刹那を切り取って

水澄

第1話

 ふっと息を吸い込んでは止める、その瞬間。

 僅かばかりの勇気をもって、刹那を切り取っていく。


 実家の建て替えが決まったのは今年の夏だった。

 築三十年を超えて色々とくたびれてきた家の造りに、ともに還暦を超えた両親の老後。そして、私と兄の二人ともが実家を出ているという事情を鑑みてのことだった。

 新居は庭の面積を少し削って建坪を増やし、バリアフリー化も兼ねてゆったりとした平屋建てにする計画らしい。私と兄が自立した今となっては子供部屋も不要であり、また建蔽率に余裕のある田舎だからこそ可能な建て替えだろう。

 建て替えにおいて必須となる両親の仮住まいは、隣の市に住む兄夫婦の家に厄介になることで話が付いているらしい。私としてはいっそのこと、この機会に兄の家を二世帯住宅に改築なり増築なりして同居してしまえばいいのにとも思うのだが、母曰く、どうもそう単純にはいかないらしい。

「あの子は孫の面倒も見てもらえるしそれでもいいって言ってくれているんだけど、ほら、だとしても絵里えりさんに気を遣わせちゃうじゃない? それだと」

 とは母の談。そして、斯く言う絵里さんとは当然兄の奥さんであり、つまりは私のお義姉ねえさんだ。


「本当によかったの? お義姉さん、同居しましょうって言ってくれてたんでしょ?」

 二階の元私の部屋かつ現物置部屋にて、不用品をまとめた段ボール箱を「よいしょ」と持ち上げる。そんな私に、傍らで荷物を整理する母は「いいのよこれで」とため息をつく。

「それにほら、同居だと私も色々気を遣うじゃない?」

 どうやらそれが本音らしい。第三者である私からすると、いたって良好に思えていた我が家の嫁姑関係だが、こと同居となるとそう一筋縄にはいかないらしい。なお、妹の立場から見てのお義姉さんはというと、及第点どころか満点をあげたいくらいであったりする。

 絵里さんは血縁上義理の姉となっているものの、五つ年上の兄とは違って学年で一つしか違わず、それも早生まれの三月生まれとあって、四月生まれの私からすると感覚的にはほとんど同い年に近いものがある。

 そんな絵里さんは三人兄妹の末っ子であり、そのためずっと弟か妹が欲しいと思っていたらしい。それもあってか、兄と結婚して以降、絵里さんから「私にも妹ができた」と随分と可愛がってもらっている。もっとも私からすれば絵里さんは、彼女自身の可愛らしい見た目も相まって、姉というよりかは同い年の友人といった感覚に近いのだが、そこは空気を読んでというやつである。それに、私は私でわかりやすい末っ子気質なので、甘えるのも、そしてそれ以上に甘やかされるのが大好きなのだ。

 だから、私は彼女のことを「絵里さん」ではなく「お義姉さん」と呼んでいる。 

 閑話休題。

「まあ、私としては実家が残るって意味では都合いいんだけどね。じゃないとほら、お盆やお正月に帰ってきてもゴロゴロできないじゃない?」

 答えつつも段ボールを抱えて階段を下りていく私には、母の「あんたはいくつになってもそればっかりだね」という嘆息が向けられる。

 お彼岸を過ぎた九月の末、兄の家への引っ越しを来週に控えた週末に、私はその荷物整理の手伝いも兼ねて帰省していた。もちろん引っ越し当日も手伝いに来る予定だが、兄の様に仮住まいを提供する立場でもない私としては、せめて荷物整理くらいは買って出ないと、ということである。


「お父さん、これもいらないやつだから、あとよろしくね」

 一階の四畳半で片づけを進める父に一声をかけては、すぐ二階へと取って返す。それにしても、いくら両親に比べればずっと若いとはいえ、私の細腕に荷物を抱えて実家の急な階段を何往復もするというのは、予想以上に重労働だ。それこそ比喩ではなく、文字通りに骨が折れてしまいそうである。

 今が夏でなくてよかったと心底思ってしまうと同時に、汗ばむ陽気となった絶好の行楽日和である今日が憎らしい。

「お母さん、次は?」

「そうね、今ので処分するやつは終わりだから、後は――」

 私と母の視線が、揃って同じ方を向く。そこにあるのは、天井近くまで高さのある棚と、そこに隙間なくびっしりと並べられたたくさんの本、本、また本。

 大学進学を機に家を出て、早十年近く。流れる歳月に気が付くと、元私の部屋は、今ではすっかり本で埋め尽くされていた。

 もとより、父は若いころからの読書家だ。そして、それは今も変わらずであり、特に定年退職を迎えてからというもの、天気の良い日の大体は縁側に置いたリクライニングチェアーで日がな読書にふけっている。

