生きる事

熊パンダ

生きる事

 綺麗……それが第一印象だった。

 長い黒髪を靡かせて、少女は足を水に付け、そしてただただ川を見ていた。

 暗い暗い表情で、まるで黒い瞳に吸い込まれそうなほど。

 けれども俺はそんな姿を含めてただただ、美しいと思った。


「……そんな所で何してるの?」

 人生で初めて勇気を振り絞った場面だろうか。

 名前も顔も知らない、ただ一目惚れした女子に話しかける。


「……別に。ただ川を見ていただけよ」

 川は不思議なことに生物の気配を感じない。

 透き通っていて何もない。

 

 周りからは鳥の鳴き声がピーピーと聞こえてくる。

 風が揺れるたびに彼女のワンピースがゆらゆらと揺れる。


「……あなたは、なんでこんな所にいるのよ」

 会話が終わったかと思っていた。

 まさか彼女から疑問がくるとは。


 俺は頭を高速で回転させる。

 頑張れ、とりあえず口を動かすんだ!

 頑張れ! 彼女いない歴一六年の俺!!


「家族でキャンプしに来たんだ。ここら辺を散策してたらたまたま君に会って……」

 緊張で声が裏返るのを何とか抑える。

 しょうがないだろう! 女子とまともに話す機会なんて今までにほとんどないのだから。

 じゃあ何故、今話しかけたかとか聞かないでくれ、自分が驚くほどこの少女との会話は衝動的な事なんだから。


「……なるほどね」

「君の名前は?」

「……あまね。天国の天に音で天音あまね

「天音……さんか、素敵な名前だね」

 彼女いなかったとは思えないほどの理想的な会話ができている。

 これは夢だろうか。


「……君は?」

「えっ、あぁ、俺は……みつる。光って書いてみつるだ」

「……そうなのね」

「……」

「……」


 自然の音は絶え間なく鳴り続ける。

 川、鳥、風。

 五感全てが研ぎ澄まされる。

 ここまで自然の音が鮮明に聞こえるのも……


 ……彼女との会話が切れたからだな。

 夢ではなかったようだ。


 それにしても何故俺はこの子に話しかけたのだろう。

 一目惚れと言っても普段の俺ならこんな風に女子と話す、なんて考えない。

 むしろあり得ないと言うと思う。


みつる……くん。君はさ、生きるってなんだと思う?」

「……ふぇ?」

 何十分経った頃だろうか。

 急に彼女――天音さんが話しかけてきた。

 生きるって何……哲学的なものだろうか。

 予想もしない質問だったからか、変な返事になってしまった。


「生きる……生きるかぁ……難しいね」

「……」

 俺の人生は正直言ってつまらないものだ。

 良い事も、悪い事も何もない。

 不自由もなければ……自由もない。


 あるのはただ決められた毎日だけ。

 何も変わらない、平和な毎日。

 学校に行って、授業を聞いて、家に帰る。


 ……そんななんの変哲もない毎日。


「僕は生きるって事は世界で一番苦しくもあって、辛くもあって……そして楽しい事だと思うよ」

「……何その答え、"滅茶苦茶"じゃん」

「ははっ、そうだね。多分、生きるって事は……"滅茶苦茶"な事なんだよ」

 自然と言葉が出てくる。

 確かに自分はつまらない毎日を送っていた。


 けれども全てがつまらない訳ではなかった。

 その中にも小さな喜びや悲しみが溢れているのだ。

 それが生きるって言う事、人生だと言う事……俺はそう思う。


「納得してないって表情だね」

「……楽しいことなんて、一度もなかった。ずっと、ずーっといつか来るって信じてたけど来なかった」

 彼女に何があったのかはわからない。


「……じゃあ今から作ろうよ」

 気づけばそんなことを言っていた。


「えっ?」

「ここで、できる事は限られているけど、今から遊ぼうよ」

「でも……」

「良いから良いから、さ、こっち来て」

 彼女は困惑しながら川を出る。

 ビーチサンダルを履き、そして俺の近くに寄る。


「うん。やっぱり、綺麗だなぁ」

「……」

「……はっ!?」

 気づけば言葉に出ていたらしい。

 俺は弁明しようと試みた……が、彼女は相変わらずの無表情。

 自分と思っていないのだろう。


 気にしてないなら……まぁ、いいや。


「まずは……そうだな、好きな遊びあるか? 鬼ごっことかさ」

「遊び……お絵描きとか、お弾きとか、お手玉とかかな」

「って全部一人遊びじゃねえか」

 うーん、と俺は腕を組み考える。


