スイングバイ

ババトーク

スイングバイ

この星には なんにもない

そしてそれが ぼくらのすべてだ

ありったけの英知をロケットに

つめこんで さぁ スイングバイ


地球はもうぼくらの手の中さ

生めよ増やせよで ぼくらは地に満ちた

地表はもう 手垢まみれで

隠れる場所すらないよ


ぼくらはいつも高みを目指していた

外の世界に憧れた

家からこどもが 街から若者が

巣立つように いまぼくら星を発つ


惑星間に 航路をたどり

星の重力を手にしたら

強く抱きしめもせず 手を放して

遠くへと飛ばせ スイングバイ



遅れて生まれてきた冒険家は

空白のない地図を見て天を仰ぐ

その視線の先の 空の先へと

いつか 旅立つだろう


ぼくらはいつも高みを目指していた

外の世界に憧れた

大地を離れ 故郷を離れ

国を離れ そしていま星を発つ


この星には なんにもない

そしてそれが ぼくらのすべてだ

ありったけの英知をロケットに

つめこんで さぁ スイングバイ


くりかえすたびに 遠ざかり

宇宙の闇へと消えていく

加速する ロケットの中で 振り返ることに

意味は ないけれども


あの星には なんにもない

そしてあれが あれが ぼくらのすべてだ

宇宙を巡り 音よ届け

人の世よさかえあれ スイングバイ

人の世よ栄あれ スイングバイ


 *


 電子の歌姫が宇宙港のロビーで歌い終わる。古びたジュークボックスの音が鳴りやむのと入れ替わりに、そこかしこから拍手が鳴り響く。

 

 幼馴染の遊子ゆうこは新しい星へと移住することに決めたという。

 今日の24時に出発する第177番便の星間移民船に乗り、15.9光年先の何とかという星に行ってしまう。

 現在僕らは15歳。無事に向こうに着いたときは、45歳くらいになるとか。


 まあ、人生の大半をその船の中で過ごしたいのなら好きにすればいいんだ。


 僕は見送りになんか行かないと言った。本気だった。でも両親に無理やり縛られて、比喩ではなく本当に手首足首を縛られて、宇宙港まで連行された。初めて体験する道中の渋滞、不便な駐車場、縄目のついた僕の手首足首、厳重なセキュリティ、この国のどこにこんなに住んでいたのかと思うくらいの人ごみ、泣く人や抱きあう人の脇を通り抜ける居心地の悪さ、先ほどの歌、そして隣に座る幼馴染、要するに、ここに至る何もかも、ここにある何もかもが、僕をイライラさせていた。


「古い歌だよ」僕はそう言った。「世界の人口は減り続けてるってのにさ」

「最近耳にするの、この歌ばっかりだよね」

「みんなが宇宙に行きたがるからさ」

「スイングバイって授業で聞いたよ。引き寄せる力で遠くまで行けるんだって」

「知ってるよ。同じ授業受けてるんだから」

「ロケットも動画で見たよ。鉛筆みたいに細長いの。それで昔は宇宙まで飛んで行ってたの。ゲームでも見たことある」


 両腕を伸ばしてロケットを真似する遊子の隣で、僕も同じジェスチャーをした。そうすると遊子が笑ってくれるから。


 地球の人口は、数億人まで減少していた。これが今の人類の数だ。昔はもっともっと多かった。それこそ僕らが地に満ちるほどに。


「昔に比べれば地球はスカスカだから、わざわざ外に出ることはないんだ。馬鹿だよ。みんな」

「お父さんが言ってたよ。人類は老いてるんだって」


 その先は嫌になるほど聞かされた。

 地球は老い、人類は種としてのピークを過ぎていた。今はゆっくりと衰退期を進んでいる。出生率が下がり、人口が減り、労働力人口が減り、平均年齢が上がり、自存できない地方都市は国からの助けもないまま、そこに至る道路ごと地図から消えた。

 この国では、そこかしこに植物が繁茂していた。それはアスファルトとソーラーパネルと全国チェーン店の看板を航空写真から覆い隠し、自治体も企業も、特に断りもなくその役目を放棄していた。

 

 少ない人数で生活をやりくりしなければならなかった。あらゆるものが合理化され、集積化され、効率化された。科学と技術とときどき人文学が、不足する労働力の穴を埋め、不都合の溝に蓋をした。それでも、インフラや流通を保つのは困難を極めていた。


