第十球 夏
※この作品は、おくとりょう様主催の自主企画『第一回キャッチボール小説マラソン大会』にむけて書かれたものです。したがって、おくとりょう様の書いた「第九球 あの川にて」の続きとなっております。
「第九球 あの川にて」は以下URLから
https://kakuyomu.jp/works/16817139555266066744/episodes/16817139556152190416
『第一回キャッチボール小説マラソン大会』要項はこちら
https://kakuyomu.jp/user_events/16817139555566238264
◇◇◇以下、第十球本文◇◇◇
父が亡くなってからのおよそ一年間、あの日々を実際にはどうやって過ごしていたのか、私は未だに思い出すことができない。
祖父母によれば、わたしは一日のほとんどをあの廊下の鏡の前で過ごしていたという。心配した祖父母によってカウンセリングに連れていかれたことや、担任の先生が何度も家庭訪問に来たこと、友達が訪ねてきたこと――それどころか祖父母とひとつ屋根の下に暮らしていたことさえ覚えていない。私にとってその時期は「お母さん」と家族として暮らした期間で、でも後々になって手紙や写真などを見れば、確かに祖父母の言っていることの方が正しいらしかった。
現実を受け入れることができたのは、たぶんあの子が私の目をちゃんと覚まさせてくれたからだと思う。もう一度学校に通うようになって、人と会うようになって、どこか夢のようだった現実は、だんだんその現実味を濃くしていった。
今ではちゃんと、あの日々が――お母さんと過ごしたときの方が夢だったのだとわかっている。
「お母さん、またその鏡見てる」
突然声をかけられて振り向くと、娘の千夏が首を傾げてこちらを見ていた。
「好きだよねぇ、その古い鏡」
「そうだね。お母さんが子どもの頃からずっと持ってるから」
二十六歳の夏、私は大学の同期だった陽介と結婚した。陽介は幼少期の病歴のために子供を作ることができない。それでもこれ以上好きになる人には一生会えないと思って一緒になった。
ところが思いがけず、私たちは我が子を得ることになる。結婚して三年後、陽介の兄夫婦が不慮の事故で亡くなり、まだ赤ちゃんだった千夏を引き取ることになった。千夏は亡くなった義姉似で、陽介にも、もちろん私にも似ていない。それでも私たちの娘には違いなく、私は彼女のお母さんになった。
私たちは今、れっきとした「家族」をやっている。
ごっこではないから、大変なことも辛いこともあるけれど、それでいい。
あの夏に夢から目覚めて以来、「あの子」は私の前に現れていない。まるで「今は私の出る幕じゃないから」とでもいうように、きっぱりと姿を見せることがなくなった。
でも六花の柄の浴衣を着、黒い髪をなびかせて私に笑いかける色白の顔を、私は今でも脳裏に描くことができる。今は出てきていないだけで、まだここにいるのだということも、なんとなくわかっている。
上階からスリッパをはいた足音が聞こえる。千夏が天井の方を見て「お父さん、今頃起きてきた!」と声をあげた。
「まぁまぁ、昨日仕事で遅かったんだから勘弁してあげてよ。バーベキューにはちゃんと間に合うし」
「そうだけどさぁ、ひいじいとひいばあのところにも寄ってくんでしょ? ねぇ、お父さーん」
千夏が階段の方に向かってぱたぱたと走っていく。私は鏡から目をそらし、廊下の小窓を少し開けて空を見る。
熱気が顔にむっと押し寄せる。夏だ。空は今日も鮮やかに青い。川原はきっと暑いだろう。昔は嫌いだったこのぎらぎら照りつける日差しも、今はそれほどいやではなくなった。もちろん、紫外線と熱中症は大敵だけど。
階段から家族の足音が近づいてくる。私は窓を閉め、キッチンへと向かった。
『完』
【キャッチボール小説】鏡は冷たく六花を誘う 尾八原ジュージ @zi-yon
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