第16話 番犬くんとお嬢様

 石積みの階段を登りきると、砂利に挟まれた石畳が社殿まで真っすぐ続いている。社殿の脇を鬱蒼とした林に向かって進むと、暗がりのなかに石段が現れる。そうして頂上を目指すと木々が途切れた。

 街を見下ろせる高台の端に、彼女はたたずんでいた。

「怪我、治ってよかったね」

 波打つ髪をひるがえし振り返った瑠璃子は、言葉とは裏腹にぷうっと頬を膨らましている。

「お陰様で」


 雪彦に呼び出された日から半月が経過していた。

 入社前に関連会社の人間と問題を起こしたことで、徹の内定は取り消された。

 瑠璃子や徹の家族は憤っていたが、そのまま話が進んでいたとしても居心地が悪いのは目に見えている。


 また振り出しに戻ったのだが、徹の心は驚くほど穏やかだった。ちなみに瑠璃子からの給料も全額返金した。

 瑠璃子の両親が弟の学費を援助してくれることになったからである。

 ―─自分たちがきちんと終わらせていなかったせいで、事件に巻き込んでしまった。謝罪の意味を込めて何かさせてもらえないだろうか。


 暴れてしまったのは自らの責任だと断っても、彼女の両親は引く気配を見せない。

 平行線を辿るばかりの押し問答の末。

 駄目元で、弟の進学費用が足りず困っていると訴えてみた。

「では学費を援助しよう」

 彼らは迷いもせず徹に約束した。

 そればかりか弟の第一志望校が私立だと知るや「ではそちらを目指しなさい」との大盤振る舞いである。


 興奮して薫に報告するも、「怪しすぎるんだけど……」と、全力で警戒された。

 しかし、希望する大学への憧れは捨てきれないようで、「……なら、何年かかっても返す」と最終的には申し出を受け入れた。

 徹も返済には協力することで話はつき、彼らに援助を願い出た。


「ご両親には改めてお礼に伺おうと思う」

「……黙って受け取ればいいのに、兄弟そろって頑固だよね」

 不満を口にしているが、彼女の表情は晴れやかだ。

 怪我が完治するまで何度か徹の家に見舞いに来ているうちに、瑠璃子は弟と仲良くなっていた。

 紹介した当時、薫は瑠璃子と徹を見比べ、

「本当に、兄貴カノジョいたんだ……」と驚き、母にいたっては「父さんに言えないようなこと、してないでしょうね」と仏壇のほうをちらちらと窺った。


 家族の反応に、瑠璃子が慌てて事情を説明したのだが、口で徹を信用していないようでも家族は本気でそう思っているわけではない。


 ―─派手なギャル。


 家族の瑠璃子に対する第一印象は、失礼なものだったが、人懐っこい彼女は、時間が経つにつれ徹の家族と打ち解けた。

 そのうち弟と課題を教え合ったり、母の料理の手伝いをしたりするようになり、徹が不在にしているときも、気兼ねなく訪れているようだ。

 そんな彼女といまだ正式に交際していないと弟と母に告げると、しこたま説教をくらった。


 ―─女の子を待たせるなんて信じられない。早くはっきりさせろ。


 それは徹も自覚している。なし崩し的に付き合っているような雰囲気になってしまうのは駄目だと、怪我が完治したタイミングで瑠璃子を呼び出した訳なのだが。


「あ、あのね。私……」

 口ごもった瑠璃子が一大決心を告げようとしているのを察し、徹は手で制した。

「もう、なんなのよっ。私から言ってもいいでしょ」

「いや、ここはけじめをつけて俺から」深呼吸して一気に吐き出す。


「神谷さんが、高校を卒業したら、俺とお付き合いしてくれませんかっ」


「やだ」


 渾身の告白が秒で玉砕してしまい、徹は頭が真っ白になった。

 ピチチチチ……。

 野鳥のさえずりが彼を嘲笑っているようだ。


 瑠璃子はショック状態の徹の襟を引き寄せた。唇に柔らかい感触と甘い柑橘系の香り。

「……卒業するまでなんて待てない、今すぐ付き合って」

 徹は急展開に思考が停止している。ゆっくりと瑠璃子の言葉が染み渡り、目の焦点が人形のような完璧な造作に落ち着いた。

 ―─今、なんて言った?

