A愛

和団子

G-907

「ねぇ、このストレッチ運動を知ってるかい?」


 そう言いながら、武志たけし主任は両手を肩に置いてグルングルンと廻してみせた。


「こうやるとね。肩甲骨が回って血の巡りが良くなるんだ」


 研究所のある東京調布市つつじヶ丘から十五分程度。私たちはバスに乗ってここ深大寺まで来た。


「知らないわ。どうせまた昔の健康法でしょう? そんな運動より、血液循環器を使えば良いじゃなくって?」


 今では体に埋め込んだデバイスのおかげで軽度の不調ならボタン1つで解決する。今年で喜寿きじゅを迎える主任も背筋がピンと伸びていて、せっかちな私の歩速にも難なくついてこれていた。


「昔の人たちは知恵と工夫で心身と生活レベルを守っていたんだ。不便だけど立派じゃないか」


 主任の口癖だ。古い人は古い文化を大切にしたがる。主任の幼少時代に比べると世の中は大きく変わった。車は空を飛び、電話は耳の中に埋め込まれた。その当時は各電話会社がこぞって「これが本当の携帯電話だ」とTVで謳っていたらしい。私も生まれてすぐにこのと健康維持デバイスを体に埋め込まれたのだった。


 チュチュンと小鳥の鳴き声が聞こえてきた。施設で流れるような電子音ではなく野生の生声だ。爽やかな初夏の葉音ときよらかな湧水の流音。平日なのに参拝客も多く、参道は活気に満ちていた。


「さて、G-907はどこにいるのかな?」

「GPSによると、彼は境内にいるみたいですよ」


 私もたちが深大寺に来た理由は「G-907」――彼にあった。つつじヶ丘の施設で私たちはAIの研究に勤しんでいる。そこで1つのプロジェクトがあった。AIに恋心を植え付けること。人工減少に歯止めをかけることを名目に人間の恋愛感情を追求するため。

 リーダーは隣を歩く武志主任で、技術担当が私。プロジェクトは成功し、恋愛感情を持った人型ロボット「G-907」が誕生したのだが、目覚めた昨日に彼は施設から逃亡したのだ。所在はすぐに分かったが、彼がどうして深大寺に来ていたのか理由は不明だ。


「お、いたいた」


 境内の門をくぐると、眼の前には本堂が雄大に構えていた。綺麗な青空も近く、まるで天空の寺院だ。その本堂の前に「G-907」は立っていた。手を合わせて何かを懸命に祈っている。主任が彼の肩をぽんと叩くと、彼は振り向いて罰が悪そうに笑ってみせた。

 ロボットとは言え、人間の青年と瓜二つ。そんな彼と目があった。

 私は少しだけドキリとした。なぜなら、彼に抱かせた恋心の矢先は技術担当である私だったから。


 断じてやましい気持ちはない。彼の恋愛感情の矢面に立つことになったのは、本プロジェクトにおける最低限の技術を持つ職員の中で、私だけが恋人がいなかったから。ただそれだけだ。


 主任の口癖がリフレインする。「恋は形じゃない。心を整える時間だ」と。


「きっと時間なんだろうね。はじめから心の形が同じじゃない。だから喧嘩もする。そうしてお互いの気持ちの形を整えて、上手く重なっていく過程が恋愛なんじゃないかな?」


 変わったのは時代や技術の発達だけじゃない。恋愛においては男女の垣根はすでに超えていて、人間とロボットの恋について囁かれ始めている。TVドラマや海外の映画だってこのテーマを題材にした作品が多く、「ロボットにも人権」を「ロボットにも恋愛を」といったスローガンが主流となっていた。

 数は少ないが、実際にロボットと婚約発表したケースもニュースでちらほら取り上げられるようになった。だからこそ、ロボットに自主的な恋愛感情を植え付ける本プロジェクトについても、各種人権団体やロボ権団体の認可もスムーズに受けることができた。

 しかし、正直なところ私は消極的だった。恋愛経験が未熟なせいもあるし、真剣な恋のベクトルと向き合わなかったただの言い訳に聞こえるかもしれないが、人間とロボットの恋愛を認めると人工減少はさらに加速する。本プロジェクトの大義名分は人工減少ストップのため。あくまで人間の恋愛感情を探求すること、だ。