 結婚して私達が生まれてから向こう、経済的な理由もあって買うのは主に文庫本となっているが、それでも若いころに買い集めた大量の単行本が、今もこうして棚に鎮座ましましている。

 仰ぎ見るように見上げた本棚に、母と目を合わせる。

「それで結局、これはどうするんだっけ?」

「棚はバラして処分。で、本はそっちの――」

 訊ねる私に、母はそう言って本棚の脇を指さす。そこにはあまり見慣れない白地の段ボールが何箱分も用意されていて、見ればどれも側面に同じロゴが印刷されている。

「レンタル倉庫、だったかしら? お父さんがネットで見つけてきたのよ。若いころから集めてきたものだから、処分するのは忍びないって」

「まあ確かに焚書じゃないけど、本を捨てるってなんだか罰当たりな気もするしね」

 ふふ、とお互いに笑いあうと、私たちは自然とまた手を動かしだした。


 私が棚から本を取り出し、母に渡す。母は段ボールを組み立て、受け取った本をそこにしまっていく。言うでもなく自然と役割分担が決まって始まった流れ作業を進めること小一時間ほど、ようやくすべての本を片付け終え、私たちは一息ついていた。

「片付いたのはいいけど、それ、下に降ろすのがまた一苦労だね」

 自分で言っておきながら、この後に待ち構える重労働には思わず苦笑いが浮かんでしまう。

「ああ、それなら大丈夫。これ、連絡すれば業者さんが家まで取りに来てくれるのよ。だからこれは、このまま二階に置いておいていいのよ」

「そうなの?」

 母からもたらされた朗報には自然と語尾が上がってしまう。

「よかったぁ、正直その重さだと全部降ろせるか自信なかったもん」

 そんな風に笑いあっては床に腰を下ろし、すっかりと空になった本棚を見上げてみる。埋め尽くしていた背表紙がなくなったそこは文字通り伽藍洞で、それだけで不思議と部屋が広く感じられたし、それと同時にこの部屋が、我が家がなくなるのだなということを改めて実感する。

 この本棚だけは私がこの部屋を使っていた当時から置いてあって、その頃はいつも邪魔だ邪魔だと思っていた。なにせ、部屋の模様替えを検討する度に、重すぎて動かせないこいつがいるせいで、その他のレイアウトが随分と限定されてしまうのだから。そもそも、十代の女子の部屋にハードカバーの歴史小説や、ひいては名立たる文豪たちの全集が数十冊から百冊以上も並んでいるなんて、可愛さの欠片も感じられない。

 それでも――空になった棚を眺める。

 いざなくなってしまうとなると、なぜだか寂寥感が込み上げてくるのだから、感情というのはまこと不思議なものである。

「あれ? そういえば」

 本棚を眺めていて、ある事に気が付く。背の高い父の本棚だが、一番下の段だけは引き戸になっていて、その中を確認していなかった。

 よいしょ、と膝立ちになっては手を伸ばし、左側の引き戸をがらりと開けるも、何も入っていない。

「何か入っていた?」

 母の問いかけには「ううん」と首を振り、開けた戸をがらりと閉める。次いで右側に手をかけ、再びのがらり。

 果たしてそこには、古びた段ボールが入っていた。

 両手でそれを取り出し、くるりと振り返っては母との間に箱を置く。

「なんだろう、これ」

 呟く私には、母も「さあ?」と首を捻る。

 ためらうこともなく箱を開け、のぞきこんだそこに――。

「わあ」それは母の声だった。「懐かしい」


 片付けも一段落し、夕食を済ませた後の団欒の時にあって、私の見つけた箱の中身は父の手の中にあった。

「懐かしいなあ、これ。あそこにしまっておいたこと、すっかり忘れていたよ」

 そう言って父がいじっているのは、かなり年季の入った一眼レフカメラだ。右に左に上から下へとぐるぐると角度を変えては、愛おしそうに眺めている。

「ねえ、それっていつ頃まで使っていたやつなの?」

「これか? さあ、いつだったかな? 相当昔だと思うんだけど、和樹かずきの七五三の時とかが最後かな?」

 訊ねる父に、母も「さあ?」と首を傾げては微笑む。二人がはっきりと覚えていないのでは特定のしようがないが、逆の見方をすれば、すぐには思い出せないほどに昔なのは間違いないということだ。