「聞いてるの? 私の彼氏になって」

 至近距離で微笑まれて、断れるはずなどない。

「でも、未成年とそんなこと……」

「じゃあ、今はキスまででいいから、ね」

 そういう問題ではない、というか我慢できないというか。戸惑う徹に構わず、瑠璃子はぎゅっと抱き着いてくる。衝撃に心臓が口から飛び出しそうになった。


「うんって言ってくれるまで、ハグの刑」

「か、神谷さん!」


 悲鳴をあげると、瑠璃子は悩まし気な上目遣いでさらに追い打ちをかける。徹の理性は限界に達し、ぼきりと折れる音が脳内に聞こえた。

「わかりました。よろしくお願いします……」項垂れる徹をよそに、「やったあ」と飛び上がらんばかりに瑠璃子は歓喜する。


 徹と付き合えることがそんなに嬉しい事なのだろうか。いまだに信じられない。彼女と恋人になりたい男は数え切れないほどいるというのに。

「あ、また何で俺なんかとか考えてるでしょう?」

 思考を読まれ、目を見張る。

「よくわかったな」

「好きな人のことは良く見てるからね。近藤さんだって、同じでしょ」


 ――俺は彼女のことを判っているのだろうか。


 自問自答していると、「あれ、嬉しかったんだ」と瑠璃子は言った。

「雪彦に会いに行ったこと、怒られると思ったんだ。けど、ちゃんと話を付けたいんだってわかってもらえたの、すごく嬉しかったの」

「俺に怒る資格はない」

「普通は好きな子が他の男に会いに行ったら、腹立つでしょう? そうじゃなくて私が何を考えて行動したのか、理解しようとしてくれたの、本当に嬉しかったんだから」

「……誤解されるのは辛いからな」


 徹もこの外見で誤解されてきた。瑠璃子の見た目は良い方向に取られがちだ。しかし、期待に応えられないと、好意は悪意に変貌する。

 ――美人を鼻にかけて傲慢だ。

 ――顔がよければ世の中生きやすいだろうな。

 ――綺麗でお金持ちって、絶対性格悪いよね。


 恵まれている環境はそれなりに苦労もあるのだろう、と想像しただけだ。

 自分も毒を吐く側には回りたくない。信じてくれる人の期待は裏切らないように心がけたが、いくら懸命に生きようとしても社会は徹をいらないと告げてくる。挫けそうになっていた、そんなとき。

