保健室探偵・高円寺愛衣の推理ノート
須崎正太郎
保健室探偵・高円寺愛衣の推理ノート
午前10時。
あたし、
『3日前に返却された、国語のテストの点数を発表する。
芝浦勝真、99点。
結月奏、96点。
牧原凜太郎、90点。
若橋さくら、88点
……』
黒板の上に取り付けられた放送スピーカーから、みんなの成績が告げられていく。
教室中が一斉にざわついた。
担任の安木先生は、スピーカーを見上げたまま固まってしまうし、クラスのみんなは「なにこれ」「僕の点を出すな」なんてパニックになった。
そのとき、
「放送室だ!」
そう叫んで、教室から飛び出したのは芝浦勝真くんだった。
さらに、我に返った安木先生が続いて駆け出す。
「おい、お前たちは教室に残れ」
安木先生はそう言ったけれど、あたしたちはもう止まらない。
A組の生徒みんなで、放送室に向かって走った。
けれど、放送室には誰もいなかった。
ただ、放送マイクの前には白い紙が一枚置かれてあった。
『テストの結果が人間のすべてではない』
パソコンで書かれた文章だった。
2年A組、テストの結果強制発表事件。
この事件は、発生の1時間後には、もう学年中の噂になった。
いったい誰が、どうやって、みんなのテストの結果を知ったのか?
なぜ、点数を発表したのか?
あたしたちはすぐに放送室へ駆けつけたのに、影も形もなかったのはどうやったのか?
しかもあの発表は、2年A組にしか放送されなかった。
「誰がやったのかな。個人情報を発表されて嬉しいひとなんていないのに」
「でも結月さんはいいじゃんか、96点だし。僕なんか58点だ」
「お前、図書委員長がそんな点で大丈夫かよ」
「芝浦は99点か。あいつ、あんなに頭よかったんだな」
「って言うか、点数の問題じゃないよ、これは」
「犯人を見つけようぜ。午前10時に放送室へ行けるやつは誰だ」
昼休みには、もうみんな、事件の話題で持ちきり。
無理もないけれどね。……そしてここで、ある人物の名前が飛び出した。
「高円寺さんがやったんじゃないの?」
その名前が出てくると、クラスは静かになった。
2年A組のクラスメイト。
けれど保健室登校をしていて、教室には出てこない女の子。
――いつも保健室にいる彼女なら、午前10時に放送室に出向くことは可能だ。
――動機はみんなへの嫌がらせ。クラスメイトとうまくやることができないから、それに怒ってテストの結果を発表したのだ。
そんな論調が、クラスの主流になった。
こうなると、あたしはムッときて、
「やめなよ。愛衣はそんなことする子じゃない」
みんなに向かって反論した。
あたしと愛衣は保育園からの幼馴染みだ。
愛衣を信じている。
「それに愛衣がどうやってみんなの点数を知るの? 不可能でしょ」
「だけどアリバイがないの、高円寺だけだぜ」
「他のみんなは教室にいたもんね」
みんなは、愛衣が犯人だと思い始めている。
こういうの大嫌い。よってたかってひとりを攻撃するみたいな流れ。
冤罪だ。
愛衣は犯人じゃない。
絶対に、真相は別にある!
