白薔薇の魔女令嬢
ひゐ(宵々屋)
白薔薇の魔女令嬢:前編
「白薔薇の貴族」には、名誉な役割がありました。
それはユニコーンの世話をすること。
ユニコーンの角は、どんな病も癒す薬となります。
様々な人が、この角を求めます。他の貴族であったり、時に王族であったりしました。
だからユニコーンの世話は、名誉な役割。
しかし実際にユニコーンの世話をすることになる「白薔薇の貴族」の娘達にとっては、悪夢の役割。
彼女達は一種の生け贄。
何故ならユニコーンの世話は、汚れを知らない清らかな娘にしかできないからです。
それはつまり、恋ができないということ。
「白薔薇の貴族」の長女として生まれた瞬間、ユニコーンの世話をする「白薔薇令嬢」となり、結婚できない人生を約束されます。
兄弟か姉妹が次の白薔薇令嬢を授かりある程度成長するまで、白薔薇令嬢はずっとユニコーンの世話をしなくてはいけません。ようやく跡継ぎが育った頃には、彼女を娶る貴族は誰もいませんから、皆、修道院へ入りました。
人の命を助けることにつながる、名誉な役割。
終わったあとには捨てられる、消耗品のような命。
彼女達は、ユニコーンのための、そして角を求める人にとっての、道具でしかありません。
――新しい白薔薇令嬢が、一族の敷地内、ユニコーンの箱庭に閉じこめられました。
「やあ、君が新しい人かい? 全くお前達貴族は、何年僕をここに閉じこめておくつもりなんだ。もう百年は経ったぞ」
薄暗い森の中、まるで迷子のように座り込んでいた白薔薇令嬢にユニコーンは話しかけます。
「お前もどうせ逃げ出すんだ。そして失敗して何度もここに戻ってきて、やがて諦めるんだ。僕はずっと見てきたぞ……哀れな奴らだ!」
ユニコーンは白薔薇令嬢達が嫌いでした。彼女達がいるために、逃げられないからです。
清らかな乙女が近くにいなければ、好き放題暴れることができました。だから人を蹴散らして、囲いを破壊して、自由を取り戻すことができたでしょう。
ところが、清らかな乙女という存在が、ユニコーンの荒れ狂う力を沈めてしまうのです。
ユニコーンにとって、彼女達は重石や鎖、もしくは毒そのものでした。
「いっそ、本当に逃げておくれよ。そうしたら、お前がいない間に、僕はかつての力を取り戻し、全てをめちゃくちゃにしてここから出て行ってやるのに! まあ、どうせお前には何にもできないだろうけどね!」
角を持つ馬に似た獣の冷たい笑い声が響いて、近くにいたカラスが飛び立ちました。
そこでユニコーンはようやく気付きます。
今回の白薔薇令嬢が、泣いていないことに。
いままでの彼女達は、泣いていたではありませんか。
「私、逃げませんわ。だって、意味がないんですもの」
白薔薇令嬢は服についた土を払いつつ、立ち上がります。
「外のこと、何にも知らないんですもの。ずっと部屋にいたから……だから、行く場所もないし、あの部屋から追い出されてここに来たのなら、もうきっと、どこにも居場所もありませんわ」
ユニコーンは黙ってしまいました。
白薔薇令嬢の瞳には、諦めの影が深く落ちていました。
「人間って、本当に身勝手だなぁ」
ようやくユニコーンは口を開きます。白薔薇令嬢に背を向ければ、森の奥へと歩いていきます。
けれども振り返って。
「僕のこと、恨んでる?」
性格の悪いユニコーンは、からかってやるつもりでした。
白薔薇令嬢は。
「あなたのせいで、私はこうなってしまったけど、話相手がいるのは嬉しいわ」
そして今度は、彼女か尋ねる番でした。
「私のこと、嫌いかしら? 私がいるから、あなたは自由になれないんだもの」
「……調子が悪いから、嫌いかもね」
がさがさと、ユニコーンは森の中の闇に消えてしまいました。
* * *
高い煉瓦に囲まれた箱庭には、森や草原、池などがあり、それこそ箱庭のように美しい場所でした。
ないのは自由だけ。ユニコーンの世話をすることになった白薔薇令嬢は、箱庭にある小さな家で暮らすことになります。外と繋がる窓はありますが、令嬢が出入りするものではなく、食事や衣類といった、生きるために必要なものをやりとりするだけの窓でした。
令嬢には、本も外の世界の噂話も与えられません。囚人とかわりありませんでした。
それでも彼女は、いつも微笑んでいました。