「じゃあとりあえず二人でできることを片っ端からやっていこう」

「……うん」

         ***

「これは……何て遊びなの?」

「ふふふ……これはな……何も持ってなくても友達さえいればすぐに遊べるゲーム! その名も"マッチ棒"だ!!」

「マッチ……棒?」

「……もしかして天音さんの住んでいる所では呼び方が違ったかもしれないな」

 "マッチ棒"は地域によって呼び方が違ければルールも違う。

 "割り箸ゲーム"なんて呼ばれ方もある。


「……いや、全くの初めて」

「そうか……なら尚更やりやすい! 俺の地域のルールでやるぞ」

 二人でやるとつまらないだろうが、ルール次第では遊びようはいくらでもある。

 俺はルールを簡潔に教えた。


 基本的に右手と左手が自分の命だ。

 最初は右手と左手の人差し指だけの一本だが、徐々に足し算で増えていく。

 味方を攻撃して指の数を増やす、又は敵の指を攻撃して敵の指を増やすかをして、結果的に指が五本になったらその手は消滅する。


 それが両手なくなったら負けだ。


「まぁ、習うより慣れろだな。やってみよう」

「うん……よろしく」

「じゃあ先行と後攻を、決めようか」

「「じゃんけんぽい!」」


 俺は負けた、後攻だ。

「じゃあ、えい」

 彼女の指が触れる。


 川に入っていたからだろうか冷たい。

 けれど……俺にとっては暖かい。


「……ねぇ、次君の番だよ?」

「うわっはい、ごめん」

 気がついたら余韻に浸っていた。


 それにしても"マッチ棒"すら知らないとは、まさか物凄く田舎の子とか?

 ……でも俺は手加減をしない!

 悪いな、天音さん。

 例え一目惚れでも、俺は手を抜かな――。


         ***


「……負けた」

「やった」

 何故か負けた。

 必勝法は知っていたはずなのに、何故か負けた。

 しかも初心者に。


「……ありがとう。思っていた以上に楽しかったわ」

「何言ってるんだよ、まだまだだぞ?」

「……うん」

 彼女はどことなく嬉しそうだった。

         ***


 沢山遊んだ。

 人生で一番……は言い過ぎだと思うが、とにかくいっぱい遊んだ。

 途中からネタ切れもあったため、二人ではしにくい鬼ごっこや影鬼などのメジャーなものや、マイナーなものまで俺の知っている範囲でいっぱい遊んだ。


「はぁ……はぁ……」

「……流石に疲れたか?」

「うん……もう一生分遊んだ感じ」

 疲れからだろうか。

 川の向こうや俺の後ろが少しぼやけている。

 運動のしすぎだろう。


「本当にありがとう……全部、知らない遊びだった。とても……本当に、とても楽しかった……」

「そう言ってもらえると照れ――」

 彼女の方を見ると、泣いていた。


 ぽたっぽたっと頬を伝って落ちていく。

「あれ……? 私……」

 一つ、また一つ。

 落ちていく雫は本人の意思とは真逆に流れていく。


 彼女はただただ、困惑していた。


「っ!?」

 俺は全く気づかなかった。

 彼女の足元には水がついている。

 川の水位が不自然なほどに上がっていたのだ。


 俺は思わず彼女に近づく。


「……っ! やめて! 来ないで!!」

 彼女の悲痛な叫び。

 今日会ってから初めて聞いた声であった。


「でも!!」

 流石に川の水位がここまで増えているのは変だ。

 このままだと危ない。

 ……胸騒ぎもする。


「本当、私の人生はいつもこう。楽しいことがあっても、結局は悲しいことの方が大きいの……ごめんね、何も言ってなくて光くん……」

「何が――」


 彼女が俺の目をまっすぐに見る。

 出会った時の真っ黒な瞳には薄らと俺が写っている。

 彼女はもはやスッキリした様子で、真実を告げた。


「ここは"三途の川"……私はね、多分今日死ぬんだ」

「えっ……」

 水位が高くなる。

 やがて俺の足にまで水が付いてきた。


「昔から、体が弱くてね。だんだん学校にも通えなくなってきて、もうそろそろかなって思ってたんだ」

 聞こえていたはずの鳥の鳴き声も今は聞こえない。

 ただ聞こえるのは水の音だけ。


「ここに来て、川を見ていたの。何も生物がいない川を見て、まるで私の人生だなってただ見ていたの……友達はもちろんいないし、親も私の世話をしながら、裏では私の愚痴を言ってるの。私の周りには誰もいない。表ではみんな私のことを助けているつもりでも実際はただのお荷物なのよ」

