第3話
五〇億人の姿なき観衆が沸いていた。
地面に滑り込んだホタルゴゼンの右腕はねじ切れていた。アーマーは半透明化し、素肌のほとんどを見せている。
黒髪を乱したほたるの精神は血まみれだった。
ラ・ムルシエラゴは大岩に背を叩きつけられ、足を投げ出して地に座る形になっていた。
ホセはドローン・レスラーを起き上がらせようと急いで動作チェックを行っている。
ここはリングだ。
しかし四方にロープが張られたマットの上ではない。
固い岩だらけの荒野が、このジオラマのテーマだった。
戦場の中央にまるで巨人と恐竜の合成の様な巨大なドローレスラーが一体、いや一頭。
サイの様な角を生やしたザ・ビヘーモスははち切れそうな筋肉をモールドした巨体で勝ち誇りのポージング。身長はドローノイド二人分。人間に比べれば小さいが、ドローノイドにとっては仰ぐほど大きい。
「おーっと! ザ・ビヘ―モスは既に勝った気でいる! 立ち上がれるか、ホタルゴゼンとラ・ムルシエラゴっ!」アナウンサーの声は悲痛を隠さずに実況を絶叫する。「この二人のオーナー、山梨ほたるとホセ・エクスぺランドは、ドローン・プロレス協会、DPAが推進するKIZUNAシステムに対してはっきりとNO!を突きつけました! この交渉は決裂、DPAはそのまま引き下がるかと思われましたが、ここにKIZUNAシステム採用を賭け、DPAは用意したドローン・レスラーでホタルゴゼンとラ・ムルシエラゴと決闘させるという奇策にうって出たのです。……二対一の変則タッグマッチ! しかし、ここまで一方的になるとは誰が予想したーっ!?」
ホタルゴゼンとラ・ムルシエラゴは何とか立ち上がった。
一方的にダメージを受けている。
ホタルゴゼンは新装備のアーマーを身に着けていた。この新型の変色アーマーはストレス・メーターと同調し、受けた総ダメージ量に応じて透明化していく。いわば観客にも視覚的に被ダメージを解りやすくした脱衣アーマーだが、そのお披露目である今のホタルゴゼンは裸身をかろうじてベールが覆ったほどにまで透明化が進んでいた。
ラ・ムルシエラゴは左足を引きずっていた。人間ならば複雑骨折に値するダメージだ。
巨人レスラーは自分が一抱えするジオラマの岩を投げてきた。
それはかろうじてよけた・ラ・ムルシエラゴが立っていた地面で土煙をあげながら弾む。それはまさしく当たればドローン・レスラーを押し潰しただろう本物の岩だった。手に持って殴りかかりでもしなければ反則にはならないのだ。
といってそれを真似する気にはなれない。
ザ・ビヘーモスが吠えて突進してきた。
両腕を水平に開いている。
ダブル・ラリアット狙い。
観客が沸く。
猛然たる大パワーで突進してきたザ・ビヘーモスのラリアットを、ラ・ムルシエラゴは上方へ右足一本のバック宙でかわす。
ホタルゴゼンは攻撃を待って受け止める体勢。左掌を前に突き出す。
「受けきる気かーっ! しかし右腕がない! 無謀だぁーっ! 頭部破壊は一発敗北だーっ!」
雪崩の勢いで迫ってきた太いラリアットに、ホタルゴゼンは下から滑り込む様に左手を当てた。そして、まるで身体全体でまるで水の流れの如く受け流していく。左掌から左肘、左肩、左肩甲骨の上、そして首筋とまるで身体のラインに沿ってボールを滑らかに運ぶ様に、自分の何倍も重量がある巨体を軽軽と受け流した。
合気道。ザ・ビヘーモスの巨身が突進の勢いのまま、宙に浮いた。
そして地面に逆さに激突してもんどりうつ。その自重ならば地への衝突ダメージは多大だと予測出来る。
ホタルゴゼンとラ・ムルシエラゴは二人立ち、怪物ドローノイドの動向を見守った。
「もう立ち上がってくるなぁーっ!」
中立の立場を忘れて叫ぶアナウンサー。
