失礼クリエイター滅ぶべし

新巻へもん

謎マナーは昔から

 この三か月というもの不眠不休で練った企画が水泡に帰そうとしているのを前に俺は何もすることができずにいた。社運を賭けた一大プロジェクトの売り込み先である足利商事の社長を前にして唇をかむことすらできない。そんなことをしたら、したり顔で社長の脇に控えている高師専務の思う壺だ。


 先ほど終えた提案内容ではなく、我が社の行動の一挙手一投足に難癖をつけてこきおろした男。立ったままでプレゼンをしたのは当社社長を見下ろしており失礼だの、所定時間内に終えたのは熱意の無さの表れだの、出した飲み物に手をつけないのは、当方の条件を『飲む』つもりが無いだの、言いたい放題だった。


「そんなビジネスマナーも知らずに当社と取引しようとはいやはや。駆け出しの新人でも知っていることすら分からないようでは、他のレベルも察せますな。社長。口では何とでも言えます。エンヤエンタープライズとは大きな取引はしない方がよろしいかと」


 祖父が興し父親が育てたエンヤエンタープライズ。三代目の俺が継いでからというもの正直経営はあまりうまくいっていない。原材料高や競合他社の安売り攻勢によって危機に立たされていた。その状況から脱出するための起死回生の策が、足利商事の大型案件だ。コンペを勝ち残り、最終選考まで残れたというのに……。


 ドヤ顔で謎マナーを披露して悦に入っている高師専務が疎ましい。どこのマナー講師に吹き込まれたのか分からないが、勝手なことを言って場の流れを変えてしまった。テーブルの下の見えない場所でぎゅっと手を握りしめる。できることなら高師専務をぶん殴りたい。


 あいつまでの距離は十メートルほど。他の社員に邪魔されずにたどり着けるだろうか? いや、そんなことをしても事態は何も変わらない。しかし、ここで何をすれば再び流れを取り戻せる? 何も思い浮かばず無力感に打ちひしがれる俺に声が聞こえた。


「力が欲しいか?」

 幻聴かと思ったがやけにはっきりした言葉だった。

「再び問おう。力が欲しいか?」

 周囲を見回す。


 時間が停止したかのように、我が社の者も足利商事の社員も等しく身動きをしていなかった。何か尋常ならざる事態が置いているらしい。どうやら悪魔かなにかが取引を持ち掛けているのだろう。俺は半ば自棄ぎみに叫んだ。

「欲しい。あの高師をやりこめて、このプレゼンに勝つ力が欲しい!」

「承知!」


 力強い声と共に空中から男が現れた。月代を沿って裃をつけた男は腰の刀に手を添えながら吠える。

「内匠頭推参。上野介め、また世を惑わすかっ!」

 そのまま会議室をばく進すると腰の小刀をさっと抜いて高師専務に斬りかかる。


 高師専務はばったりと倒れ、その体から何かが漂い出て人の形を取ったと思うと霧散した。脇差を手にした男はカラカラと笑いながら俺の側に戻ってくる。

「松の廊下ではしくじったが、今日のところは首尾よく討ってやった」

「あれは一体?」


 おそるおそる尋ねる俺に男は莞爾と笑う。

「上野介めの怨霊よ」

「上野介?」

 男は驚きの表情をする。


「おぬし、上野介を知らんのか? 吉良上野介だ」

「はあ」

 俺の気の抜けた返事を聞いて男はやれやれという顔になった。

「ということは、わしの名も?」


 俺が首を横に振ると慨嘆した。

「確かにおぬしの若さではもう年末の忠臣蔵を見る機会もないか。わしはな、浅野内匠頭。吉良上野介が次々と創り出した勝手なしきたりに振り回され、江戸城で逆上して斬りかかったのだ。その結果、わしは切腹で上野介はお咎めなし。その後、四十七士が苦労の末に見事吉良上野介を討つという話なのだが知らぬか?」


「残念ながら」

「昭和の時代は毎年のように放送されていたのだが、時代は変わるものじゃな。まあ、それはさておき、その上野介の亡霊は数百年の年を経てもなおも身勝手なしきたりを広めようとしておる。失礼くりえいたーなる輩が暗躍しておるだろう。あれは全て上野介の毒気に当てられた者どもよ」


「すると、俺が危うく仕事を取り損ねて、会社がつぶれそうになったのも、その上野介とかいうのが悪いのか?」

「半分ほどはな。残りの半分はおぬしの経営能力の問題だ。そこまであやつの責任にするというのはやりすぎというもの。まあ、わしがあの者に取りついていた上野介の怨霊を斬ったから本日の売り込みは仕切り直しになるであろうよ」


 俺の能力のなさを指摘されて言葉が詰まったが、とりあえず礼を言う。

「どうもありがとうございました」

「なに、礼には及ばん。わしのように詰まらぬしきたりに振り回されて路頭に迷う者を見たくないだけのこと」


 浅野さんは表情を改める。

「しかし、年末の忠臣蔵が無くなったことで、世におかしなしきたりを広めようとする輩の危険性が認識されなくなってきておるのが嘆かわしい。これでは世知辛い世の中になってしまう。そうだ。本日の礼代わりと言ってはなんだが、再び世に忠臣蔵を広めてはくれまいか。このままではわしに殉じた大石たちも浮かばれぬ」


「お言葉ですが、もう時代劇は流行らないというか、難しいんじゃないですかね。もう刀を振り回す技術も継承できてなさそうだし」

「そこをなんとか考えるのだ。うかうかしていると、おぬしの仕事を再び邪魔されるかもしれんぞ。もう時間じゃ、よく考えてくれい」


 浅野さんの姿が消え、再び周囲の時間が動き出す。そして、泡を吹いて倒れた高師専務を囲んで大騒ぎとなった。しばらく人事不省となって回復した高師専務は、謎のマナーを口にすることはなくなり、結局、やり直しのコンペは我が社が勝ち取る。


 そこから業績が急回復した俺の会社は、アニメ事業に乗り出した。最初の作品はネットの評判は上々だ。忠臣蔵を翻案し、全員美少女化した萌えアニメ。日本人なら美少女化は必然でしょ。

AKBあこうぶし48。失礼クリエーターをやっつけろ!』

 見てくれよな。

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