ヒッチハイク

京藻晴々

ヒッチハイク


 深夜トラックの運転手である佐川進は、S県の田舎道を走っていると、ヒッチハイクする女性を見つけた。

 年頃の女性にしては幼げな顔立ちをしており、長く伸びた茶髪を緩く巻いている。

 白いシャツに黒いスカートに身を包み、パンパンに膨れた大きな鞄を下げていた。

 親指を立てて手を上げている彼女の前にトラックを止めれば、彼女は鞄を重そうに引きながら駆け寄ってくる。

 佐川が扉を開けてやると、乗り込んできた彼女は安堵したように話し出した。


「助かった……。彼が海外旅行から帰ってくるのに寝坊しちゃって。K県Y市のO橋まで行きたいんですけど」

「ああ、ちょうど目的地の近くだ。連れてってやるよ。俺は佐川進ってんだ。姉ちゃん、名前は?」

「私、大沢桔梗って言います。よろしくお願いしますね、佐川さん」


 大沢はそう言うと微笑んだ。


 ★


 高速道路にて、佐川は運転する傍ら、助手席の大沢と雑談をしていた。


「大沢さん、その大きな鞄には何が入っているんだ?」


 大沢の抱えた鞄はパンパンに膨れている。

 恋人を迎えに行くだけなのにそんな大荷物がいるのか、佐川は気になっていた。


「何って色々ですよ。化粧品とか着替えとか、たくさん」

「恋人を迎えに行くだけなんだろう? それだけなのに、そんな大荷物が必要かね」

「彼と会えたら、Y市で一泊するつもりなんです。ほら、S県までは遠いでしょう。それなら一泊して休んだ方が楽だよねって話になって」

「ははぁ、なるほどね」

 久しぶりに女性との会話を楽しんでいた佐川だったが、そんな和やかな雰囲気は、ラジオのあるニュースによって崩れ始めた。

「今日の深夜、S県のFアパートで男性が拳銃のようなもので殺害される事件が発生しました。警察などによると、午後十時頃に『発砲音がした』との通報があり……」

 S県のFアパートといえば、大沢を拾った近くだったはずだ。

 何となく興味を引かれ、佐川はラジオの音量を上げて耳を傾ける。

「今、先程の事件の続報が入ってきました。逃走する犯人を目撃した者がおり、その証言によると犯人は若い女性で、白いシャツに黒いスカートを着ており、大きな……」

「あっ!」

 突然、大沢がラジオのチャンネルが変えてしまった。

 ムッとした佐川は文句を言おうと振り向くが、彼女の顔を見て絶句する。

 彼女は能面のような冷たい顔でラジオを睨みつけていた。

 しかし、大沢がその表情をしていたのは一瞬のことで、気づけば元の笑顔に戻っていた。

「ごめんなさい、聞いてましたか。私、あのニュース聞いてたら何だか怖くなっちゃって」

「あ、ああ、俺も気が利かなくて悪かったね」

 佐川は視線を前方へと戻し、ハンドルをぎゅっと握り締めた。

 彼女の異様な変貌とラジオのニュースから、佐川の脳裏にはある突飛な考えが浮かぶようになっていた。

 ――大沢桔梗は、ニュースで言っていた殺人犯なのではないか――

 最後まで聞く事は出来なかったが、犯人の服装は大沢と似ていたし、彼女を拾ったのは事件現場のすぐ近くだった。

 そして何より、彼女が見せたあの冷たく恐ろしげな顔。

 あれはまさしく人一人殺してきたような表情ではないか。

 そうなると、彼女の持っている妙に大きな鞄も気になってくる。

 ひょっとして、あの鞄の中には事件に関わるような物品があるのではないか。

 例えば、凶器となった拳銃であるとか。

「佐川さん、どうしました? 何だか顔色が悪いですけど」

「す、少し冷房が強すぎたみたいだ。凍えてきてしまったから止めてもいいかい?」

 はっとした佐川は慌てて誤魔化した。

 もし自分が彼女の正体に気づいたと知られたら……。

 最悪の想像を浮かべて、佐川は体を震わせた。 


  ★


 戦々恐々としていた佐川だったが、サイドミラーに映るパトカーに気付いて名案を閃く。

 早速、実行に移すため、佐川は右へ左へ僅かにハンドルを切っていく。

 車窓からは分かりにくいが、車体の大きなこのトラックならば、傍目から見た時にははっきりと蛇行している姿がわかるだろう。

 伝わってくれと祈っていると、やがて後方からサイレンが聞こえてきた。

『そこのトラック、端に寄せて止まりなさい』

 スピーカー越しに聞こえてきた警官の声に、大沢が静かに呟いた。


「……困りましたね、急いでるのに」

「まあ、大丈夫さ。何の用かわからないけど、きっとすぐに解放されるさ」


 喜びで弾みそうになる声を抑えながら、佐川はトラックを停車させた。 

 やがてパトカーから男性警官がやってきて、佐川に話しかけてくる。


「すいません、運転が乱れてたので止めたのですが、検査してもらえますか?」