5時間目と6時間目の間にある、10分休憩。
その間にあたしは、保健室へと出向いた。
保健室には、先生がおらず、愛衣だけがいた。
背中まで伸びた長い黒髪――ここまで髪を伸ばしたら、束ねないと校則違反なんだけれど、そんなことはお構いなしって感じで、愛衣は机に向かっている。
「勉強してるの?」
愛衣の背中に声をかける。
「してるわけないじゃん」
彼女は振り向きもしない。
声をかけたのがあたしだって、分かっているんだよね。
この学校で愛衣に話しかけるのは、先生の他にはあたしだけだから。
「ゲームのクロスワード、やってるの」
確かによく見ると、愛衣はスマホでクロスワードを解いていた。
愛衣はパズルやクイズなど、頭を使ったことが得意だ。学校の成績だってすこぶるいい。
テストだって、保健室で受けているのに、いつも90点以上だ。
それなのにクラスメイトと関わりをもたず、保健室でスマホをいじって遊んでいる。先生がいるときは、さすがにスマホをやめているけれど。
みんなはそんな愛衣を「ずるい」と言う。
だから、なにか揉め事が起きると真っ先に愛衣が疑われる。
「愛衣。事件が起きたの」
「みんなの成績が放送室から発表されたって話なら、保険の先生から聞いた。言っておくけれど、犯人はウチじゃないよ」
愛衣は、スマホに向かったまま答える。
「さくらなら知ってるでしょ。ウチが学校に来るのはこの時間だけってこと」
そう。保健室登校といっても、愛衣が学校に来るのは5時間目と6時間目の間にある10分休憩のときだけだ。他の時間はずっと家にいる。
「あたしは知ってるけれど、他の子は知らないもん。愛衣が5時間目のあとにしか学校に来ていないってこと」
「じゃあ、みんなに言ってよ。愛衣はこの時間にしか学校に来てないって。でも、言っても無理か」
愛衣は、やっとあたしのほうへ向き直って、
「事件が起きたときに疑われるのは、アリバイがない人間よりも、みんなの嫌われ者だもんね。これ、人間の心理。仕方がない、仕方がない」
肩をすくめてから、笑った。
あたしからすると笑いごとじゃない。
「ひねてるなあ。だめだよ、そんなの。犯人じゃないなら、違うって自分でちゃんと主張しなきゃ」
「……それもそうだね。ごめん、さくら。ウチ、いつもこんなので」
ここで素直に謝るのが愛衣のいいところ。
根はものすごくいい子。けれど、反射的にひねた言葉ばかり出しちゃうし、謝ったりお礼を言ったりするのも、すごく仲がいい相手にだけ。
だから、みんなに誤解されている。
それがあたしには、心底もどかしい。
「自分の無実は自分で晴らすよ。事件はウチが解明する。A組のみんなにも、犯人だと思われっぱなしじゃ癪だもんね。……ああ、でもウチ、もうすぐ帰っちゃうから」
愛衣は掛け時計を眺めて言った。
10分休みのうち、もう5分が経っていた。
なるほど、確かにそろそろ愛衣が帰る時間だ。でも、
「いまは家に帰るどころじゃないよ。事件を解決しないと」
「だって、家に読みたい本があるから。……大丈夫、さくら」
愛衣は、毛先を指で丸めながら、
「この事件、5分もあれば解決できるよ」
事件を整理すると。
午前10時、2年A組の放送スピーカーからテストの点数が放送された。
とても低い声だった。誰の声かは分からない。
放送されている最中に、先生も含めたクラスのみんなで放送室に駆けつけた。
けれど放送室には誰もおらず、『テストの結果が人間のすべてではない』とパソコンで書かれた手紙が置かれてあった。
あたしが事件のあらましを、改めて説明すると、愛衣は「ふんふん」と何度もうなずきながら、毛先をまた丸めた。
これは考え事をしているときの、彼女の癖。
けれど、あんまり見事なストレートだから、何度丸めても愛衣の髪先はちっとも痛まない。正直、羨ましい髪質。
「はい、分かった」
「分かった? 事件が?」
「うん。最初の謎は推理できた。まずこの事件、犯人はどうしてみんなの点数を知っているのかが謎だよね? でもこれは簡単。テストの答案が返却されている光景を、盗撮したらいいんだよ」
「盗撮!?」
「中古の安いスマホをいくつか買って、教室のあちこちに置いて、動画を撮影したらいいの。そしてみんなが学校から帰ったあと、スマホを回収して動画を見たら、全員の点数が分かるじゃん。教室の後ろから撮影したら、もうバッチリだよ」
「どうして、そんなことが分かるの?」
「みんなの点数が分かるなんて、先生じゃない限り、盗撮でもするしかないじゃん。そしてもうひとつ。犯人がしゃべったみんなの点数の中に、ウチがいなかった」
愛衣は、にやにや笑いながら言った。
「ウチ、国語は97点だったんだよ? なのに点数を読まれなかった。つまり犯人は職員室で答案を見たわけじゃなくて、教室で見たことになる。ウチは保健室で答案を受け取ったから、盗撮できなかったんだろうね」
そう言われたら……。
成績が良い愛衣の点数が、放送されなかったのを不思議に思っていたけれど、そういうこと?