 それを思い出させてくれたのは、可憐に微笑む意地っ張りな少女だった。


「そういうところが、大好きだよ」

 胸に頬をすりつけ瑠璃子は身体を密着させてくる。徹は観念して彼女の背を抱き返した。


「こ、近藤さん」

「こちらこそ、俺を好きになってくれてありがとう」


 真っ赤に染まりつつある耳元にそっと囁きかける。自分から飛び込んできて照れる姿も愛おしくて、徹はしばらくブラウス越しに柔らかい感触を味わっていた。


「あ、そうだ」

 瑠璃子は徹の腕の中でごそごそ身じろぐと、一枚の紙をスカートのポケットから取り出した。

「これ、もういらないよね?」

 恋人契約書をびりびりと破き、空にバラまいた。紙吹雪は冬の訪れを感じさせる寒風に乗って、空高く舞い上がる。

「おい、」

「遠くに飛んでけ――!」

 空に向かって瑠璃子は叫ぶと満面の笑みを浮かべた。


 ※※※※

 離着陸する飛行機のエンジン音が鼓膜を震わせる。空港の屋上展望台で徹は照りつける陽光に目を細めた。

「到着、何時?」

「14時35分」

「え、あと二時間もあるじゃん。兄貴余裕なさすぎ……」

 それはそうだろう。瑠璃子が海外に留学してから二年。ほとんど会えていないのだから。


 ――それも今日で終わる。


 首から下げたネックレスチェーンには銀色に輝く幅広の指輪を通してある。手持ち無沙汰になると、弄ってしまう癖がついた。

「……ほんと、立派な忠犬に調教されちゃって」

 薫は肩をすくめた。そんな彼も瑠璃子の迎えについてきているのだから、人のことは言えない。

「お前も神谷さんに会うの楽しみにしてるんだろ?」

「いや、迎えに来たら金髪美少女紹介してくれるって取引だから。てか暑い。中戻ろうぜ」

 スマホをいじりながら、薫はスタスタと屋内に戻っていく。

 相変わらず仲がいい二人に、徹はもやっとした。

 ―─弟相手に何考えてるんだか。

 じわりと背中に滲む汗に急かされ、薫の後を追った。


 瑠璃子は大学二年時に二十歳を過ぎると、アルバイトをすると宣言し、なぜか居酒屋を選んだ。

 徹は断固反対したのだが、一度決めたら考えを変えない瑠璃子に、最終的には折れることになる。

 惚れた弱味でしょうがないとは思うものの、納得がいかない。

「なんでまた、居酒屋なんだ。よく親父さんが承諾したな」

 入れ替わるように警察試験に合格した徹は警察学校に入学し、寮生活を送らなければならない。

 瑠璃子と会えるのは週末だけになる。

 契約関係だったときのように、頻繁に会えるわけではない。そのような状況で、危険な大人が集まる場所に彼女を放り出せるほど心臓は強くない。

 だからこそ、目に見える証拠が欲しい。

 徹はある条件を提示した。


「条件が左手に指輪嵌めること? いいよ」


 束縛するなと怒られるのではないか。一抹の不安を覚えたのだが、拍子抜けするほど瑠璃子はあっさりと承諾した。

 後日、下心丸出しの願望が詰まった指輪を瑠璃子は嬉しそうに受け取ってくれた。そんな態度にどれだけ救われたか知れない。


 ほっと安心していると瑠璃子は徹の指を見つめた。

「近藤さんの指輪は?」

 瑠璃子の指輪に意識を集中していたせいで、ペアリングというものを失念していた。指輪は彼女に近づく男をけん制するためのお守りである。徹には必要ないものだ。

「じゃあ、私が買ってあげる」

 瑠璃子は取るものもとりあえず、徹を連れて高級ジュエリー店に繰り出した。彼女に贈った品よりもお高い指輪が、ゴツゴツした指に収まっている。


「これで近藤さんは 『私の物』 だね」

「どこからそんな金が……」


 契約期間中に支払われていた報酬といい、彼女の金銭感覚が恐ろしい。

「自分で稼いだお金だから安心して」

「前から気になってたけど、まさか危ないバイトとかしてないよな……」

「してないよ、これは……。株でちょっと儲けたというか」

 もじもじと恥ずかしそうにする瑠璃子だが、二十歳の大学生が株で利益を生み出すというのは一種の才能なのではないか。徹には真似できない芸当だ。

「凄いな。俺なら損ばかりしそうだ」

「……ズルいとか思わない?」

 聞かれた意味が分からず、首をひねる。

「株で稼ぐことがか?」

「元手は、おこずかいだから」


 つまり汗水たらして稼いだ金ではないことに引け目を感じているということか。以前聞いたときは素直になれず言葉を濁していたことを考えると、彼女は成長している。

「神谷さんが自分で考えて運用したんだろ?」

「うん」

「なら、ちゃんと自分で手に入れたお金っていうことだ。後ろめたいことなんかない」

 思ったままを言っただけなのだが、瑠璃子は瞳を輝かせて徹の腕に抱きついてきた。


 大学を卒業した瑠璃子は、さらに勉学に励むため、アメリカの大学に留学した。留学期間は二年。徹は彼女を応援しつつも寂しい遠距離恋愛に耐えた。


 ※※※

「兄貴、顔、ヤバい」

 徹の顔の前に手のひらをかざした薫は、大丈夫?と首を傾げた。

「ヤバいって何が?」

「強面が溶けそうになってる。怖すぎ」

「お前、口悪くなってないか?」

「会社では猫被ってるから心配すんなって」

 薫はニコリと微笑んだ。ああ、この笑顔で年上女性の母性本能をくすぐっているのかと納得する。

「俺に似なくて良かったな」

「それな」

 たわいもない会話を弄んでいると、ロビーに瑠璃子が乗った便が到着したとアナウンスが聞こえた。徹は緊張に背筋を伸ばす。

 しばらくすると、キャリーを引いた乗客たちのなかに、待ち人の姿を見つけた。


「徹、お待たせ」

 大人の女性に成長した瑠璃子は口許を上品に綻ばせた。

「あ、ああ……」

 言いたいことは山ほどあるのに、喉がつかえる。薫はバシンと徹の背を叩き、「車まわしてくる」と歩き出した。

「薫くんに気を遣わせちゃったね」

「メシ奢ってやるか」

 話の糸口が見つかり内心安堵した。


「……元気だったか」

「うん。徹は?」

「見たまんまだ」

「何それ」

 上機嫌の瑠璃子に徹は意を決した。

「瑠璃子」

「なあに?」

「俺と結婚してくれ」

 震える手で小さな箱の蓋を開ける。中にはシンプルな指輪が輝いていた。

 沈黙が長い。

 顔を上げると瑠璃子は固まっていた。まさかのプロポーズ失敗か。

「ふ」

 空気の抜けるような音が聞こえた。続けて瑠璃子の口から笑い声がロビーに広がる。

「ふふふふ」

「……瑠璃子?」

 それはどっちの反応だ。徹は居ても立っても居られない。

「ごめん。まさか日本に着いてすぐ言われるとは思わなくて」

「がっついてて悪かったな」

 余裕な彼女にふてくされるも、どうやら受け入れてくれる気配に徹は小躍りしそうになった。

「はい。嵌めてよ」

 ほっそりとした指を徹に差出し瑠璃子は催促する。久しぶりに触れた瑠璃子にドキドキしながら、徹は厳かに指輪を嵌めた。

 指輪は空港ロビーの照明を柔らかく反射する。

 徹の物だという証。

 甘く微笑み迎えてくれる彼女に我慢できず、徹はかがみ込んでキスをした。

「ちょっ、人が見てる!」

 慌てる瑠璃子も可愛いなと、ネジの緩んだ頭でひとり幸福を噛みしめる徹だった。


 fin

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番犬くんは翻弄されっぱなしです! ヨドミ @yodo117

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