だが、ザ・ビへーモスは地響きと共に立ち上がった。幾らかダメージはあっただろうが、それを気にする雰囲気すらなく攻撃姿勢に戻る。
第三ラウンド終了のゴングが鳴った。
インターバル。ホタルゴゼンとラ・ムルシエラゴは痛痛しい姿のまま、正しいマットではコーナーにあたる、オーナーの待機スポットへと歩いて戻った。
「よく頑張ったね、ホタルゴゼン」
VRゴーグルを着けたまま、ほたるは自分のパートナーに声をかけた。その声はホタルゴゼン自身が発する。右肩のジョイントを外して予備の右腕を装着するが、短いインターバルでは新しい腕の調整が出来ない。これではないよりマシ程度の復活しかない。
ホセはシリコン外皮をPナイフで切り開いて、折れた足の軸を急いで交換する。やはりないよりはマシ程度だ。外皮の修復はバッテリーを考慮して行わない事にする。
どちらにせよバッテリー残量から次のラウンドが最後になるのは確実だった。フォールされずとも破壊されずとも、バッテリーが切れれば敗北だ。
「ザ・ビヘーモスは帰る所なくその場でじっと自己診断と修復をしています! プレスリリースではザ・ビヘーモスはDPAと繋がりの深い軍事企業が兵器として開発している戦争用ドローノイドのプロトタイプ、実験機だそうです! 戦地で自律行動が出来るように操縦者を必要としない戦闘用AI搭載の人型ドローン! 実戦で使われる無人の殺人兵器を相手にして勝利はあるのか、ホタルゴゼン&ラ・ムルシエラゴ!」
「第四ラウンドまで一〇秒。レスラーはただちにコーナーアウトしてください」と合成音のアナウンス。
「ほたる、次のラウンドしょっぱなに二人で全力攻撃をかけよう」
ホセはほたるに声をかけた。ラ・ムルシエラゴの通訳で、だ。
彼女はその声を待っていたかの様に微笑んだ。「最初からそのつもりよ」なけなしのバッテリー残量でホタルゴゼンに発声させる。
「勿論、それはザ・ビヘーモスのAIに予測されているだろうけれども」
「そうでしょうね。でも、それしかないわ」
「最後まで悔いが残らないように」
「悔い?」とALSの少女。「勝つのよ」
最終ラウンドのゴングが鳴った。
少女レスラーとメキシカンレスラーは敵に向かってダッシュした。
怪物レスラーは余裕をもって二人を待ち受ける。
ホタルゴゼンは右へ、ラ・ムルシエラゴは左へと走る方向が分かれた。打ち合わせていたわけではない。即興だった。
ザ・ビヘーモスの挙動に迷いが生じた。しかし、すぐわずかにホタルゴゼンの方が距離が近いという観測でそちらを対物センサーがロックオンする。
その時、ラ・ムルシエラゴが彼女よりわずかに敵に近づいた。
ザ・ビヘーモスの最大脅威度がラ・ムルシエラゴに向く。ロックオンの優先度が入れ替わった。
するとホタルゴゼンの方がわずかに近づく。ロックオンが彼女へと替わった。
そしてラ・ムルシエラゴの接近。またロックオンが入れ替わる。
攻撃順位がまるで振動するかの様に入れ替わり続けた。
それはダッシュした二人のドローン・レスラーが敵に近づくまでの短い、数秒の出来事だった。
しかしザ・ビヘーモスは確かに迷った。攻撃が出来ないまま、二人の近接を許した。
ホタルゴゼンは巨体に肉迫した。
彼女を狙って、巨大な拳が繰り出された。
その拳は華奢な少女レスラーの右腕を吹き飛ばした。操縦するほたるも血を吐く様な苦痛を感じる。だが、彼女は最初から右腕を捨てていた。ストレス・メーターのダメージ値が跳ね上がる。ギリギリ敗北寸前で踏みとどまる。アーマーの透明化はほぼ限界。局部のみがかろうじて覆われる。
あの時と同じ様に彼女の滑らかな動きは新体操のボールの如く、ザ・ビヘーモスの巨体を身体に乗せた。
しかし軍事用AIの戦闘センスに同じ技は二度と通用しない。ザ・ビヘーモスのバランサーは空中で受け身をし、姿勢の有利を得る。