「じ、じゃあ、次の謎。テストの点数を放送した犯人はどこへ消えたの? 教室から放送室まで駆けつけるのに、1分くらいだったのに、手紙まで書いて消えちゃうなんて」
「手紙なんか、その場で書かなくていいじゃん。あらかじめパソコンで書いておいたものを、放送室に置いておけばいい。……例えば午前7時に登校して、誰もいない放送室に置いておけばいいでしょ」
愛衣はスラスラと答える。
保健室から一歩も出ていないのに、まるでその景色を直接目の当たりにしたみたいに。
「手紙があるから、みんな放送室に犯人がいたと思っちゃう。けれどウチの考えじゃ、犯人は最初から放送室にいなかった。朝早くに放送室までやってきて、手紙を置いて、そこから一度も放送室には来ていない」
「それはないって! だって声はスピーカーから聞こえてきて――」
「本当にスピーカーから聞こえたの?」
愛衣の声が、静かな保健室の中に響いた。
「教室のスピーカーは黒板の上にあるよね。安木先生の身長よりも高いところに。つまり、スピーカーの上に物があるかはみんな、よく見えない。そこに平べったいスマホを置いて、音声を流したとしたら?」
「でも、音声が流れ始めた午前10時は授業中だったよ。誰もスピーカーの上にあるスマホを触ったりなんかできなかった」
「それも簡単。収録を開始して、最初は無言。やがて収録から3時間後にテストの点数を読み上げた音声データを作ればいい。
その音声を再生状態にしたスマホを、午前7時にスピーカーの上に設置する。そうすれば午前10時に成績の読み上げがスタートする。もちろん、声がそのままだったらバレちゃうから、その音声はあらかじめ加工しておく」
愛衣の推理を聞いているうちに、あたしはぞっとした。
すると、つまり――
「犯人は、クラスの中に……」
「当たり前じゃん。そもそも放送が、A組のスピーカーからだけ聞こえたっていうのが、ウチは最初から妙だなと思っていたんだよね。犯人は間違いなく、クラスの子だろうなと思ってた」
「愛衣、教えて。犯人は誰? もう分かっているんでしょ?」
愛衣は、ちょっと困ったような顔をして、
「最初に『放送室だ!』って叫んだひと」
毛先を忙しく丸めながら、答えた。
あたしは、はっとした。
最初に『放送室だ』と叫んだひと。
そのひとの名前は――
「芝浦勝真くん」
クラスの中では、おとなしいほうの生徒だ。
背も小さいから、クラスの男子から、よくからかわれている。
「そう。芝浦くんの叫び声と置き手紙のせいで、みんな、放送室が事件現場だって思い込んじゃったんだよ。現場はずっと教室なのにね」
「芝浦くんが、なんでこんなことを……」
「点数を見せびらかしたかったんでしょ。彼、99点らしいから」
愛衣は事も無げに言った。
「テストの点数ってさ、わざわざ人に見せびらかしたりしないじゃない。たとえ100点だったとしても。けれど彼はそれが不満だった。せっかく良い成績をとったんだから、みんなにもっと見せびらかして、頭がいいと言われたかった」
「そんな。手紙には『テストの結果が人間のすべてではない』って書いてあったのに」
「それはカモフラージュだよ。そうしておけば、成績がいい芝浦くんに疑いはいかないでしょ。……現実には、その手紙こそが彼の動機をもっとも表現しちゃったけれどね。彼はむしろ『テストの結果がすべてだ』って叫びたいんでしょ」
「なんで。どうして愛衣はそこまで分かるの?」
「分かるよ」