 人類は、かつてできていたことができなくなっていた。文化財からカセットテープに至るまで、適切な管理、保護、記録に失敗していた。知識の幾つかは世代を超えることができなかった。ロケットだって、今はもう作り方がわからない。補修すべき橋梁のボルトは、在庫も製造メーカーもなくなっており、図面の読み方がわかる者はいなくなっていた。他にも色んなものが失われた。僕らは根絶したはずの病気に冒され、開け方のわからないドアの前で立ちつくした。仕組みのわからない機械を壊れるまで利用し、位置情報が不明の景勝地の名前だけを勉強で学んだ。大量生産時代の在庫が尽きれば別の代替品を探し、適当な代替品がなければ途方に暮れるのだった。


 人類は、ある種の感情すら忘れたのだと冗談が交わされた。諸々について、失われたことすら、忘れたことすら僕らは気が付いていないのだという。

 

 そして、なけなしの英知を宇宙船に詰め込んで、人類はもう一度若返るため、フロンティアを目指すのだという。開拓者精神よもう一度、未知への好奇心よ、歩みをやめない筋肉よ、人類を若返らせたまえ!

 そんなスローガンに乗っかった連中が、人の世の栄をかけて宇宙を旅するのだ。


「正気を失ってるよ。古い家から新しい家に引っ越せば、若返ると思ってる」

「でも、星間移民船の完成は、すごいと思った。ああいう熱気はいいと思う」

「全員地球からいなくなっちゃえばいいんだ」


僕は吐き捨てるようにそう言った。


「そんなこと・・・・・・」

「そしたら関東平野を全部田んぼにしてやるよ。道路もスカイツリーも中華街も筑波山も、全部ひっくり返して泥んこにしてやる。遊子んちは巨大な耕運機の駐車場にしてやるんだ」


 遊子は笑い、そして、寂しそうに「連絡するよ」と付け加えた。

 それが難しいことはわかりきっていた。過去176回、別れの儀式がここで行われ、こんな約束がその何倍もの数、ここで交わされた。そして、多くの人々は1年以内に連絡することをやめている。遠ざかる宇宙船はひたすら時差を生み続けた。時差は壁のようになった。情報を交換したい人々は、待つことに倦み、飽きた。人々は、時間は有限であり、待ち続けるほど人生は長くないと、老人のようにして諦めるのだった。


「みんなそう言って、連絡をやめたんだ」

「それでも、連絡して欲しいし、写真とかも送って欲しいな」


 遊子の右手が僕の左手を握った。


「強く抱きしめもせず、手を放して、遠くへと飛ばせ、スイングバイ、か」

「そんな言い方・・・・・・」

「駄目だったかな?」

「そうだよ」

「遠くへ飛んでいくのは本当なのにね」

「そんなこと・・・・・・」


 遊子にはいつも笑っていて欲しかった。遊子が悲しい顔をすると、僕も悲しくなった。わざわざ無理やり連れてこられて、こんな意地悪なことがしたいわけじゃないんだけど。

 僕は、モヤモヤする気持ちを抑えつけるため、こう尋ねた。


「地球での生活は楽しくなかったの?」

「それは、楽しかったよ」


 僕も遊子も自分のつま先を見ていた。宇宙港に入るときに、履き替えさせられた白い靴がブラブラと揺れていた。疫学的に、新天地に地球の土は無許可で持ち込めないのだとか。何だかそのことも僕をイライラさせた。


「この国や故郷はイマイチだった?」

「そんなことないよ。停電も断水もあったけど、でも、どうってことないよ」

「僕のことは?」

「好きだよ」


 遊子はそう言った。その目は僕をじっと見つめており、やがて彼女の目から涙がぽろぽろとこぼれた。僕は意味ありげに、握っていた手をさらにぎゅっと握った。僕も遊子をじっと見つめ返した。おでこがくっつくらいに近付いて、こう言った。


「好きって?」


――ここに来る以前にも、僕は遊子から「好きだよ」という言葉を聞かされた。僕はピンと来なくて、「ああ、そう?」と聞き流したらしい。でも、この話は、遊子がすごく悲しそうな顔をしていたことを思い出すから、あんまり話したくない。


