フロストエンドガール

海鼠さてらいと。

フロスト・エンド

「……はあ」

私の口から大きく息が漏れた。最後にご飯を食べたのはいつだっけ。最後に外に出たのは?まあ、もう関係ないんだけど。

結露で曇った窓を指で擦って空を見上げると、厚い雲みたいなナニカが空をほとんど覆い隠していた。あれはきっと雲なんかじゃない。あの雲のような何かは定期的に雨ではなくて雪でもない、凍った塊を降らしてくるから。

「ユウリ、大丈夫?」

ふと、馴染みのある声を掛けられた。

「まーね」

私は振り返らず、自嘲気味に呟くように返す。それから後ろからかけられた声、妹の台詞を頭の中で反芻する。大丈夫?って。そんな言葉に意味なんて無いのは妹だって分かってる癖に。これから皆、滅ぶってのに。

「……ちゃんと食べなきゃ、死んじゃうよ」

妹はなおも優しい言葉をかけてくる。その暖かい言葉は私の中で凍りつき、棘となって深く刺さった。

というか、食べるものなんて無いじゃんか。

「いいよ、どうせもうじきだし」

拒絶するようにそう答える。

そう、もうじきだ。

この凍った世界で生き残ってる人間は今何人だろう。まぁ、関係ないか。

こんな世界で生きられる程、私は強くない。



ある日、世界は突然「凍りついた」。

理由?知らない。意味?分かんない。偉い人が原因不明って言ってる現象が、私なんかに分かるわけないじゃん。

あの日の午後三時過ぎ、私はいつも通り部屋の中で読書をしていた。何の物語だったっけ。そしたら突然、地面が揺れた。最初は地震かと思ったけれど、その直後に耳を劈く爆発音みたいな音がした。私は驚きと衝撃で床に突っ伏した。頭を強く打った私は訳も分からないまま闇に堕ちた。

それから、どうなったっけ。

意識を取り戻した先に広がった世界は、凍っていた。さっきまで騒いでセミの声がしない。外で遊んでた子供の声がしない、最初は夢だと思った。だって意味がわかんないじゃん。起きたら外にある物が、人が、空気が、全部凍ってるなんて。夢じゃないと理解した次は、死んだんだと思った。私は死んで、ここは地獄なんだと。でも、どうやらそれも違うらしい。

だって。この世界にはハルが、妹がいる。何にも無い私と違って、妹は良い子だ。成績はクラスでトップだし、運動だって出来る。それなのに自分に自惚れず、常に謙虚でいる。そんな子が、地獄に落ちたりなんかするもんか。

「ユウリ」

そんな事を思っていると、また妹が遠慮がちに声を掛けた。妹は私の事を「ユウリ」と呼ぶ。いや、そう呼ばせている。だって、妹は私には過ぎた存在だ。天才な妹に「お姉ちゃん」なんて呼ばせるような甲斐性、私にはない。

「どうしたの」

私はぶっきらぼうに言う。

「家の中の物、どんどん凍ってきてるよ……」

「ああ……そうだね」

氷が家の中に侵入し始めたのは先週ぐらいからだ。最初は玄関ドアが凍り、氷の層は3日もしないうちに床や壁に伝搬した。今はもう一階の全ては凍りつき、二階へ上がる階段を侵食し始めている。

「そ、そうだねって……お姉ちゃんは」

「ユウリ」

「ごめん……ユウリは怖くないの?このままだと死んじゃうんだよ」

何を言うのかと思ったら、そんなことか。

「怖くないよ」

「どうして」

「私には何もないから」

泣きそうなハルを半ば馬鹿にするように、言ってやった。ハルは俯くと、小さく、そんなことない、と言った。それが余計に頭にきた。私はおもむろに移動すると、部屋のドアを開けてやろうとした。

「何してるの」

一階へ降りようとする私を止めるハル。

「ここにいたってしょうがない。生きてたってどうせ絶望しか無いんだ。私もいくよ」

あの爆発音がしてから、まず外に居たお父さんが凍り付いた。無慈悲な氷はお父さんに触れたお母さんにも伝搬した。二人が凍り付いていくのを見て、私は助ける事も声を上げる事も出来ず、とにかく二階へ逃げたんだ。

