日陰に咲く

第12話

 雨が降らなくなって数日が経つと、彼が帰ってこないことが実感としてわいてくる。梶葉は心配してくれていたようで、連日大量の食物を持って家に来てくれた。

 青空のなか、弟と近所を散歩していた。彼は日に日にやつれている。どうやら、「あいつ」の親が色々と大変だったらしい。


「ねえ、臣はどうなったの」


 そう何度聞いても、弟は目をそらしてごまかしていた。ニュースでは戦争よりもはやりの物事が多く放送されるようになってきた。どことなく戦争は遠い世のことだと思えるようになり、だんだんと平穏を取り戻しつつある。しかし、臣のことはまだ膿んだしこりのように心に遺っていた。

 遠くに黒雲が見えて、鐸に泣きついたことをふと思い出す。鐸に言わせれば、『想い出せるということは、臣はまだ消えていない』ということらしい。一ヶ月経った今でも想い出せるということは、彼はどこかに生きている。私は深呼吸をした。


「臣はどこかで生きているんでしょ」

「ねえちゃんもしつこいって。機密事項なんだから教えられないよ」

「機密事項ってあんたが言うってことは生きているってことでしょ」

 私はちょっとおかしくなって笑う。梶葉は詰めが甘い。嘘でも征討されたっていえばいいのにと想う。でも、それが彼の良いところでもあるのだ。


 弟は諦めたようにズボンのポケットから一枚の紙を出して、私の手に渡した。

「えっと、奴さん、俺と契約したんだ。封印される代わりに異常気象を戻す契約。最初は殺そうとしたんだけど、どうも神祇庁のエリートども上司たちが束になってもかなわなかったんだよ」

 その様子を妄想してみる。ボロボロの臣とボロボロの梶葉たち。分が悪くても暴れるだけ暴れたのだろう。含み笑いをしていると、梶葉が自分の髪に手を突っ込んだ。

「その地図にある社に封印したから。会いに行くといいよ。まあ、実体には会えないけど」

「梶葉はいかないの? 」

「そこまで野暮じゃない」

 梶葉がおもちゃをとられた子供のような声を出す。私はいつの間にか大きくなった弟の頭をなでた。

「意味分からない」

 私が小首をかしげると、梶葉は明るい声で笑った。


 弟とは駅で別れた。このまま別の現場に行くらしい。私は久しぶりに電車にのり、二駅先の街を目指す。電車に揺られると眠くなるがぐっと我慢する。二駅先は水辺が美しい街だ。切符を改札口に通して、空気を吸う。晴れ晴れとした空に明るい気持ちになる。私は駅からすぐ見える川辺に向かって歩き出した。川の近くには森があり、そこには古い社がこじんまりと建っている。セミたちが最期を謳歌し、大合唱するなか、賽銭箱に幾許かのお金を投げてから柏手を叩く。社の奥には鏡があった。


「臣、来たよ。あなたはここにいたんだね」

 鳥が鳴く声が聞こえる。返事はない。

「ずいぶん近くにいたじゃない」

 セミの鳴き声が止む。あたりが静かになった。

「会いたいよ」

 解っている。それでも、心の声は口からこぼれ出てきた。

 音もなく立ち尽くしていると茂みをかき分ける音がした。期待のまま振り向くと、二人組の男がいた。神様がいても人事を尽くさないと奇跡は起こらないのだ。男たちは下卑た笑みを浮かべて、私に近づいてきた。


「何かご用ですか」

「いや、なんの。あなたにもミシャグジのように消えてもらいに」

 黒いスーツに朱いバッチが見えた。私は「あいつ」の亡霊に殺されるのか。そう理解した。ああ、嫌だなあ。本当に心を寄せた相手に想いを告げてないのに、死ぬんだ。視界が潤むが、それをすぐに拭う。


「臣は、消えてないよ。私のなかにいる」

 鈍色に光る小さなものが男の手に見えた。しかし、それは間抜けな声と動作ですぐに地べたに落ちた。まず、鏡が割れる音がして、それから藤の枝が地面から生えてきた。それは男たちを足下から徐々に締め上げていく。藤は頭に向かうにつれて、紫色の花房を咲かせていった。男たちが手足を振り、悲鳴をあげる。私の頭に大きな手が乗った。ひんやりとした温度に覚えがあった。


「俺の女に手を出すな。間抜け共」


 冷たい声にひんやりとした手。待ち望んだひとがそこにはいた。巻き付いていた藤の枝が一瞬緩んだらしい。男たちは悲鳴を上げて駅の方角へと逃げ去っていった。

 空がぐずり始める。小さく水の粒が一つ、二つと落ちてきて、だんだんと激しくなっていく。私は臣の方を見る。彼は相変わらずの鉄面皮である。

「君は愚かだ。俺のことなんぞ忘れればよかった」

 言葉は辛辣だが、声色は今までに聞いたことがないほど優しいものだった。

「忘れられる訳、ないじゃん」

 臣の身体に寄り添うと、身体に柔らかい温度が触れる。


「しかし、困った。怒りのあまり封印がとけてしまった。完全な契約コンプラ違反だ」

 雨は激しさを増していく。臣はため息をついて手を振る。ざあざあぶりの雨のなか、思いっきり大きな声をあげて青年が走ってくる。

「てめえ、契約破ったなこんちくしょう」

 その声はどう聞いても弟のものであった。梶葉は臣と私の姿を見るとバツが悪そうに目をそらした。

「貴様の姉を助けたんだ。礼くらい言われてもおかしくはない」

 さすがは神様と呼ばれるだけある。非常に偉そうに臣は宣った。臣の硬い手が私の頭をなでる。梶葉はこめかみに力を入れているように顔を歪ませた。


「クソ。ありがとうよ・・・・・・ってそうじゃねえよ。どうすんだよ。新しく誓いをしても、ねえちゃんの姿をあんたが見ちまった以上、二度も同じ契約はできないぞ」

 臣は私をじろじろと眺める。雨は轟々と降り注いでいる。水たまりがすでにいくつもできていた。

「それなら、野菊を要にすれば良い。俺はもう離れられない。社は彼女の家にすれば良い」

「ねえちゃんはそれでいいの? もう、こいつから離れられないよ」

 答えはすでに決まっていた。私も臣から離れたくなかった。


「いいよ」


 梶葉はがっくりと肩を落とした。梶葉は持っていた鞄から変わった形の鉄の鈴を取り出すと、それを振る。一振りすると、雨が止んだ。もう一振りすると、雲が一気に晴れて太陽が顔を出した。弟は祈るように私にかしずくと涙を一つだけこぼした。

「契約は終わり。俺、上司に報告しに行くから、早々に帰れよ」

 梶葉は涙を乱暴に拭くと、「ああ俺も彼女見つけよう」とかぐちぐち言いながら駅の方角へと向かっていった。


 臣は大きくあくびをして、指で自分の唇をたたく。

「煙草」

「持っていないよ」

 そう言って笑うと、臣の顔が近づく。浅葱色の綺麗な鱗が目に入ると、不意に柔らかいものが唇に触れた。薄くて歯の感触まで分かるそれはすぐに離された。臣は嫌らしい笑顔を浮かべた。

「すまない。口寂しくてな」


 怒るに怒れない私をよそに臣は青空の下を歩き出す。大きな樹の下で何かを見つけたらしく、私を手招きした。駆け寄るとそこには、花が一輪咲いていた。

「日陰に咲いてる変わり者。季節外れのあだ花。まるで君のようだな」

 臣は愉快そうに笑った。その笑顔はすがすがしいものだった。

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日陰に咲く 石燕 鴎 @sekien_kamome

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