 そして今、遊子はまた悲しそうな、今度はより一層悲しそうな顔をしているのだった。


 ああ、でも、意地悪をしたいんじゃないんだ。好きって何だっけって、本当にそう思ってるんだよ。


 *


 人類は種として老いていて、いろんなことを忘れてしまった。

 オンライン学習で習ったことがある。昔はもっとたくさんの歌や詩、漫画、絵画、映画があった。多くの歌が録音され、多くの詩と小説が印刷され、多くの漫画や絵画が描かれ、多くの映画が作成された。芸術の多くは愛や恋をテーマとしていた。人類はそれしか関心がないんじゃないかってくらいに、それはもうたくさん。そして人々はそれを見聞きした。どの時代の人々も。どこに生きていようとも。どんな生き方をしていようとも。


 でも、それは失われた。少なくとも僕にとっては?


 名前の無い、名前を忘れてしまった感情や気持ちが、僕だけでなく、人類の胸中には秘められつつ溢れているのかもしれない。「イライラする」なら僕だって知っているんだけど。

 で、僕のこの気持ちを「好き」と呼ぼうじゃないかと、遊子が誘ってくれさえすれば、僕だって、はっきり言ってやれるんだ。いや、でも。この気持ちが本当は違う名前だったら?何せ、僕らは忘れてしまったことが多すぎるから・・・・・・


 *


「僕は遊子と離れたくないなって思ってるよ」


遊子を泣かせたくなくて、僕はそう言った。以前にこう言ったとき、遊子はほっとしたような顔を見せた。そのことを僕は覚えていた。


「ありがとう」


でもね、と遊子は続けた。やっぱり人類は老いてるんだ。感情を失いつつあるんだと思う。今の人類にとって都合のいい歌ばかりが残って、人の世よ栄あれと歌って、みんなが感動して泣いているのに、自分の気持ちすらわからないままお別れするなんて、そんなのっておかしいよ。でもね、だからこそ、人は若返らなきゃいけないんだと思う。旅に出なきゃって思うんだ。だってそれ以外に何ができるの?私には、この星がすべてで、そして、あなたがすべてなの。悲しくないわけがない。ずっと一緒にいた、たった一人の幼馴染だしね。


「僕だって、遊子がすべてだと思ってるよ。ずっと一緒に遊んできた。ほかに子供がいないんだもの。そして、これが僕らのすべてなんだって」


「それを愛って呼ぶの。きっと」


 そして24時が近付き、船に乗る人々は移動しなければならなくなった。家族に連れられて僕らは離れ離れになった。つないだ手は分かたれた。遊子は号泣し、僕もそれにつられて泣いた。あとは時差の壁がすべてを隔ててしまう。他の人々と同じように。おそらく永遠に。


 * 


 数年後。ある地方都市の廃墟。

 僕は朽ち果てて倒壊したビルの中から大量のCDを見つけた。丸い円盤に音楽が録音されている。携帯できるプレイヤーも一緒に見つかった。箱は蔦に覆われ、カビに覆われ、変な虫の巣になっていたけれど、まあ、試してみるもので、ちゃんと動くものも一つくらいはあった。

 この宝物はすぐに見つかった。つまり、こんなことをする奴がいないほど、僕たちの数は減っていたってことだ。


 でね。本当に、昔の歌って、恋愛のことばかりを歌っているんだ。手を変え品を変え。昔の人たちは、永遠に愛してるだとか、君は僕のすべてだとか、愛こそすべてだとか、私の人生はあなたなしではあり得ないとか、君は太陽とか、こんな大仰なフレーズを急いで口にし続けなければ、すぐに死んでしまう呪いにかかっていたかのよう。それをサビに持ってきて、繰り返し歌うんだよ。繰り返し。繰り返し。


 地球からはどんどん人が旅立っていく。独り占めできる空間は広くなる一方だけど、音楽を聞くのにそんなに広い空間はいらない。この星にはなんにもない。そして、それが、僕のすべてだ。


 あらためて思い出す。遊子との思い出も、故郷の思い出も、その感情も、確かに、あれが、あれが僕のすべてだったって。これは大仰じゃないよ。本当にそう思うんだ。で、ああ、この感情のことを、昔の人たちは繰り返し歌っていたのかって気が付いたんだ。


 今ならわかるよ。この感情のことを愛と呼ぼう。


 そして、引き寄せる力で遠くまで行ける、僕らを遠くに飛ばすことのできるその力のことも、そうだ、それも僕らは愛と呼ぼう。

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スイングバイ ババトーク @babatouku

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