第七球 何も知らない

前話『第六球 冬だよ』

https://kakuyomu.jp/works/16817139555569791531/episodes/16817139555951931822


「楽しかったね、家族ごっこ」

 部屋に流れる冷たい風が、私の胸の奥にまで吹き込んだみたいだった。

 お母さんが言ってることがわからない。喉が渇いて、声が出ない。胸に氷が詰まったみたいだ。お母さんは私の方を振り向かない。だけど、その黒髪は今日も綺麗で、艶やかで。手のグラスには、青褪めた私が小さく映っていて。美術館で氷筍ひょうじゅんを見たときのことを思い出して。雪の柄の浴衣を選ばなかったときのことを思い出した。電子レンジはまだ回っていて。頭が痛くなるような超音波を放っていて。誰が食べるかもわからないカルボナーラを解凍している。だけど、胸の氷はどんどん膨らみ。頬を冷たい何かが伝って流れて落ちていく。きっとそれはどんどん溢れて、私の氷をぐんぐん育てる。それこそ、あの日の氷筍みたいに。


 突然、ふわっと頬に熱を感じた。


 隣のみゆきがほんのり紅い顔をして、じっと私を見つめていた。少し垂れた切れ長の目がじんわり潤んで艶かしい。……私と違って睫毛も長い。お母さんはこんな顔をしてたっけ?

 ぼんやり私が見ていると、彼女はふっと視線を外し、私の手をとり歩きだした。

 そこは我が家の暗い廊下。

 だけど、何故だか、うんと長くて。冷たい風が吹いていた。家の中なのに、雪が舞う。

 ぐんぐん先を歩いていくみゆき。

 いつの間にか、彼女は浴衣姿になっていた。分厚いコートは私が着てた。

 髪の隙間から覗く白いうなじ……。浴衣の柄は雪の結晶。彼女の長い黒髪にとてもよくあっていて、あの日の六花雪の柄によく似てた。


 ……お母さんはどうして冬が好きなんだろう。暑いところは嫌いなのかな。私のことも嫌いなのかな。お母さんにはもう会えないのかな。私はひとりぼっちになるのかな。


 哀しいけれど、涙は出ない。もう全部、氷になってしまったみたい。少し楽になった気がして、「ふふふ」と変なわらいがこぼれる。


「……あなたは何にも知らない」

 気づくと、みゆきはこちらを向いて、怒ったような、泣いてるような顔をしていた。

 私はやっぱり何にも分からなくて、「それなら、何か手がかりくらいくれたらいいのに」って思った。もしかしたら、声に出ていたのかもしれない。

 みゆきは少し嬉しそうに微笑むと、私に向かって、白い息を吹きかけた。……当たり前だけど、温かかった。


次話『第八球 目覚め』

https://kakuyomu.jp/works/16817139555569791531/episodes/16817139556123690929

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