「お前、もしかして頭がおかしいんじゃないのか」
ある日、ユニコーンが尋ねました。
何故なら彼女は、これまでの令嬢のように泣き叫んだり、自分を罵ったりしないからです。それどころかよく話しかけてきます。いままでにないことでした。
「私は、あなたの頭がおかしいと思いますわ。だって、外でも、私に話しかけてくる人はいなかったですし、私が話しかけても、みんな無視しましたもの」
白薔薇令嬢は、生まれたそのときから、ユニコーンのための「白薔薇令嬢」として育てられました。
白薔薇令嬢は、一族にとって大切な存在ではありました。けれども彼女には、ユニコーンの世話をするという役割と、あくまで貴族であるという地位だけしかなかったのです。
「私、いま、とっても楽しいのよ……おしゃべりしてくれる相手もいるし、こういった森や川なんて、行きたくとも許されなかったのですから。ここはとっても綺麗な場所ね」
「……ああほんと、なんだかお前を見てると気分が悪くなるよ。人間って、本当に最低な奴らばかりだなと思って」
ユニコーンは溜息を吐きます。それから少し考えて。
「世界にはもっと綺麗な場所があるんだぞ。僕が生まれた場所なんて、ここよりずうっと綺麗なんだからな! ああお前はこんなところに閉じこめられて、本当に残念だなぁ!」
「あら? そこはどんな場所なの?」
「知りたいかい? 聞いたらきっと、自分の運命を恨むよ? ま、僕としては、君がそれで苦しんでくれると嬉しいから、いっぱい聞かせてあげるよ!」
ユニコーンは日々、様々な話を聞かせました。美しい故郷の話。大冒険の話。人間をからかった話。ほかにも、世界中の噂話。
令嬢にとって、ユニコーンの語るお話は、まるで夢のようなお話でした。わからないことを尋ねればユニコーンは「そんなことも知らないのかい!」と丁寧に教えてくれます。彼でもわからないことがあれば、一緒に考えてみます。
自由のない箱庭での、楽しい日々です。けれども、その楽しい日々を壊すかのような日が、一ヶ月に一度ありました。
それは、ユニコーンの角切りです。
この日は、箱庭に外の人間が入ってくる日。令嬢の存在によりか弱い存在となっているユニコーンを彼らは追い回し、捕まえます。そして角を根本から切り落とすのです。
角の切り落としは、ユニコーンにとって激痛を伴うものでした。
「ユニコーンさん、大丈夫……?」
角を切り落とし終えた人間達が、喜びながら箱庭から出て行きます。角をなくし、ぐったりと地面に倒れたユニコーンへ、令嬢は駆け寄ります。こうなれば、ユニコーンは三日は横たわったままになります。
「みんな、本当にひどいことをするのね……私がいなければ、あなたは自由になれるのかしら」
ユニコーンは力なく笑います。
「確かにお前がいなければ、僕は力を取り戻せる。あんな人間達、ころっと殺せるし、あの高い煉瓦の壁だってぶち壊せる。それどころか、僕は友達のドラゴンを呼んで、街の全部をむちゃくちゃにしてくれって頼むこともできるんだ」
ユニコーンは、これまでに数々の武勇伝や冒険を令嬢に聞かせてきました。だからその時のように話しましたが、ぐったりしたままで、令嬢の顔は歪んでいきます。
「何も初めてじゃないだろう」
ユニコーンの言う通り、これが初めての角の収穫ではありませんでした。しかし令嬢はその度に、たった一人の友人を思って、瞳に涙を浮かべるのです。
「ユニコーンさん、私に、何かできることはないかしら……?」
白薔薇令嬢は、ただただ彼を不憫に思って仕方がありませんでした。彼だけが、令嬢の全てといっても過言ではありませんでした。
「……できることなんて、何にもないよ。お前にも、僕にもね。お前も僕も、使い物にならなくなるまで飼われるんだから」
ユニコーンは冷たく言い放ちます。しかし。
「……元気になるまでそばにいて。僕の話を聞いて。僕に話しかけて。いままでお前みたいな奴、いなかったんだから」
全てを諦めた白薔薇令嬢は、この牢獄の箱庭で、小さな光を手に入れました。
それはユニコーンも同じで、搾取されながらも、共に静かに暮らしていきました。
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