 そして今、私は参道のベンチに「G-907」――彼と並んで座っている。主任は呑気に団子を買いに出かけていった。


 大型犬を連れた参拝客が目の前を通り過ぎた。その犬の左後脚は、犬用の義足だった。


「どうして深大寺に来たの?」

「……こうするしかなかった。深大寺様にお願いするしかない。そう思ったからです」

「どういうこと? あなたがわざわざ深大寺まで来た理由をもうちょっと具体的に答えてくれるかしら?」

「知っていたんです。最初から」

「何を?」

「これは叶わぬ恋だってことが……です」


 彼は赤裸々に話し始めた。恋心をインプットされる前から、自分は単なる実験対象であることを施設のサーバーにアクセスして周知していたのだ。


 失敗だ――彼の告白を聞いて、最初にこのプロジェクトが白紙になることを私は憂いてしまった。


「武志主任が言ってましたよね? 恋は心を整える時間だって。僕にはその時間がなかった。あなたの気持ちとぶつかって、重ねて、整え合う時間はない。僕にできることは初めから何もなかったのです」


 だから深大寺様へ来たのです。

 彼は私にはにかんで見せた。


 深大寺の御前には大きな池がある。豊かな深緑を宿した木々と蕎麦屋に囲まれたその池の真ん中に、1羽の白い水鳥が凛として立っていた。


「深大寺が縁結びで有名だったから?」

「それもありますが、実はあなたの真似をしたのです。深大寺様なら僕の叶わぬ恋にも少しだけ耳を傾けてくれると思って」

「私の真似?」 

「はい。過去にあなたが深大寺様に参拝されたことがあると知りました。恋愛成就の祈願でした。その時も難しい恋だった」


 池の水鳥が飛びたった。つられてなのか、魚がぽちゃんと音を立てて跳ねた。


 ああ、思い出した。かつて私は縁結びの祈願のために深大寺を参拝したことがあった。だけど、それは私ではなく友人の恋路を想ってだ。親から結婚を大反対されていた友人。理由は明白で、婚約相手の男性が、事故により下半身が義体だったせい。当時の世間は、今よりもロボットに消極的だったのだ。

 彼女から度々相談を受けていたのだけれど、それを説得するなど私ひとりではどうしようも出来なかった。それが歯がゆかった。何もできない私がしたこと。それが深大寺に2人の恋路の成功を祈願することだった。まさしく、神頼みだ。


「どうして私が深大寺に来たことを知っているの?」

「あなたのPCにアクセスして、あなたの電子ブログを読んだのです」

「読んだの!? 私のブログ」

「はい」


 あきれた……読まれた相手がロボットなことが幸いね。人間なら今頃顔から火が出てるわ。

 そんな私の気も知らず、彼はただ困り顔で笑ってみせた。ロボットのくせに。

 彼は過去の私を模倣してこの深大寺にやってきた。叶わぬ恋のため。私の場合は友人の恋だけど、彼は違う。それに――


「でも、あなたも言ったように、これはあなたの意に反して一方的に植え付けられた感情なのよ。もしあなたが普通のロボットとして生まれたのならば、きっと私なんかには特別な感情を持たなかったはず」


 青葉の隙間から落ちる木漏れ日が彼の顔を照らす。彼は眩しそうに目を細めた。


「いえ、そんなこと……ないと思います。さっき僕には心を整える時間がなかったと言いましたけど……僕の恋愛プログラムには初期からあなたのことが記録されています。それこそ僕がロボットとして組み立てられる前から、僕はあなたを知っていました。あなたは声をかけてくれました。やさしい声でした。ちゃんと聞こえていました」


――ごめんね。私なんかに


 はあ、とため息が漏れた。確かに私は施設に籠もって彼につきっきりだった。それはプロジェクトの成功のため。与えられた仕事をドライにこなしていたから……だと思う。


 ごめんね――恋愛感情をインプットする直前に、一度だけ彼にそう言ったことがあったっけ。どうしてあのとき彼に謝ってしまったのか。

 恋は時間か。彼の無垢な横顔を見て、なぜか胸が熱くなった。ほんの少しだけ。


「やぁ、おまたせ」


 主任が2本の団子を提げて戻ってきた。良いタイミングだ。まるで陰から私たちの会話を聞いていて、頃合いを見計らっていたように。いけずな主任め。

 私は主任から1本の団子を受け取った。2本の団子。主任と私の2人分。


「主任、彼には味覚センサーを入れていましたよね?」

「え? ああ、今のロボットには標準装備なはずだが」


 貰った団子を主任に返して、私は立ち上がった。


「彼の分も買ってきます」


 彼の恋愛感情の矢面に立ったのはただの偶然。だ。だけど何を思ったのか、少しだけ彼の恋心に、人間として向き合う時間を作ってみても良いのでは? と私は思った。

 深大寺の空は今日も綺麗で、青かった。



〈了〉

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