私の恋人

かわき

私の恋人


私には夫がいました。


私を置いて、先に逝ってしまいました。


それは突然の事で、まだ信じきれていない部分があるけれど。いや、信じようとしてないだけなのかもしれないけれど。夫が今もまだこの世のどこかで、私を探しているような気がします。




あれは60年前のことです。私が、進学するために実家から遠く離れた場所へ行かないと言ったら、内気な彼が珍しく「今夜、あの公園で会おう」と言ってきたのです。時間通りに着くと、ベンチに座っている彼の姿がいました。まだ私の存在に気づいていない様子だったので、そっと近づき、脅かしてみました。そしたら驚いたのは私の方でした。彼は泣いていたのです。「すまない。ちょっと驚いて泣いてしまったよ」と、冗談のつもりで言ったのか、私には、強がりで言ったように聞こえました。その後沈黙が続いたので私から言ったのです。てっちゃん(てつろう)は学校に気になる人はいないの?って。そしたらてつろうは、「……」。てつろうはいつもそうです。何か言いたそうな表情をしても、口にすることはなく、私が彼の考えているであろうことを発言すると、彼はその言葉を神輿に担ぐかのように、賛成!っと言わんばかりの口調で自分の意見を後付けする。だからいつも私の負担が大きい。でもそれは嫌じゃなかった。

私は彼を両腕でいっぱいに抱きしめた。今日だけ、特別。てつろうも両腕いっぱいに抱き返してきた。分かるんだよ、何考えてるのか。私にだけ。私のどこがいいのさ。てつろうはこう答えた。「変かもしれないけど、あなたという存在が、僕にとって恋しいんだ。もちろんあなたは可愛い。誰よりも可愛くて、ちょっとした行動につい目を奪われてしまう。そんなところ、かな」

私は勢いに任せて彼にキスをしようとしかけた、が、彼は上手くそれを避ける。

なんでよ、今できると思ったのに。

「……だって、そんなことしたら、もっとあなたを好きになる。好きになりすぎて、……」

彼が泣くのを私は全力で抱きしめた。私も泣きそうだ。もしかしたら泣いているのかもしれない。まだまだ肌寒い3月の風が、彼の温もりを、彼の存在を私に示してくれる。だけど、その存在がどこか遠くにあって、今会いたい、今彼を抱きしめたい、そう思っても出来ないのだと思うと、それが辛くて、今この瞬間が大事な時間なのだと思い知る。

私達はそのまま数十分、抱きしめ続けていた。


その後彼からの告白はなかった。私からの告白もだ。しかし成人式で出会った時に、彼からのアピールに私はこたえ、私達は交際し、そして25のときに結婚し、子供もできて、家庭を築いた。幸せだった。幸せすぎたのかもしてない、と思わせるほどに。

家は都内にあり、一人息子は千葉で建築業をしている。私達はもう50を過ぎ、息子も今度入籍する予定だ。時間が過ぎるのはあっという間だ。幸せはそう長くは続かない。あの時の公園のように。


てつろうは認知症だと診断された。私達も気づけば目の前に80歳という看板が立っている。

てつろうは変わってしまった。何か言いたげな表情をするから、○○がないの?、と聞くと。「そうだよ、どこを探しても見つからないんだ。お前が持ってるんじゃ、ないのか」

お前と言われると傷つくし、それに、物盗られ妄想が多く、しまいには「お前は、だれだ」と言ったり、突然に姿を消してしまうなんてこともある。その度に警察の方にお世話になったりしている。見つかったと報告があれば向かいに行くことが2回。そしてあの日で3回だった。

あの日は不注意で、家の鍵をちょうど空けていた日だった。昼寝をしていた私は目覚めるとすぐに嫌な感じがした。それは的中し、てつろうがまたどこかに行ってしまったと言うことを悟ると、すぐに警察に電話、捜索活動が開始した。そうして夜になりだした頃、彼が見つかったと報告が入り、迎えに行った。

また急にいなくなって、心配するんだよ私は。

警察の方たちにお礼をした後、タクシーが待っているところまで一緒に歩いていた時だった。

「まさこ。いつも俺の言いたいこと代弁してくれてありがとうな。あれは俺の性格がどうとかあったけど、ただまさこにちょっかいかけたくてしてたことなんだ。好きなんだ。昔も、今も。だからこれからも、俺はまさこのこと、好きだよ」

あまりにも突然の発言に、口を挟まずに聞いていた私はツッコミたくなった。何今更そんなこと言うのよ、って。で、最後に、私もよ、って。そんなことを言おうとした時だった。隣を歩く彼は急に倒れた。

すぐに救急車を手配して病院まで送り届けた。が、新型コロナウイルスの患者が多く受け入れ先の病院が見つからず、けっきょく見つかった病院は40分後だった。緊急治療を受けた。が、彼が戻ることはなかった。あと数十分早ければ助かっていたかもしれない命だったらしい。しょうがない結果だったのかもしれないけど、やるせない気持ちでいっぱいで、後悔、なんて文字が宙を浮かんでいる。


好きになりすぎて、か。私は最後の彼の言葉に返すはずの言葉の行先をなくした。幸せだった時は早く、気づけば彼はもうこの世にはいなくて、私は彼に会いたくなる。でも今の彼はそんなの望んでないだろう。彼は未来も愛すると言った。それはどこか知らない場所にいる彼が私に向けた言葉ではなくて、私の目の前にいた、ここにいたんだ、という彼が残した言葉だ。きっと今も私を待ってどこかに潜んでいるのだろう。彼の心は私にしか読めないのだから、適した時に彼の心を紐解くとするわ。その時にまた、私はあなたを愛せるから。








※この物語はフィクションです。


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私の恋人 かわき @kkkk_kazuya

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