第八球 目覚め
※この作品は、おくとりょう様主催の自主企画『第一回キャッチボール小説マラソン大会』にむけて書かれたものです。したがって、おくとりょう様の書いた「第七球 何も知らない」の続きとなっております。
「第七球 何も知らない」は以下URLから
https://kakuyomu.jp/works/16817139555266066744/episodes/16817139556056412191
『第一回キャッチボール小説マラソン大会』要項はこちら
https://kakuyomu.jp/user_events/16817139555566238264
◇◇◇以下、第八球本文◇◇◇
私は、私が呼ぶ「お母さん」という言葉にどれほどの実感が込められているのかわからない。
私には実母の記憶がない。本物の母親との思い出は、私にはひとつもない。
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「ひゃー、暑いあつい」
運転席に座りながら車のエンジンをかけているのはお父さんだ。「エアコンつけないとやってられないね、みどり」
・ ・ ・ ・ ・ ・
「ここ、一年中冬みたいなんだよね。私は冬が一番好きだな」
美術館に足を運んだのは小学生のとき、社会科のレポートを仕上げるためだった。私と一緒にガラスの氷筍を眺めながらそう呟いたのは、引率の田畑先生だった。優しい女の先生で、みんなが「お母さんみたい」と言っていた。だから私も(お母さんってこういう感じのひとなのかな)って思っていたのだ。
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「――さんも来れたら、よかったのにね」
「……うん」
祖父母と一緒に川辺でバーベキューもやった。あれも小学生の頃だっけ。あのとき来なかったのはお父さんだ。そう、「中学校の先生も大変よね」と祖母が漏らしたのを覚えている。中学校で教師をしていたのはわたしのお父さんだ。あの頃まだ父は生きていた。
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「雪って、六花っていう別名があるんだって。雪の結晶が六角形だからそう呼ぶんだって。ほら、見てごらんなさいよこの反物。雪の結晶柄なんて珍しくっておしゃれじゃない。木綿に麻が入っていて手触りもいいし」
祖母と一緒に浴衣を探しに行った。祖母は六花の模様が気に入ったみたいだったけど、私はごくオーソドックスな朝顔の柄にしたのだ。
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「――あなたは何にも知らない」
みゆきにそう言われたときに初めて、私は「知りたい」と思った。今まで私が見ないふりをしてきたものを、今度こそ見なければならないと悟ったのだ。
耳元にみゆきの呼気がかかる。温かい息がふれるたびに、私は「本当のこと」を思い出す。
『みどりちゃんのことは、今日からみどりと呼びます。敬語も禁止です。じゃない、禁止だぞ』
初めて会ったときにお母さんが言った台詞、あれは当時流行っていたテレビドラマの台詞だ。主人公の女の子の名前がたまたま私と一緒だったから、すごく印象に残ったのだ。
私が持っていた「お母さん」らしき情報の欠片をパッチワークみたいにして、私はずっと夢を見ていた。
本物の思い出も、実感もない、だけどずっとずっと憧れていた「お母さん」と一緒に暮らす夢を。
(ああ、楽しかったな。家族ごっこ)
涙がぽろぽろと頬を伝っていく。なにが悲しくて私は泣いているんだろう。自分でもよくわからない。
みゆきが私の手をぎゅっと握った。
「あなたは何者?」
私はみゆきにそう尋ねた。みゆきはまたにっこりと微笑む。
「それも、本当はちゃんとわかっているんでしょ?」
みゆきのささやき声が、頭の中いっぱいに満ちる。
風の音が聞こえる。冬の、冷たい風の音だ。
夢から醒める時が、いよいよ近づいてきているのを感じる。
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