その有利を粉砕したのがラ・ムルシエラゴの、顔を掴んだ高い打点でのサマーソルトキック。ザ・ビヘーモスの顔面を捉えて、受け身を無効にする。
五〇億人の姿なき観衆が沸いた。
天地逆転。ザ・ビヘーモスの巨体は頭を下にして、空中高くに浮いた。だが、このまま地に激突させてもダメージは大した事ないのはすでに知れている。
ホセはほたるが何を狙っているのかを覚った。
二人のバッテリーは切れかかっている。最後のアクションだ。岩を蹴り上がる。
空中でホタルゴゼンがさかしまの下半身にとりついた。相手の身を腹で折り、膝を持って足を逆V字の形に固める。
ラ・ムルシエラゴがその下、逆さになった上半身にとりついた。背側から相手の腋を足で踏みしめる形になる。
巨獣レスラーを拘束し、空中で自由を奪う。ラ・ムルシエラゴがホタルゴゼンの太腿を肩で担ぐ体勢になってドッキングが完成する。
重力。ラ・ムルシエラゴのエア・バーニアが落下を加速させる。
アナウンサーの絶叫。「二対一の究極合体技っ! マッスル・ドッキングだぁーっ!」
二人はザ・ビヘーモスを逆さに固めたまま、大きな岩に頭頂から激突させる。
さきほどザ・ビヘーモスが投げつけてきた本物の重く固い岩。
股裂き。パイルドライバー。バックブリーカー。ネックブリーカー。着地の瞬間、大きな破壊音が轟いた。極めた正中線の関節全てに超ダメージ。
ザ・ビヘーモスの全ストレス・メーターがけたたましい叫びを挙げた。それすら足りないかとでもいう様に太い首が根元から裂け折れて破片をまき散らす。
怪物レスラーは頭部が大きく破断した。
レフェリー・システムは試合終了のゴングを乱打した。
「頭部破壊は完全敗北ーっ! 決着がついたーっ! 勝者はホタルゴゼン&ラ・ムルシエラゴのチャンピオン・コンビだぁーっ! KIZUNAシステムの運用拒絶! そんな物に頼らなくてもタッグパートナー同士、オーナーとドローン・レスラーの絆はとっくに結ばれている、と声高らかに宣言したーっ!」
五〇億人の熱気と歓声が会場に叩きつけられる。
勝者の二人はジオラマに逆さまに突き立った巨獣から地上に降りた。
ラ・ムルシエラゴは左足を再骨折して引きずる。ホセはまるで自分の義足が損傷したかの様に左足を重く感じる。
「やれやれ。危ない所だったわね」
ホタルゴゼンの声。ふざけた様にほたるは全裸寸前の少女レスラーをメカニック・ロボに回収させた。危なかったのは試合の決着か、全裸になる所か。どちらともとれる。
「決闘によるシステムの拒絶か。……敢えて大げさに言えば、私達は人類の未来を担う両輪のそれぞれなのかもしれない」ホセはラ・ムルシエラゴをジオラマの地面から義手で拾い上げた。「私達は人類とドローノイド、両方の進化を見守り、時にはそれに参加する。貴重な体験になるだろう。……私達はこれから何をする、ほたる」
「さあね」ほたるの電動車椅子のアームレストにホタルゴゼンは座った。「とりあえず、ドローノイド同士の結婚というのも面白いかもね」
「ブラボー! 素晴らしい試合でした! これからもドローン・レスリングは世界中で開催され、私達は数数の名勝負を観る事になるでしょう! ドローン・レスリングと共に人類の発展も続きます! これからも人類はドローノイドというパートナーと一緒に素晴らしい世界を踏破する事になるでしょう! 地上を! 大空を! 大海を! 地下を! 密林を! 深海を! そして宇宙を! ……それでは皆さん、第二回ドローン・レスリング日本大会でまた会いましょう! ザ・サヨナラ・フロム・TOKYO! ブラボォー!」
人形達は小さなプロレスに耽(ふけ)る 田中ざくれろ @devodevo
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