殺人鬼は満月の夜歩く
暗闇坂九死郎
殺人鬼は満月の夜歩く
殺人鬼は何にでも化けることが出来るという噂だった。
ある時は老いた乞食、ある時は若いOL、またある時は塾帰りの少年の姿をしていたのだという。
その日は十五夜だった。
(やだ、こんなときに思い出しちゃうなんて……)
いかに満月といえども、分厚い雲で覆われてしまえば世界は闇に包まれることとなり、殺人鬼が現れるのは決まってそうした夜だった。
恵の足取りは自然と早まっていた。
何時もは何気なく通る道でも、一度恐怖に駆られてしまうと、何処かに殺人鬼が潜んでいるとしか思えなくなっていた。
「あのゥ」
「うわあ!」
杖をついた老婆に背後から突然声をかけられて、恵は驚きのあまり駆け出していた。そのまま二百メートル程走ったところでようやく足を止め、肩を上下させて呼吸を整えた。
「ふふふ、あはははは」
恵は急に自分のあまりの滑稽さに笑いだしていた。
(私は一体何に怯えてるのか? 小さな子供じゃあるまいし。さっきのお婆ちゃんだって単に道を訊いてきたとか、そういう理由で近づいてきただけだろうし。恥ッずかしい~)
「君、どうかしたのかい?」
またしても背後から声をかけられる。
今度は制服姿の警官が怪訝そうな顔をして立っている。
「いえ、大丈夫。何でもないんです」
足早に立ち去ろうとする恵の腕を警官は強引に掴みかかった。
「……待ちなさい。君、名前と住所は?」
「きゃあッ!」
恵は警官の腕を振り解き、思い切り股間を蹴り上げると、一目散に逃げ出した。
家に着き、玄関のドアに鍵をかけると、恵はそのままソファに倒れこんだ。家の中にいてもまだ身体の震えは収まらず、しんと静まり返った空間自体が恐怖に感じられた。
(音よ、何か音を鳴らさないと)
恵はテーブルの上のリモコンでテレビのスウィッチを入れる。静寂は破られ、これで漸く安心出来るかに思われた。しかし、テレビ画面は恵にとって信じられない光景を映していた。
それは先程まで恵が歩いていた遊歩道である。
『たった今入った最新のニュースです。つい先程、東京都○○区△△町の遊歩道で二名の遺体が発見されました。一人は老人で、死因は突然大声を上げられたことによるショック死。もう一人は現職の警官で、股間を潰されたことによるショック死である模様。犯人は逃走中で、警視庁は近隣に住む方々に外出は極力控え、戸締りを厳重にするよう注意を呼びかけています。尚、東京都内で頻発している連続通り魔事件との関連も……』
「物騒な事件ね。あー怖い怖い」
恵はため息をついて、クローゼットを開ける。そこには出前持ちからセーラー服まで、あらゆる衣装が敷き詰められている。
「さて、明日は何着て出かけよう」
【了】
殺人鬼は満月の夜歩く 暗闇坂九死郎 @kurayamizaka
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