愛衣は、目を伏せた。
「同じ劣等生だから。自分の得意なところをみんなに見せつけて、いい気分になりたいって気持ち、よく分かる」
愛衣は掛け時計を眺めた。
推理開始から、ちょうど5分が経っていた。
つまり、愛衣の帰宅時間だ。
愛衣はカバンを持つと、黒髪を翻した。
「あとは任せたよ、さくら。放課後になったら、芝浦くんがスピーカーの上にあるスマホを回収すると思うから、その現場を押さえてね」
放課後になった。
あたしは担任の安木先生とふたりで、教室の近くに隠れていた。
しばらくして、無人となった教室に、芝浦くんが入っていくのが見えた。
「芝浦くん」
あたしは部屋に入ると、声をかけた。
芝浦くんは、机を黒板の前に動かして、スピーカーの上に手を伸ばしている真っ最中だった。
その手の中には、スマホがあった。
なにもかも、愛衣の推理通りだ。
「君がやったんだね?」
あたしがそう言うと、芝浦くんはゆっくりと机の上から降りてくる。
そして、その場に膝を突いて泣き始めた。
事件は解決した。
流れも動機も、すべて愛衣の推理通りだった。
「僕は弱いから、いつもクラスのやつらに馬鹿にされていて悔しかったんだ」
芝浦くんは泣きながら、あたしと先生に向かって語った。
「だからみんなに凄いと思ってほしかったんだ」
確かに彼は凄い。成績もいいし、それにこんな事件を巻き起こすなんて。
愛衣がいなかったら、危なかった。スマホを回収されていたら、もう事件の証拠は残っていないんだから。
安木先生は、「気持ちは分かるが」と言ってから、
「クラスの連中が、芝浦をからかうのは良くないことだ。そこに気付かなかったのは先生の不注意だったし、みんなには今後、よく指導する。……けれども」
先生は、声を低くして、
「芝浦。君のやったことは間違っている。みんなの答案を盗撮して、プライバシーである点数を発表した」
「そうだよ。それに、もしこの事件を愛衣が解き明かしていなかったら――みんなは、愛衣が犯人だと思っていたんだよ。無実のひとが罪を着せられていたんだ」
あたしには、それが許せなかった。
「反省して。芝浦くん」
芝浦くんは、また泣き崩れた。
翌日、保健室にて。
「朝の全校集会で、事件は解決したって安木先生が発表したよ。犯人の名前は出さなかったけれど、愛衣じゃない、とも断言した。……でも、芝浦くんが欠席したから、みんな犯人は彼だって分かってる。もしかしたら転校するかもって噂よ」
「ふうん」
愛衣は、スマホをいじりながら、
「やったことがやったことだからね。盗撮なんてマズすぎるし。……でも、転校か」
髪の先を、また丸め始めた。
「ウチのやったこと、悪いことじゃないよね?」
「悪いことないよ! あのままじゃ愛衣が犯人扱いだったんだから」
あたしがそう言うと、愛衣は「うん」と小さくうなずいた。
「さくら、ありがとう。最初からウチのことを信じてくれて」
「当たり前でしょ。ほんと凄かったよ。この部屋で事件の全部を解明したんだから。愛衣、将来は探偵になったら?」
「探偵かぁ」
馬鹿にされるかと思ったけれど、愛衣はそれも悪くないって感じで、目を細めて、
「いいね。それ、いい。うん、将来の夢ができた」
スマホをポケットに入れると、あたしに白い歯を見せる。
「ウチ、探偵になるわ。どんな事件も、5分で解決できる名探偵に!」
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