それが間違ってた。本当は、私もあの時一緒に死ぬべきだったんだ。

「ダメ!ダメだよ!」

ハルは必死に私を呼び止める。その言葉の、心の温もりが、あの日から凍り付いた私の心を少しだけ暖めた…気がした。

「ユウリが凍ったら、私、どうしたら…!」

ハルは泣き乱しながら「いかないで」と言ってくる。しばらく無視していたけど。

私はため息をつくと、ぺたんと床に胡坐をかいた。

「あのね、ハル。私はもう行くべきなの。それにハルは賢い子だから、この状況でも生きられるよ」

私は長い後ろ髪を抑えながら、ハルを説得する。それでも分からず屋で寂しがりなハルは分かってくれない。

「はあ……困ったな」

私はあの日、心が凍った。それを触媒にして、手足が冷たくなっているのを感じる。

それに比べてハルはまだどこも凍ってない。私の氷がハルに移らないように。馬鹿な私なりに考えた結果なんだけどな。

「分かったよ」

根負けした私は乱暴に電気の通ってないコタツに足を突っ込む。それをみていたハルも私に倣う。電気もガスも止まった暗い部屋で、2人はただ終わりの時を待つ。


それから、1日、2日。

私達は無駄とも思える日々を延命した。

階段の凍結は日を重ねる毎にゆっくり、確実に凍り付き、私達の命をカウントダウンしていく。まあでも、関係ないけどさ。


ある時。

「ユウリ、それ」

ハルが震えた手で私の後ろ髪を指さす。

「ああ、気づいちゃったんだ」

上手く隠してたつもりでいたんだけど。

私の後ろ髪は既に半分以上、凍り付いていた。それだけじゃない。顔にも、足先にも、氷の欠片がところどころ張り付いている。私はもうじき、完全に凍り付くだろう。

「だからいったのに」

私は氷の張りついた指先でハルの涙を拭う。

指に触れた涙は凍り、私の一部になった。

「ユウリ、やだ、やだよ……」

泣いているハルの髪の毛も、氷がくっ付いている。私より酷くはないけれど、前まではこんなもの無かった。綺麗な髪だったのに。

私から感染させたのは紛れもない。

そして、いちど凍ってしまえば死を待つしかできない。だから、結果的に、妹は私が殺したことに、なるんだろう。

「ごめんね。私のせいで、あなたまで」

あの時ハルを振り切って無理やり死ねば、私は死ねて、ハルはもうすこし長生き出来たのに。私のせいだ。

「ユウリのせいじゃないよ」

ハルは小さく、そういった。

「私が本当に欲しいのは頭脳じゃない。名声じゃない。ユウリと、お姉ちゃんと笑って過ごせる日常だったんだよ」

「……ハル」

予想外の優しい言葉に、私は狼狽えた。凍った心が解凍されていくのを感じる。ハルは氷が張り付いた顔で、目いっぱい笑った。

「……はは、まだ全部凍った訳じゃなかったんだね」

ハルは私を抱きしめる。ぐしゃっと薄氷が砕ける音がした。体の凍結に反比例して、私の心は温まっていく。

「ねえ、ユウリ、お姉ちゃんって呼んでいい?」

「いいよ」

「お姉ちゃんは、氷が解けたら何したい?」

氷が解けたら、か。

そんなの決まってる。

「家族皆でさ、旅行したいよね」

お母さんとお父さんとハルと私。4人でのんびり、温泉にでも行こうか。

「いいね、それ!」

ハルは嬉しそうに笑う。

私の凍った手がハルを凍り付かしていく。ハルの鼓動が少しずつ弱くなっていく。私は目を閉じながら、絶望の中で妹と来るはずもない幸せな未来について語り合っていた。

「…ハル?」

それから……どれぐらい話しただろう。ハルから声がしなくなった。鼓動を感じなくなった。氷で重くなった瞼を開けると。

安らかな表情のまま、氷像になったハルが居た。

「ハル……そろそろ私も寝るよ。おやすみ」

私の流した涙は空中で凍り付き、砕けた。


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フロストエンドガール 海鼠さてらいと。 @namako3824

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