島津久光は幕末フィクサーの夢を見るか?

幕末の薩摩、ひいては倒幕側の立役者―――西郷吉之助と大久保一蔵。

幼馴染として幼少から親しみ合い、身分としては末端に近い下級武士だった彼らが手を携え、出世をして苦労を重ね、やがて藩政を掌握し、ついには幕府を倒したのだ!

翔ぶが如き日本史上屈指の名コンビ、イェイッ!




ちがうよ~……という声がある。


「幕末薩摩の真の主役は久光。西郷大久保はフィクサー久光の手足に過ぎず、小松は久光の命を受けた二人の監視役」

という説が、近年学界で主流になっているらしい。


そうなのだろうか?


私は専門の研究者の方々のように、膨大な一次資料や論文研究書をバリバリ読み込むことなどできない。

大づかみな事象から

「細部は度外視して、とにかく戦争ではこちらが勝ったのだからこちらがより賢かったのだろう」

というような類推ができるだけである。

もし一次史料をもとにした動かぬ証拠を突きつけられれば、修正する所存です。


島津久光、藩内人事では確かに有能。

大久保を取り立て、西郷を島流しから二度も召喚している。

文久三年、江戸での政治工作がうまくいかず悄然として帰ってきた大久保を咎めず、逆に昇進させたのは素直に偉いと評価できるところ。


が、藩外では?


文久二年、ひさみつ、はじめてのおでかけ(兵3000を率いて上京)→

いうこときかないやつはころします(寺田屋事件)

無位無官では参内できません→

同じく藩主でもない無位無官では将軍にも会えません→

無礼な外国人はころします(生麦事件)→

四侯会議粉砕! 兵庫開港勅許! 慶喜に連戦連敗!



慶喜にこてんぱんにされてるか人殺してるかのイメージしかない……しかってこともないけど……


斉彬は久光の学識人物を高く評価していた!

藩主にはしなかったけどそれは些細な事!

いや些細ではなかろう。


おそらく、学識や胆力は抜群でも、後に寺田屋事件をおこすような人間性のやヴぁさを感じ取っていたから、交渉に不利になるとわかっていても藩主に据える気にはならなかったのでは。

久光、明治以降も時勢を理解できず問題を起こしまくりだし。


「西郷隆盛 維新150年目の真実」にある、慶応元年末の久光が、京都の西郷の思想が討幕を公言する過激なものとなっていると判断し、桂久武を派遣して抑えた…というのは、事象としてはおそらくその通りなのだろうと思う。


しかしそれを、藩士を強力に統制する独裁者久光と見るべきか、藩士を統制できず何かあると慌てて弥縫策を講じる国父はつらいよな久光と見るべきか…


顔を見るのも嫌だし、何をしでかすかわからん爆発物な西郷を沖永良部島から呼び戻したのも、藩士らの要求を拒み切れなかったからだしね。

久光の発案ではない。


西郷、元治元年に長州講和をスマートに解決し西日本一帯に勇名を轟かす

大久保、慶応元年に条約勅許阻止で大暴れし京都政界に悪名を轟かす


これらが久光のリモコン操作によるものだったとは、どうしても思えないのだ。


今や古典の領域に入りつつある中公新書「大久保利通」の記述

「薩英戦争で寺田屋事件生き残りの若者たちが勇敢に戦ったことで精忠組の存在感が藩内で増し、久光の影響力が相対的に低下した」

というのが、やはり実態に近い気がするのだが…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

よろこべ、ここには意味しかない 小泉藍 @aikoizumi2022615

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説