 俺はただ、静かに聞いていた。

 自然と話が耳の中に入ってきていたのだ。


 そして自然と……涙が出ていた。


「でも……君と出会っちゃった。死ぬことをしょうがない事って思っていたのに……"死にたくない"って思っちゃったのよ……もう時間みたい。私にこの幸せは贅沢すぎたのよ」

「贅沢なんてない! 君はずっと悲しいことしかなかったんだろう? じゃあその分君は幸せであるべきだ!」

 俺は一歩踏み出す。

 水が膝までついた。


「来ないでって言ってるでしょう!? 君まで死ぬことになるんだよ! ……多分光くんはまだ助かる位置にいるの! だからお願い! 私の分まで生きてよ!!」


 俺は全てを思い出した。


 俺はキャンプになんか来ていない。


 キャンプの次の日に信号無視の車に轢かれた。

 おそらく俺も入院しているのだろうか。


 でも今そんな事はどうだっていい。


 また一歩、踏み出す。


 水位は腰まできている。

 


 目の前が徐々に掠れていく。



 ぼやける……ぼやけ……いや、だめだ。

 まだ"死ねない"。


「……なんでよ!! ……なんで、私なんかの所に!! 死んじゃうんだよ!?」

「好きだから。ただの一目惚れだよ」

「っ!!」

「でも、死ににきた訳じゃない。……一緒に生きよう! 天音!」

 また一歩。


 踏み出す。



 意識が遠のく。



 だが、そんな事は関係ない。



 ただ、天音のことを考える。




 天音を……好きな女の子を。



「なんで! なんでよ! ばか!!! こんなことなら最初に返事しなければよかった! 君なんかを好きにならなければよかった!!!」

 一歩、また、一歩。




 顎に水がつく。


 



 それと共に。


 



 手と手が触れる。



 



 流されないように、しっかりと掴んだ。


 



 冷たいけど、暖かい……そんな手を。



 



「ここから……出られたら……俺たち……付き合おう! そして……またいっぱい……遊ぼう! 約束してくれ!! 天音……!!!」



 

 手をしっかりと握って泳ぐ。


 



 陸に戻る。



 



 そして帰る。


 



 


 それだけを思って。



 


「ばかぁ……」



 

 やがて、俺と天音の体は全て水で埋まった。





 


 冷たい冷たい水の中で、薄れゆく意識と、徐々に冷えていく体温を感じていた。





 


(……天音、体温が……どんどん……)





 意識が……。





 


 最後に感じたのは口元に感じた暖かな"何か"だった。







         ***


「……さん!!」

 眩しい。


 白い光がぼんやりと上から見下ろしている。

 そこに影がいくつか。


「光さん! 大丈夫ですか?」

「……っ……」

 声が出せない。



 聞こえてくるのは、人の慌ただしい声と、ピーッピーッという機械的な音のみ。

 自然の音なんて一切聞こえてこない。


 口に感じていた暖かな"何か"も感じない。

 あるのは口に覆われた……マスク……だろうか。


 俺の意識はまたも途切れた。

         ***


 死の境目というものは本当にあるものなんだなと思う。

 今思えばあの一連の出来事は夢だったのではないかと思うほど。

「はぁ……」


 俺は驚くほどに真っ白い部屋から外を見てため息を一つ漏らした。


 これが生きているっていうことか……と身に染みて実感する。


 外は憎たらしいほどに天気が良い。

 窓から公園が見え、そこでは子供たちが無邪気に走り回っている。

 ……鬼ごっこだろうか。



 あいつを思い出す。

 ……どうなっただろうか。


 俺は生きている。

 あいつは……。


 その時、病室のドアが開く音がする。

 誰だろう……と見ると。


「約束……忘れてないわよね?」

 車椅子に乗った少女がいた。


 病室に風が吹く。

 彼女の長い髪が靡いている。


 初めて会う女の子。

 ただ、不思議と緊張はない。



 むしろあるのは……。


 

「……ははっ、こんな事ってあるんだな」

 


 やっぱり……生きるって事は滅茶苦茶だ。

 

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