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「それで、こんな夜中に何をしておったのじゃ」


 無事を得られて今すぐにでも、布団の中で安心と安堵の中眠りにつきたいとは思ったのだけども。

 言葉通り、無駄足になってしまうのは頑張ってくれた僕の足に忍びないのでなにか収穫を得るために隻さんと世間話をすることにした。

 

「夜に歩けばなにかありますよ、みたいな事を言われて来てみればこれだよ、まったく」


 いや、夜に出歩かない方がいいと言われたんだっけかな。どっちにしろ、夜中にむやみに出歩くものじゃない。


「ふふ、これに懲りたら、夜には無闇に外に出ん事じゃの」

「そうさせていただきます」


 へとへとになりながら、昼にも来た神社へ続く階段を上り石造りのベンチに腰掛けながら僕は隻さんの忠告に首を縦に振った。


「ここからの景色、昼は綺麗でしたよね、今は真っ暗ですけど」

「そうじゃろう、じゃがこうなる前は夜も見栄えは良かったのじゃぞ」


 月明かりで空ばかりは綺麗な景色だが、昼は鮮やかな緑に覆われていた田園風景は夜の闇で真っ黒に塗りつぶされていた。

 そんな景色を、隻さんは懐かしむように愛おしむように見つめている。


「そうなんですね」

「時代が進むのはあっという間じゃからのう」


 やはり長命種にとって時間が過ぎる感覚は、瞬きをする間に年がひとつ終わるようなものなのだろう。

 長く生きられるのは少し羨ましいが、そういった感覚になってしまうと全てに置いていかれてしまったような気分になりそうで本当に羨ましいとは思えない。


「それが急に、こんな見慣れた景色に戻って、実は嬉しかったりするんじゃないですか?」

「今の……現代の街の景色も好きじゃぞ?こう、人々の織り成す景色が変わりゆく様を見守るのは神の役目じゃからの」


 そう言いながら狐の神様は、淑やかに笑ってみせた。

 先程までの僕の長命への考え方など、氷山の一角だけを見てボヤいた凡人の妄想だったのだと思わせるような奥ゆかしさを彼女から感じさせられた。


「それはそうですけど……実際どうですか、この景色は」

「……懐かしくは、あるのう」


 つかの間の静寂の後に彼女から紡がれた言葉の尾は、かすかに震えていたような気がした。


「つい数百年前までは、こんな景色じゃったのになあ」

「僕の故郷は今でも、こんな感じでしたよ、いつか気晴らしに来てみたらどうです?案内しますよ、田んぼしかないけど」


「気遣いは嬉しいのじゃが、ここから離れられぬからのう」

「あぁ…」


 先程とは打って変わって、居心地の悪い静寂が夜闇に落ちた。

 そして先程と同じように、その静寂を解いたのはやはり隻さんの方からだった。


「お主はこの地に越してきたのかの?」

「……あ、そうなんですよ、高校に通うために引っ越してきて……って僕ここがどこか知らないんですけど」


 ついつい、自分が地元にいるていで話してしまったのだが。思い返せば僕は今、拉致誘拐果てのほぼ監禁状態にあるわけだ。

 大江さんにそこら辺のことを詳しく聞かなかったことを後悔したが、また明日にでも聞けばいいと思い直すことにした。


「あの、ここって、どこと言うか何県なんでしょうか」

「ふむ?ここは東京都、福一区ふくのいちく天寝町あまねちょうじゃが」

「んな、ちゃんと地元!?」


 東京都、福一区、天寝町。

 それはたしかに、僕が育った故郷を離れ現在住まっている地元の町の名であった。


 てっきり知らない遠い土地に連れ去られたものだと思っていた僕は驚愕の事実に、文字通り驚愕していたのだが。そんな僕をよそに隻さんは石のベンチから立ち上がる。


「ほれ、いい時間じゃろ、下まで見送ってやろう」


 隻さんは子供をあやすような口調でそう言いながら、僕に手を差し伸べた。

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不可の失脚 猫又 黒白 @Dasoku1231

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