第10話 誓い


 アグリシアが目覚めた時に視界に映ったのは、疲れ切り憔悴したような顔のエドワードだった。

 ぼんやりと見つめていると、彼は泣きながらアグリシアの頭を抱きしめた。

 「アグリシア、良かった。本当に良かった」と、何度も名を呼び、手を握り、頬をなで、髪をすくい、アグリシアを確認するように、何度も何度も名前を呼んだ。


「エ、ドワー…さま」


 掠れた声は震え、聞き取りにくい。それでも自分の名を呼ばれ、エドワードは泣きながら笑った。心の底から安心したような笑みをこぼしていた。



 医者が呼ばれ、もう大丈夫だろうと言われ、やっと安心することができた。

 少し落ち着きを取り戻し、騒がしかったアグリシアの周りが穏やかになると、ふと考える。


 夢と現実の境が曖昧になっていて、これが本当の世界なのかはっきりしない。手を頬に運び思い切りつねってみた。

 寝たきりで力こそ落ちていたが、つねった頬は確かに痛かった。

 それを見たマリアが飛んできて

「お嬢様、こんなことをしてはいけません。ほら、赤くなったじゃないですか。

 うぅ…、夢じゃないですよ。お嬢様はもう目覚めたんです。お、おじょうさ…ま」

 ボロボロと頬を伝う涙を拭おうともせずに、マリアはアグリシアのそばで泣き続けた。





 あれから数日が経ち、アグリシアはエドワードと共に自宅の庭を散歩していた。

 衰弱した体を少しずつ回復させるように、庭を散歩したりして体力を取り戻す努力を始めた。

 アグリシアが目覚めたことで学園に復帰したエドワードも、朝夕と彼女の元を訪れ散歩に付き合ったり、今までの事や学園での日々の話を聞かせていた。

 

 アグリシアの手を取り支えながら庭を歩き、他愛もない話をしては見つめ合い、笑い合っていた。

 こんな穏やかな日々が幸せなのだと気がついてからは、ふたりはよく笑い、言葉を口にするようになった。


「あ!エドワード様、待って」

「え? どうかした?」

「ほら、足元に蝶がいます。良かった、踏まずにすみましたわ」

「ああ、ごめん。足元なんて気にしていなかったから。アグリシアが教えてくれて良かった。ありがとう」


 こんなことで良いのだ。こんな些細な言葉がその糸を紡ぎ、思いをのせて会話を運ぶ。

 当たり前に思う事も言葉に乗せて相手に伝える。そうすれば自然に笑みがこぼれる。


 二人は足元から飛び立つ蝶を目で追いながら、いつしか視線を合わせほほ笑みあっていた。初々しい婚約者同志のように時折頬を赤らめ、互いの手を握りその体温を直に感じる。

 こんな簡単なことで人は幸せを感じるのだと、アグリシアもエドワードも知った。

 知ってしまえば後はその想いを無くさぬように、壊さぬように、共に生きて行けばいいのだと、そんな風に考えられるようになっていた。


 

「寒くない?」

「ええ、大丈夫です。ありがとうございます」


「この手を取ってくれて、僕の方こそ心からお礼を言うよ。ありがとう」

「私の方こそ。私の手はエドワード様の手しか取りません。もう、離れません」


「うん。もう二度と互いの手を離さないようにしよう。そして、一緒に歩いて行こう」

「はい。あなたの隣にずっといます」


 エドワードの手がそっとアグリシアの肩を抱き寄せ、二人は互いの胸の温もりを感じ合っていた。

 

 アグリシアの額にそっと触れたエドワードの唇の熱に、二人の頬は赤らんだ。

 その頬を穏やかな風が吹きぬけ、そっと二人を包みこんでいた。

 






 時は流れ。神の前で並び立つふたりの姿。


 タキシードに身を包んだエドワードが、ウエディングドレス姿のアグリシアと向かい合い、彼女のヴェールをそっと上げる。

 頬を染めたアグリシアは美しく、薄っすらと涙を浮かべた瞳に映るエドワードを揺らしていた。

 神の御前でふたりは静かに唇を重ね、永遠を誓いあった。


 ハーレン伯爵家の領地の教会で行われた挙式には親族や友人だけでなく、領地の者達も教会を囲むように集まり、拍手とフラワーシャワーを降らせながらふたりを祝福した。


 

「アグリシア。これからは、この地でいつまでも一緒に暮らそう。華やかな楽しみはないかもしれないが、君を悲しませたりはしない。幸せにすると誓うよ」

「エドワード様。私はあなたがいれば何もいりません。豪華なドレスも綺麗な宝石も、私には必要ないんです。あなたが笑って私を見ていてくれればそれだけで……」


 微笑み見つめ合うふたりを、祝福の鐘が鳴り響いた。


 その輪の中に、リチャードとアメリアがそっと肩を触れさせるように並ぶ姿を、アグリシアは自分のことのように喜び見つめていた。




 あの時、夢の中へ逃げた少女はもういない。


 これからは共に生きると誓った手をとり、幸せな時を刻んでいくだろう。

 命を繋ぎながら、幾久しく、死がふたりを分かつまで。


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その手を掴めるようになるまで ~夢の中のアグリシア~ 蒼あかり @aoi-akari

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