 仮に父の言う通りの時期であれば既に三十年近く前であり、それに、兄の七五三の時と言えば私はまだ生まれたばかりで、どうりでそのカメラに見覚えがないはずである。

「まさか三十年ものだとはね」

 母の淹れてくれた緑茶を一口、ずず、と啜る。それからニヤリと目を細める。

「ならそれ、結構なお宝なんじゃない?」

 茶化すように訊ねてみるも、父は「ん?」と首を傾げる。

「三十年どころじゃないぞ、なんせこれ、買ったのは母さんと結婚する前だからな」

「ウソ? そんなに古いの?」

「ああ。確か俺が二十五、六の頃かな? 実家の近くにカメラ屋さんがあってね、たまたまそこに中古で置いてあるのを見つけたんだ。当時はこいつが発売されてからまだ一年も経っていなかったし、何より俺の給料がまだ少なかったから、欲しいとは思っていても新品はとても手が出なくてね。だから、見つけた時はほとんど衝動買いに近かったんじゃないかな」

 慈しむようにレンズを撫でると、一つ笑ってからファインダーを覗き込む。

「確かそのカメラ、新婚旅行にも持って行ったものね」

 記憶が蘇ってきたのか母も会話に加わり、その後しばらくは両親の思い出談議に花が咲いた。


「ねえ、お父さん」

 飲み終わった湯呑み茶碗を下げるために母が席を立ち、一旦会話が途切れたころ合いで声をかける。先のカメラは今私の手にあり、先ほどまで父がそうしていたようにファインダーを覗いている。

「このカメラってさ、まだ使えるのかな?」

「さあ、どうだろうな? さすがに数十年触ってもいなかったわけだし――どれ、ちょっと貸してみろ」

 言われるままにカメラを手渡すと、父はファインダーを覗いてはレンズの胴体をぐりぐりと捻り、それからおもむろにシャッターを切る。すると「おお、切れた」と言いつつもいろいろいじっては、その度にシャッターを切っていく。

 そんな父とは対照的に、唖然とするのは私だ。思わず座椅子の背もたれから体を起こしては「ちょっと待って」と声をかける。

「お父さん、なんでそれシャッター切れるの? まだバッテリー入れてないじゃん」

 驚く私を尻目に、父は「そりゃ切れるだろ」と再びカメラのあちこちを操作しだす。すると、今度は背面の板がパカッと開き、それを覗き込んではフッ、と短く息を吹きかける。

「こいつは完全な機械式だからな。いわゆる電子部品を全然使っていないから、バッテリーなんていらないんだよ。それにしても驚いたな、長いこと使っていなかったっていうのに高速も低速もちゃんとシャッターが切れるし、裏蓋の中も綺麗なもんだ」

「てことは、まだ使えるの?」

 機械式云々の下りはまるでよくわからないが、とりあえず動くということだけは私にも理解できた。だからこそ、ご満悦気味な父に再度問うてみる。

「いや、そこはカメラだし、実際にフィルムを入れて写してみないことにはなんともな」

 言いながら今度はレンズを外すと、それを居間の明かりにかざす。

「うーん、少しカビが来てるけど、このぐらいなら許容範囲かな?」

 それからレンズを本体に組みなおすと、カメラは再び私に手渡される。

「ほら、お前もやってみろ」

 父に促され、ファインダーに片目を添える。覗いてみたそこは、目で見る景色よりほんの少し暗くて、ピントが合っていないせいか全体にぼんやりしている。

「左手をレンズに添えて、真ん中のあたりを左右に回してみろ」

「真ん中あたり?」手探りにそれを探す。「あ、動いた」

「そしたら、ファインダーの中心に縦線の入った小さな丸があるだろ? その丸の中でピントが合うように、さっきのところを左右に回して調整するんだ」

 父に言われた通りにレンズをぐりぐり回すと、ぼやけていた輪郭線が次第に鮮明になり、中央の丸の中でずれていた対象物が、ある点でピタリと噛み合う。

「お父さん、ピント合ったよ」

「ならレバー――右手の親指のところな。それを手前に一杯まで引いてみろ。それでシャッターが切れるようになるから」

 ようやく合わせたピントがズレないよう注意しながら、慎重にレバーを一杯に引き、次いで人差し指でシャッターを押し込む。もっぱらスマートフォンでの撮影に慣れてしまった身からすれば、随分と押し応えがあり、大げさとも言えるほどのストローク。

