第九球 あの川にて

前話『第八球 目覚め』

https://kakuyomu.jp/works/16817139555569791531/episodes/16817139556123690929


「本当はちゃんとわかっているんでしょ?」


 冷たい冬の風に包まれて、私は彼女との出会いを思い出す――。


 それはサラサラと流れる小川のせせらぎ。ゴロゴロと小石の転がる河川敷でのこと。

 どんよりとした灰色の空の下、私はぼんやり川面を眺めていた。うっすらと映った灰色の空の先に、昏い川底がゆらゆら揺れる。冬の川辺は吹きつける風が凍えるほどに寒くって、私は身体の芯まで冷えきっていた。


「何してるの?」


 川面に黒い影が映る。振り返ると、浴衣姿の女の子。こんなに寒いのに、浴衣で平気なのだろうか。びっくりして黙って見ていると、彼女はにっこり微笑んだ。


「いいでしょう?雪の結晶の柄なの」

 くるっとその場で回って見せる。黒くしなやかな髪がくるっとなびいた。


「……綺麗」

 ホントに素敵で私は思わずそうつぶやいた。彼女は「ありがと」と言って、いたずらっぽい笑みを浮かべる。その笑顔は、何だか微笑むだけでも眩しかった。それは夏の太陽みたいに。私の気持ちなんて、見向きもしない、ガンガン照りつける陽射しみたいに。

 だから、私は「ひとりでこんなところで何してるの?」と尋ねる彼女に、ホントのことを言った。


「お父さんが死んじゃったの」


 こう言えば、みんな気まずそうな顔をして黙るから。へらへら笑う彼女の顔を陰らせてしまいたくて。でも……。

「そっかぁー。ところで、お父さんは何て名前だったの?」

 彼女はけろっとした顔でそう続けた。何だか私は拍子抜けして、「……御幸みゆき」と父の名前をただつぶやいた。


「へー!私のお母さんも深雪みゆきだよ」

 と嬉しそうに笑って言った。

「中学校の先生だったんだ。早くに死んじゃったのも、一緒だね」

 どうして、先生だったことまで知ってるのだろう。ぼんやりしている私に質問をする隙を与えないかのように、彼女はつらつら言葉を続ける。

「寂しいなら、私がお父さんになってあげようか」

 わけが分からなくて、彼女の顔をただただ見つめた。雪のように極め細やかな白い肌。切れ長な相貌は真っ暗でただただ私が映っている。


「それとも、貴女がお母さんをやる?」

 長い黒髪が風に踊って、私の視界を埋めつくす。唇にそっと温かいものが触れた気がした。


「それじゃあ、私がみどり貴女、貴女が深雪お母さんね」

 見慣れた淡い癖毛の下で、目の前の少女がにっこり笑った。太陽みたいに明るかった。

 反面、私の世界はどんどん白く、雪に染まる。それはあの子の肌のように。もしくは、静かな水面のように。

 白い鏡は大きくひび割れ、砕けて落ちる。私と彼女の記憶が混ざる。――私は古い鏡の精。映った貴女の心を真似る。私はあの子のお母さん。私を知らないあの子をよろしく――。


 ――眼を開くと、そこは我が家の暗い廊下。私の髪はふわふわ癖毛に戻っていて、目の前の鏡の中で、彼女が浴衣姿でニコニコ笑っていた。


「家族ごっこ、楽しかったでしょ?」


 ……やっぱり、夏の太陽は嫌いだ。


《次話 完結『第十球 夏』》

https://kakuyomu.jp/works/16817139555569791531/episodes/16817139556201456188

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る