白薔薇の魔女令嬢:後編

 ある年のことでした。

 街で疫病が流行り始めました。疫病は人を選びません。庶民にも貴族にも、王族にも襲いかかりました。


 白薔薇の貴族は、好機だと喜びました。疫病にかかった王族の者をユニコーンの角で治すことができれば、一目おかれるでしょう。他にも自分達より地位の高い貴族に売ったのなら、彼らにも、自分たちの存在を知らせることができるでしょう。

 ユニコーンこそいるものの、いまはまだそこそこの一族。けれどもゆくゆくは。白薔薇の貴族達は企みます。


 月に一度だったユニコーンの角の収穫は、疫病が流行りはじめて以来、その頻度が上がりました。最初は月に数回。そのうち、一週間に一回。果てには数日に一回。伸びきっていない角を、人々は切り落としていきます。ユニコーンは起き上がる元気もないままに、次の角の切り落としを迎え、さらに起き上がれなくなります。


 ぐったりしたままのユニコーンを前に、人々は笑います。今度はあそこの貴族に、あの王族に……と。ユニコーンの痛みも知らないまま。


「ユニコーンさん、ああそんな……」


 人々が去って、ようやく白薔薇令嬢がやってきます。令嬢が呼びかけても、ユニコーンは返事の一つもせず、笑うこともしませんでした。

 それでも瞳だけを、彼女に向けます。


「みんなみんな、ひどいわ」


 ユニコーンが起き上がれなくなり、この場から動けなくなって、いったいどれくらいが経ったでしょうか。ついに箱庭の中での自由も、ユニコーンは失いました。


 そんな日々の果てのある日、箱庭の外で、何人もの人の声が響き渡りました。

 それは怒声であったり、悲鳴であったり、断末魔もあったかもしれません。


「どうしたのかしら……私、怖いわ、ユニコーンさん……」


 疫病が流行っている。それしかわからない白薔薇令嬢は、震えながらユニコーンを抱きしめます。相変わらず起き上がれず、喋ることもままならないユニコーンでしたが、耳をぴんと立てました。


 ――箱庭の外では、ユニコーンの角を求めた人々が押し掛けていました。それは庶民であったり、位の低い貴族であったり、普通は角を買えないような人々でした。

 疫病に苦しむ彼らは、その治療薬としてユニコーンの角を求めるあまり、白薔薇の貴族の館、この箱庭に押し掛けてきたのです。そして彼らは暴徒と化し、


「おい! この箱庭の入り口はどこだ!」

「角を、ユニコーンの角を!」

「こんな壁なんて壊しちまえ!」


 ユニコーンは全てを察しました。なんとか声を絞り出します。


「……たくさんの馬鹿な人間が、流れ込んでくるよ」


 どん、どん、どん――人々が壁を壊そうとしています。


「いいか、壁が壊される。お前はその隙に、ここから出るといいよ。それで……どこか、いい場所で暮らすといいさ」

「何を言っているの。私は、どこにも行かないわ。どこにも行けないもの……」


 白薔薇令嬢は、ユニコーンを抱きしめて離しませんでした。


「それに……大事な友人を、おいては行けないわ」

「……お前がいなくなれば、僕は力を取り戻せるからさ、それで」

「こんなにも弱っていて、すぐに力なんて、取り戻せないでしょう?」


 抱きしめたユニコーンが、ぶるぶる震えているのを、令嬢は確かに感じていました。ユニコーンは怖がっていました。だから嘘だと見抜いたのです。


 ついに轟音が響き、壁の一部が壊されました。疫病に冒され、それでも生にすがりつこうとする人々が、美しい箱庭を踏み荒らしつつ流れ込んできます。そして草原の上、ユニコーンと白薔薇令嬢を見つけました。


