三枚まとめて取り出した。上から一枚ずつカウンターの上に置く。


「まあ、これを見なさいな」


 一枚目の紙にはこう記されていた。


  岐都都岐或云列鳥乃尾羽也


 一画一画の止めがはっきりした楷書かいしょの墨書きで、『列鳥』は『列』と『鳥』で一字——『鳥』の上に『列』がある文字——を構成している。

 ただ、個々の文字は読めても、文章としてはどう読むのかはわからない。そう舞羽が思ったとき、きすかが二枚目の紙を指さした。


 二枚目の紙では『岐都都岐/或云/列鳥/乃/尾羽也』と区切られていた。すぐ横に「キツツキあるいはテラツツキの尾羽なり」という一文があり、「どれも啄木鳥きつつきの異名」と書いてあった。


「え、これでキツツキって読むんですか?」


「うん。最初の四文字は、『和名類聚抄わみょうるいじゅしょう』の表記に基づいた万葉仮名まんようがな表記なのだそうよ」

「わみょうるいじゅしょう? 万葉仮名は高校の授業で習った気がするけど、それもどこかで聞いたような……」

「平安時代の辞書だから、古典か日本史の授業なんじゃない? ……っと、もう一つの謎文字はこれなんじゃないかって」


 三枚目の半紙にはやはり楷書の筆文字で、


  ひえ鳥かし鳥ましこ列鳥テラツツキ虫くひ鳥

  つゞミまめ鳥ひたきむく鳥

      近世初期誹諧はいかい資料『毛吹草けぶきぐさ』夏部


 とあった。


「はあ……普段使わない脳細胞を使ったというか使わされた感じだったわ」

「お疲れ様です。じゃあ、もしかしてあの字体にもなにかわれみたいなのがあったんですか?」

「あったわよ~そっちも。篆書体てんしょたいだって」

「てんしょたい?」

「篆書体は始皇帝の時代に成立した書体で、いまだと落款らっかんや印鑑なんかに使われている字体ね。それから、碑文ひぶんにも用いられるのだそうよ」


 舞羽は、卒業証書と墓参りのときに寺で見た石碑を交互に思い浮かべる。きすかは舞羽の出してくれた麦茶を一口飲んで、喉を潤すと先を続けた。


「関連して金文体きんぶんたいフォントの話も聞かされたけど、これは端折るわね。それで、元の文書が書かれたのはいまから八十年くらい前で、たぶん捺印なついん代わりだったんじゃないか、ってのが先方の見立てだったのだわ」


 祠に祀っている〝本当の御神体〟であるキツツキの尾羽をもっともらしく見せるための添え書きだったのではないか、ということだ。もっともらしく見せる役割については、舞羽が担当した石像が最たる物だろうが……。

 その石像は、舞羽がこの三日間で蝋落としから最後の洗浄作業まで済ませていた。仕上がりはすでにきすかも確認済みである。


「あの羽根はどうなったんですか?」

「こうなったわ」


 きすかは、ボーリングのピンのような白い筒をカウンターの上に置いた。大きさとしては、口のない徳利と言った方が適切かもしれない。


「元の紙はこの中に一緒に入れてもらったわ。白いのはセラミック製だからよ」

「じゃあ、これと石像を一緒にまつるんですね」

「そういうことになるわね。なんかご大層なようで全然大したことのない話だったわ」

「見ない振りした方が良かったですか?」

「それはそれで後から面倒くさいのだわ~」




 話が一段落ついたところで、時刻は午後六時になろうとしていた。

 深山模型店の閉店時間は午後八時だが、舞羽がレジに控えているのは午後六時までである。これ以降の時間は源三朗が応対し、舞羽はほぼ非番となる。陽が沈んでから店に現れる客は、予約などの取り置きを頼んでいる常連客がほとんどなので、舞羽よりも店主の源三朗が適役なのだ。

 なにより、模型店ではひっきりなしに客が来る事自体がまれである。

 舞羽はレジの横に挟んであった広告を取り出すと、


「ところで、柾木まさき酒店さんが『季節限定酒』を仕入れたってチラシもらったんだけど、きすかさん捕まらないからって二枚渡されました」


 カウンター越しにきすかへ差し出した。


「あー……考えてみれば、もう九月だったわ。なんかここ数年、秋がない感じの年が続いたから。おお、あさびらきのひやおろしがある!」


 きすかの上げた声に、舞羽は広告からその銘柄を探してみる。

 家庭用プリンターで刷ったとおぼしきチラシには、酒のラベルの隣に名前と説明——アルコール度、酸度、日本酒度など——が価格とともに書いてある。


「えーっと、あさ開。この盛岡の蔵元のやつですか」

「そうそう」

「じゃあ、これを買ってきて打ち上げ、なんてどうです?」

「異存はないわ。って、いま残ってるのかしらね?」

「ちょっと待ってください」


 舞羽はレジの横から受話器を取り上げると、凄まじい早さで電話番号を打ち込んだ。普段からテンキーを押す機会が多い業種の職業病である。

 挨拶を済ませると、二言、三言のやり取りがあった後、


「はい、はい。それでお願いします。ではのちほど」


 そんな様子を見ていて、舞羽ちゃんはどうして電話口でも頭を下げるのだろう、ときすかは思ってしまう。だが、あえて口にするほど野暮ではなかった。


「げっつ! 一本確保しました」

「ぐっじょぶ! とすると、家飲みになるからうちの方がいいかな」


 きすかの提案に、舞羽が賛成する。

 そんなとき、狙いすましたかのように店の時計が午後六時を知らせた。そのうち祖父が交替に下りてくるだろう。舞羽の今日のお勤めは終わる。


「じゃあ、私はそのお酒を買ってから行くから、きすかさんは池田鮮魚店いけださんちでおつまみをお願いしますね」

「舞羽ちゃん。それ、私の方が高く着くパターンよ」


 すると舞羽はにっこりと笑って、


「え、お酒買っている間に選んでおいてって意味だったんですけど?」


 と言うのだった。


 窓の外で街灯の明かりが点々と灯り始め、あたりに夜のとばりが下りる。

 細長い月の明かりを受けて、そこかしこに立つ電柱がアスファルトの路面に影を落としていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

電信柱のキツツキ様〈改〉 蒼桐大紀 @aogiritaiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