 パシャン、カメラが鳴る。

 同時に、ファインダー越しの景色が点滅するように一瞬だけ暗転する。

「どうだ?」

 ファインダーから目を切った私に、父が言う。

「悪くないだろう?」

 口角を持ち上げつつ、両腕を組んではどこか自慢げに笑う父に、私は自然とこう言っていた。

「お父さん、このカメラ、私にちょうだい?」


 以降、そのカメラは私のものとなった。

 とはいえ、生まれてこの方、カメラといえばデジカメかスマートフォンに標準搭載されたものぐらいしか触ったことのない私だ。使い方はおろか、フィルムに至っては買ったことすらない。

 そこで、実家から帰るその足で本屋に寄っては、初心者向けのフィルムカメラのハウツー本――探せば案外に見つかるものである――を買った。加えてネットを駆使して使い方も覚え、早速次の休みにはフィルムも購入し、意気揚々と試し撮りに出掛けたのだ。

 近所の公園に、駅前の商店街。

 フェンス越しの中学校の校庭に、歩道橋。

 よく晴れた空に、一日中陽の当たらないビル影の路地。

 雨上がりの水溜りに、行き交う雑踏。

 それまで気にも留めていなかった日常風景が、ファインダーを通すと驚くほど魅力的に思えて仕方がない。

 もちろん、私自身が変わったわけではない。あるのは、レトロを通り越してクラシックとも呼べるほどの、もうすぐ製造から半世紀を生きてきた年代物のカメラだけだ。

 でもそれが、こんなにも世界の見方を変えてくれる。

 その日、三十六枚撮りのフィルムを使いきるまで、その一瞬一瞬が新たな発見の連続だった。

 そうして撮り終えたフィルムを現像に出し、合わせて全てプリントも依頼した。思えばこのプリントに至る前の現像という過程も、デジタルに慣れ親しんだ身には新鮮の一言に尽きる。

 そういえばこの日、近所の量販店で午後六時頃に現像を依頼したのだが、仕上がりが後日になると聞いて驚いてしまった。なんでも昔は店舗で行っていた現像作業だが、今では扱う件数が少ないために外注に出しているので、午後三時以降の受付だと最短でも翌日仕上げになってしまうとのことだった。

 明けての翌日。果たしてそれは、数十年振りとは思えないほどに鮮明な画を写してくれていた。

 知識はもちろん、技術も言うに及ばない。デジカメやスマホであれば今まで何百枚と写真を撮ってきたし、そこからプリントしたものだって何枚も見てきた。

 それでも初めてそのカメラで、それも時代遅れと呼ばれてしまうであろうフィルムで撮った三十数枚の写真たちは、確かに私の琴線を震わせた。

 以来、休日に出かける私の肩には、いつもそのカメラのストラップがある。


 このカメラで写真を撮り続けていくうちに、気づいたことがある。

 それは、シャッターを切るのには勇気がいるということだ。

 何を馬鹿なことを――ともすれば一笑に付されてしまいそうだが、それは、昨今のデジタル製品に慣れきっているからだろう。

 父に譲ってもらったそれは、製造年式が年式だけに、現代の製品であれば当たり前のように付いている機能のほとんどが付いていない。備わっているのは、あくまでも美しく撮影するための必須機能だけであり、その上それらの設定、操作は全て手動で行わなくてはいけない。

 フィルムの感度選びから始まり、撮影時には適正露出を求めるために、決して明るいとは言えないファインダーを覗きつつも、内部に設けられた露出計の針とにらめっこしてはレンズの絞りとシャッタースピードを決めていく。

 じりじりとピントを手動で合わせ、その上で手触れが起きないよう、カメラ本体と自分自身をしっかりとホールドする。

 しかる後に、ようやくシャッターを切ることができるのだ。

 自動露出やオートフォーカス機能が当然で、そのすべてがボタン一つに集約し完結する昨今とは大違いである。さらには、それだけの工程と時間をかけて撮影した一枚ですら当然のように失敗の可能性を秘めているし、なんといってもフィルムカメラの場合、実際に現像してみるまで撮影画像を確認できないので、失敗したのかどうかもわからない。