「この子に手を出さないで!」


 すぐさま令嬢が声を上げましたが、大男が彼女を払いました。令嬢の手がユニコーンから離れると、人々がユニコーンへ群がります。


「角がないぞ!」


 ユニコーンの角は、昨日切られたばかりでした。それでも、疫病から逃げたい人々は。


「角じゃなくてもいい……血でも、治るんじゃないのか?」

「ああ聞いたことがある、病を治す獣の話! その血、その毛皮、とにかく全てが薬になると!」


 令嬢は顔を真っ青にしました。


「やめて!」


 すぐさま再びユニコーンに抱きつきますが、またしても男達の手が伸び、彼女を地面に投げ捨てます。


「お願いです、やめてください!」


 それでも彼女が立ち上がれば。


「うるさい! 私腹ばかり肥やす貴族どもが!」


 一本のナイフのきらめきが、彼女の胸に突き刺さりました。

 ……草地に倒れた令嬢は、もう起き上がることがありませんでした。


「――ねえ、ねえ、お前、ちょっと」


 ぐったりと倒れ伏していたユニコーンは、何とか起き上がり、彼女の元へ向かおうとします。ところが、大勢の人間が、のしかかるように彼を押さえます。それでも彼は。


「性格悪いな。無視しないでくれよ。僕の話を聞くって、話しかけてくれるって、言ったじゃないか」


 返事はありません。令嬢は動きません。

 何本ものナイフが、ユニコーンに向けられました。よく晴れた青空の下、鋭利な刃物は星のように輝いています。

 そして雨のように降り注ぎました。


 ――しかし、その鋭利が、皮を裂く前に。

 ユニコーンの、大きな大きな叫び声。血を吐きながらも、彼は嘶きました。四本の足をばたつかせ、自分を押さえていた人間達を払います。


 そうしてユニコーンは人々を払ったものの、結局はその一瞬だけでした。彼は弱り果て、起き上がることもままならない状態でしたから。再び人間達が彼を取り押さえます。


 その時、青空が不意に暗くなりました。突如雲が現れたかと思えば辺りは夜のように暗くなり、人々の頭上で空が渦巻きます。


 そして轟く、巨大な獣の咆哮。

 なんだ、と人々が顔を上げれば、渦の中から、巨大な影が飛び出してきました。


 その正体はドラゴン。大きな翼を持つドラゴンが、ユニコーンの嘶きに応えたのです。

 鋭い爪に、鋭い牙。凶悪な瞳。人々は突然現れた圧倒的な存在に、逃げまどいます。

 そんな人々へ、ドラゴンは一息、吹いてやります。炎の息吹です。あっという間に人々は炎に包まれ、周囲の建物も燃え盛ります。大きな屋敷も、ドラゴンは蹴り一つで破壊します。


 ドラゴンは破壊の神でした。人々の悲鳴すらも、焼き払います。

 人々には為すすべがありませんでした。



 * * *



 全てが破壊し尽くされて、街があったその場所は、ドラゴンの地となりました。


「友よ、久しぶりだな。しかしどうして、こんなことになる前に私を呼ばなかったのだ」


 ドラゴンは未だ倒れ伏しているユニコーンのそばに降り立ちました。と、彼の近くに、若い女が倒れていることに気付きます。


「ああ、その女が、お前の力を抑え込んでいたのだな! 骨も残らず燃やしてやろう!」

「待って、待ってくれ……」


 かすれた声で、ユニコーンは頭を横に振ります。弱り果てた上に、残っていた力を振り絞ってドラゴンに助けを呼んだのです。彼はもう、気を失う寸前でした。


「この子は、僕の友達なんだ……彼女、僕を助けようとして、人間どもに……友よ、どうかこの子を生き返らせておくれ……」


 ユニコーンは知っていました。友であるドラゴンには、自分以上に癒しの力があることを。望めば、死者を蘇らせる力があることを。

 けれどもドラゴンはすぐに答えてはくれませんでした。それは決して、友の願いを叶えられない、という理由ではありませんでした。


 友の願いであるなら、その願いを叶えてはやりたいのですが。


「いいのか。確かに私には、死者を蘇らせる力がある。しかし一度死んだ人間が蘇ったのなら、それはもう人間ではない。彼女は、魔女になるぞ」


 ユニコーンは黙って白薔薇令嬢を見つめます。


 一人の人間として、得られるものを得られず、あるもの全てを奪われた彼女。

 蘇らせることはできますが、それでも彼女は、一人の人間になれません。


 それでも生き返ることは、いいことなのでしょうか。

 人間として結局生きられないのなら、悪いことでしょうか。


 ――魔女とは、人々に恐れられる存在です。時に迫害され、時に殺される存在です。

 そんな人生なら。

 けれども。でも。


「……こいつは、僕のことを勝手に守ろうとして死んだんだ」


 ユニコーンは言います。


「だから僕も、勝手にする。魔女になろうが、知らないよ。生き返らせて」


 ドラゴンは、白薔薇令嬢の死体に、白く輝く息吹を吹きかけました。炎とは違う、癒しの力を持った息吹です。


「ごめんね。僕、勝手で」


 ユニコーンが小さく呟きました。


「でも僕、もっとお前と一緒にいたかったんだ……好きだって言うのには、まだ時間がかかるんだ。僕は素直じゃないから」



 * * *



 廃墟となった街は、時間が経つにつれ緑に包まれ、やがてそこは魔物の住む恐ろしい場所として知られるようになりました。

 その場所には、獣や魔物だけでなく、恐ろしい魔女もいるといいます。この魔女こそ、かつてこの場所にあった街を滅ぼした存在だと。


「あら、私が滅ぼしたことになっていますわ」


 深い森の奥、小さな家で、魔女は本を読んでいました。かつて白薔薇令嬢と呼ばれた彼女でしたが、不吉を招く魔女となり、いまはこの地に住んでいました。


「人間っていうのは本当に……」


 傍らには一本の角を持つ、馬に似た魔物の姿。ユニコーンです。


「でも、私が魔女というのは、本当ですわ」


 くすくすと令嬢は笑います。


 魔女となった彼女は、未だ、この場所を離れられずにいました。

 何故なら人々から嫌われる魔女に、居場所なんてないからです。

 幸いこの場所は恐れられ、人間がやってくることがありませんが、誰かがやってくることがありましたら、悪の化身だ、と叫ばれ、命を狙われるでしょう。そうして捕まったのなら、行く先は火炙りの刑です。


 人間としての自由を得られなかった彼女は、魔女になっても、自由らしい自由を得られませんでした。


「僕のこと、恨んでる?」


 不意に、ユニコーンが尋ねてきます。

 白薔薇の魔女令嬢は。


「いいえ、恨んでなんかいないわ。話相手がいるのは嬉しいし、これからもあなたと一緒にいられるんだもの」


 そして今度は、彼女か尋ねる番でした。


「私のこと、嫌いかしら? きっとあなたは、身勝手な私へのあてつけに、私を魔女として生き返らせたのでしょう? それとも、好きだから?」


 魔女は鈴のように笑い続けています。ユニコーンは少し顔を赤くしてそっぽ向きました。


「……嫌いだよ! だってお前、全然嫌な顔しないじゃないか! おまけに僕を一生話し相手にするともりでいるし……いいさ、それなら僕の方こそ、お前を一生の話相手にしてやる!」


【白薔薇の魔女令嬢 終】

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白薔薇の魔女令嬢 ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya

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