第五球 白昼夢

前話『第四球 深雪』

https://kakuyomu.jp/works/16817139555569791531/episodes/16817139555860845840


 流れ出した冷たい空気に、さーっと背筋が寒くなる。何だか嫌な予感がした。

「……お母さん?帰ってるの?」

 ほんの少し、私の声は震えていた。吐いた息が、ふわっと白く染まる。外はあんなに蒸し暑かったのに。半袖の腕は小さく鳥肌が立っている。

「……もしかして、私、冷房を消すの忘れちゃってた?」

 静まり返った家の中に私の声が虚しく響いた。お母さんはまだ帰っていないのだろう。でも、それなのに、こんなに涼しい、いや、寒い原因は……。


 ――あぁ。『深淵を覗くとき、深淵もこちらを覗いてる』とは、誰が言った言葉だっただろう。まぁ、別に誰の言葉でもいいのだけど。ただ、そういうことはもっと大きな声で言っておいて欲しい。だって、このときの私はそんなこと知らなかったから……。


 廊下でおぼろ気に光る例の鏡。

 そこには暗い廊下が映っているはずだった。幼少期の私が描いた落書きがうっすら残ったクリーム色の壁紙。私の身長がいくつもしるされた黒い柱。どちらも私の思い出だった。

 でも、今そこに映っているのは灰色の空と雪景色。それは夢みたいな、いや、まさにさっき夢で見た銀世界だった。

 思わず私はぎょっとして、黒い柱があるはずの後ろの壁を振り向いた。そして、

「――~~~んぎっ!!!」

 ……勢いあまって、首の筋をちがえた。

 あまりの痛みにそのまま私はしゃがみこむ。その拍子に、ぐるぐるぐるーっと世界が回って、気がついたときには、私は白銀の世界のど真ん中にいた。

 遠くに見える黒い松林。いつの間にか着ていた古いコートに、手編みのマフラー。紛れもなく、あの夢の世界だった。


「みどり」

 どっと、強い風が吹いた。軽い雪の粒が激しく私に吹きつける。まるで、みどりを白く染めようとしているみたいに。

 風が弱まり、声の方へ振り向くと、艶やかな黒髪が六花の吹雪の中を舞っていた。


「おかえり、みどり」


次話『第六球 冬だよ』

https://kakuyomu.jp/works/16817139555569791531/episodes/16817139555951931822


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