 なればこそ、もしもに備えてもう一枚、二枚と露出を変更して撮っておくべきなのだが、生憎とフィルムは無限ではない。メモリーを消去すればいくらでも撮り直せるデジカメとは違い、一度感光したフィルムは不可逆であり、つまりは一枚当たりにかかる単価の桁がまるで比較にならないのだ。

 それこそ「なんとなく撮ってみようかな?」くらいの気持ちでレンズを向けた時ですら、シャッターを切るその瞬間だけは、いつだって息を飲む。

 だから勇気が――ほんの少しとはいえ――いるのだと思う。


 先の帰省時、母の思い出した「そのカメラ、新婚旅行にも持って行った」の発言をきっかけに、渋る両親を説得してその時の写真を見せてもらった。

 旅行先は京都。

 他のアルバムよりも少しだけ豪華な装丁のそれを開くと、そこには当時の、今の私よりも若い母の姿が写っていた。その日は「お母さん若いなあ」くらいの感想を抱いていた私だが、いざ実際に自分がカメラを持ちそれを写す側、要は父の側の立場になったことで気づいたことがある。

 アルバムに収められていた写真は、そのほとんどが母を写したものであり、二人で写っているものは数えるほどしかなかった。そのことを先日はまるで疑問に思わなかったのだが、このカメラを知った今、ひどく得心がいっている。

 何故って、これは、知っていないと使えないものなのだ。

 道行く誰かを捕まえては「すみません」と声をかけ、スマホを差し出しては「写真撮ってもらえませんか?」の一言で気軽に写してもらえる現代とはわけが違う。

 だからこその母の写真であり、父は常に撮る側に回っていたのだろう。

 ただ、それに気付いたからこそ、素敵だとも思った。

 それは、旅程に対する写真の枚数の多さである。

 きっと当時の父は、京都の町の行く先々で母に声をかけ、今の私がそうする様にレンズを向けては、照れる母も構わずにファインダーを覗いていたのだろう。そうして、少しでも母を綺麗に写そうと、二人の思い出を残そうと、ためらうことなくシャッターを切り続けたに違いない。

 それこそ、フィルムの残り枚数などまるで気にすることもなく。

 当時と今、時代の流れによる技術革新により生じたシャッター一回、写真一枚に込められた思いの違いを知ることができた今だからこそ、新婚当時の両親の様子に思い至ることができた。


 もし叶うのであれば、私もまた、そんな思いでファインダー越しの私を見つめてくれる人と出会いたい――ファインダー越しに見上げた秋空の深さがそんな理想を想起させる。

 でも、仮に。

 まだ見ぬ彼方に出会っていない以上、あくまで仮定の域を出ない話ではあるのだが、もし、仮に。

 父が母を写したカメラで、娘である私もまた写真を撮ってもらえたならば――。

 浮かんだ想像に思わず口元を緩めては、向けたレンズにピントを合わせる。

 そういえばカメラの使い方を覚えてからというもの、やはり最新式が如何なるものかと何度か家電量販店に足を運んでみた。以前であれば特価と銘打たれたプライスシートぐらいにしか興味を引かれなかった私だが、今となってはその脇に添えられたスペックシートの数字を理解できる程度には詳しくなってきている。そうして何機種かを比較していくうちにわかったのだが、やはり現行機の性能は素晴らしいということだった。

 例えば撮影機能の一つにシャッタースピードの設定があるのだが、今ではセンサーの高感度化に伴い、その設定可能な値も驚くほど高速になっている。それこそものによっては、八千分の一秒という超高速でのシャッターを実現している。

 対して私の愛機といえば、その最速値は千分の一秒。現行機の僅か八分の一の速さしかない。これはフィルムの感度の限界値がデジタルのそれよりもずっと低かったことと、シャッターそのものが物理的な幕であり、またそれを作動させる機構的な限界もあってのものだろう。とはいえ、一秒、一分、一時間といった単位の時間感覚で生活している私達にしてみれば、そのどちらも刹那の時に違いない。

 そして、どちらも一瞬にも満たない僅かな時間であるのならば、私は父からもらったこちらを選びたい。何故なら、光を焼き付けられたフィルムの不可逆性こそ、過ぎ去っていく今を切り取っていると実感できるからだ。


 流れ去る一瞬に潜む、刹那の美しさよ。

 そうして私はふっと息を止め、僅かばかりの勇気を指先に込めては、今日も刹那を切り取っていく。

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刹那を切り取って 水澄 @TOM25

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