ドーナツ・タイポグリセミア


 耽美なるデカダンス学会。


 事象はすべからく無へと解体されるべきであり、我々は右手に権利を掲げ、左手に義務を堅持し、それに挑むことを塞ぎ止めてはならない。時として後退せざるを得ないにしても、道はすでに整備されている。いずれ、前に進もう。


 そう主張する学会により、話し言葉は解体された。言葉を正しくなく並び替え、いやむしろ自由に組み替えても、心が通じ合えば意味も通じるはずだと暴論は打ち立てられた。そんな言葉の枠さえかろうじて力夕千を留めてはいるものの、すべては滅茶苦茶なフードコートにて。




「ドーナツの あだなけを のこてしたべる ほうほうって してっる?」


 めぐがオールドファッションドーナツをあらゆる角度から構造解析し、そこに穿たれた虚空の穴から月見月を、そして灯子を狙い見た。


「ドーツナのあな なんて たべれらないに きまっるてじゃいなのさ。めぐちゃん、とうとう あまたが きまっちゃった?」


 ドーナツの穴から見える月見月はきょとんとしていた。


「いゆわる ドナーツホール もだんいっていうの。あくまの しょめうい に るいじする ないものを あるものと しょういめさせる むりんなだいね」


 ドーナツの穴の向こう側に佇む灯子は涼しげな顔してたこ焼きをふうふうと冷ましていた。


「とーこちゃん、ドーナツホール もだんい だなんて、そんなの あるの?」


「ない。わしたが たったいま かがんえたことば」


 灯子が不意に月見月へたこ焼きを差し出す。ほとんど反射的に、ぱくんとたこ焼きに食らいつく月見月。


 外側はかりっと焼き上げ、しかしその中はふわとろっと柔らかな熱をもって舌に絡みつく。熱を帯びたたこ焼きは凶器そのものだ。無防備な口の中を蹂躙する。月見月は声にならない声を上げてもんどり打った。


「このドナーツやさんの キャペンーンで、ドーナツの あなだけ のしこて たべたら もういっこ おきすなドーナツの サビースけんが もえらるみたいなの」


 涙目で悶える月見月を遠い目をして眺めて、めぐは再びドーナツホール問題の解析に戻った。


「まずは ドーナツのあなって なんなのか。れぞんくした ことばのいみを ていぎしていなかいと。そかこらさきは ちもみうょりうの すつみくせかいよ」


「魍魎魑魅?」


「魑魎魅魍」


「魅魑魎魍って?」


「魑魅魑魅は魑魑魍魎魎よ」


「ちみうもりょうの もじすう かわてっんじゃねえか」


 イチャつくめぐと灯子。そこへ熱ダメージから復活した月見月が乱入する。


「ドーナツのあなの のしこかた。みきったわ!」


 めぐからドーナツを、そして灯子からたこ焼きを強奪する月見月。何をする気か、めぐも灯子も沈黙のまま月見月のアクションを見守った。


「ドーツナのあなに たやこきをひつとぶ むりやり だいにゅうします」


 オールドファッションドーナツのホールにたこ焼きがジャストフィットする。ここに新たな和洋折衷ジャンクフードが誕生した。


「そして!」


 めぐと灯子から余計なつっこみが入る前ににドーナツホール問題に決着をつけなくては。この手の証明には何より勢いが必要なのだ。


「たやこきをよけて ドーナツをぜんぶ たてべやります」


 もぐもぐ、たこ焼きを避けてドーナツを一気食いする月見月。後には爪楊枝が突き刺さったたこ焼き一個が残された。


「すさかず だいにゅうしたたこやきを もとのドーツナホールと いれえかます」


 親指と人差し指で輪っかを作り、さっと腕を交差させてたこ焼きと置き換える。代入した数値が展開されて解答を導き出した。


「どう? これがドーナツのあなよ」


「ドーナツのあなが みえた……!」


「わしたも みえた」


 月見月が鼻の穴をぷっくりと膨らませてドヤ顔を見せつけた。


 こんな簡単に、こうもあっさりと、世界中の哲学者を悩ませるドーナホツール問題が解決していいものか。


 めぐにとっては別にどうでもいい問題だった。お好きなドーナツがもう一個もらえるならそれでいい。だがしかし、灯子にとっては屈辱だった。


 灯子が月見月を下に見ているというわけではない。自分のたこ焼きが使われたことに愕然としているのだ。目の前にずっとあったはずなのに、何故、ドーナツの穴とたこ焼きの直径が一致すると気付かなかったのか。この眼鏡の奥の二つの目玉は節穴か。


 がっくりとテーブルに突っ伏す灯子。


「てんねんには どうあいがてもかてないわけか。とうこを みな。こんなに おこちんでる」


 よしよし、と灯子の背中をさすってやるめぐ。


「おちんこでるね」


 ……。口を割って出てきた自身の台詞に顔を真っ赤にして月見月は慌てふためいた。


「お◯んこでないっ! 違うのっ! これは耽美なるデカダンス学会の罠よ!」


 学会の戒律を破って標準日本語を使っても、もう遅い。月見月の言の葉はめぐの耳にも灯子の耳にもしっかりと届いていた。


「月見月、あんたやるわね」


「月見月さん。出せるものなら、私は出したいわ」


「いや、出すな。灯子が言うと洒落にならない」


「違うってー! 学会の罠なんだってー!」


 耽美なるデカダンス学会によって制定されたタイポグリセミア。その言葉を的確に翻訳できる日本語はまだ存在しない。それは、じんゅじょがみれだた はしなことばの にんちのしゅふうくを いすみることば。




 フードコート。それは、戦さ場。


 ある者は身体を蝕むほどの空腹を癒すため。ある者は弱き意思が付き纏う勉学に勤しむため。ある者は耐え難き孤独を紛らわすため。ある者は絶対の友よ健やかなれと語らい合うため。


 フードコートに集い、争い、満たし、散りゆく。


 フードコートは兵どもの夢の跡。


 フードコートは言の葉の戦さ場なのだ。

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フーコーの女子高生 鳥辺野九 @toribeno9

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