「ええ、分かりました」


 佐川は運転席を降りると、トラックの陰から大沢の様子を伺った。

 退屈そうに窓の外を眺めている姿を確認して、佐川は声を潜めて警官に話し出した。


「お巡りさん、助けてくれ」

「どうしたんですか、飲酒運転を見逃してくれとかは無理ですよ」


 大声で話そうとする警官を慌てて咎めつつ、佐川は警官と肩を寄せて話し出した。


「そうじゃない。今、S県で拳銃持った女が逃げてるって話があるだろう。どうも助手席に座っているあの女の子が、その犯人みたいなんだよ」

「……本当ですか?」

「もちろん。あの子、ちょうど事件現場の近くでヒッチハイクしてたんだ。それで、その子が持ってる鞄がどうも怪しいんだ。一緒に調べてくれないか」


 佐川が必死に訴えると、警官は神妙な顔で頷いた。


「分かりました。調べてみましょう。しかし、あなたを危険に晒せませんから、ここで待っていてください」


 警官はそう言うと、扉の開いた運転席へと乗り込んでいく。

 やがて車の中から、大沢と警官の話声が聞こえ始める。


「すいません。ちょっと彼から反応が出たので、ちょっと車内を調べさせてもらいますね」

「ええっ、私急いでるのに、困ります」

「いやあ、でも規則だから、すいませんね」


 大沢にやんわりと否を告げつつ、警官は車内を調べていく。


「おっと、その鞄も見せて貰えるかな」

「いや、これは私のですから、運転手さんと関係ないですよ」

「まあまあ、それでも調べないといけないから」


 そう言って警官は大沢を諭すが、彼女は頑なに断った。


「いいえ、嫌です。見せられません」


 そんな彼女に剛を煮やしたのだろう、警察官が鞄を奪おうとする。 


「大人しく見せなさい!」

「嫌、絶対に嫌……あっ!」


 二人の揉み合う声がしたかと思えば、車内からパンと破裂音が響く。


「お巡りさん!」


 佐川は声を上げて、慌てて車の中へと飛び込んだ。


「こ、これは一体……」


 目の前の光景に、佐川は困惑していた。

 車内には鞄から散乱したと思しき、奇妙な品々が散乱している。

 奇妙に折れ曲がった桃色の棒や、扇情的な女性の描かれた箱。

鞄の中に入っていたのは、アダルトグッズの山だった。

 留金の弾けた鞄を手にした大沢が、やがて顔を赤く染めて答えた。


「その、彼氏が一年会えなかった分、色々やろうって言うから。家にある道具をあるだけ持ってこいって……」

「じゃあ、鞄を見せたがらなかったのは、拳銃を持っているからじゃなくて……」

「アダルトグッズを鞄一杯に詰め込んでいるなんて、誰だって知られたくないでしょ」


 恥ずかしそうに大沢が睨みつけると、警察官は縮こまって頭を下げる。

 しばらく呆然としていた佐川は、何だか可笑しくなって大きな声で笑った。



「全く、私のことを殺人鬼だと思ってたなんて。映画じゃないんですから」

「ああ、本当にそうだ。すまなかったよ」


 先の事件をきっかけに二人はすっかり打ち解けていた。

和気藹々と会話を楽しんでいるうちに、トラックはY市のO橋の前に到着する。


「さ、ここで良いんだよな」

「はい。佐川さん、ここまで送ってくれてありがとうございました」


 ガムテープで繋ぎ止めた鞄を抱え、大沢は頭を下げた。


「大したことじゃないさ、鞄を壊してしまって、すまなかったな」

「本当ですよ、お気に入りだったのに! ……でも、壊したのはあの警官ですし、


逆の立場なら私も同じようにしたでしょうから。特別に許してあげます」

 大沢はそう言って悪戯っぽく笑うと手を振った。


「じゃあ、そろそろ行きますね。佐川さん、お仕事がんばってください」

「ああ、彼氏さんと仲良くやれよ!」


 去っていく大沢に微笑んで、佐川はトラックを出そうとする。


「……うん?」


 ふと、佐川は助手席の足元に何かが落ちていることに気づく。

 良く見ると、それはアダルトグッズの箱だった。

 どうやら、鞄の蓋が千切れた拍子に落ちた物が残っていたらしい。


「おーい、大沢さん、忘れ物をしているぞ!」


 苦笑した佐川は、窓の外へ大声で呼びかけつつ、その箱を手に取った。

 ずっしりと想像以上の重みが佐川の手にかかる。


「なんだこれ、妙に重いぞ」


 不思議に思った佐川は、箱を開けて中身を取り出してみる。

 蓋を開いて逆さにすると、受け皿にしていた左手の上にころりと転がった。

 それは拳銃だった。

 ギョッとした佐川が窓の外へ目をやると、そこに大沢の姿はすでに無く、港町の夜景が広がっているばかりであった。

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