第42話 人はみな病気

 喉が引きつるような呼吸とともに、霧の中で叫びだす。

 今まで見た中で一番ひどいパニック発作。整えられた髪をぐちゃぐちゃに引っ掻き回し、地団太を踏むように暴れだした。

 とっさに抑えようとした僕の手さえ殴りつけるように振り払い、霧でぬれた地面にうずくまる。過呼吸か、喉の奥からヒューヒューと音が漏れた。

 祇園さんはどうしていいかわからないようで、差し出そうとした手が空中で泳いでいる。

 でも母さんは自然な動きで静音ちゃんのそばにしゃがみ込むと、包み込むように抱きしめた。

 母さんが倒れて自暴自棄になっていたころの僕に、してくれたように、

 だんだんと静音ちゃんの発作が、収まってくる。



 落ち着いてきたところで、事情を説明した。

 生徒会選挙のこと、全校集会のこと。僕が小学生の家庭教師してることがわかっただけで、個人名は特定されていないこと。

「だから静音ちゃんのことは、他の人にはわからないはずだよ」

 彼女の発作が、少しずつ収まっていく。

「私が『先生』なんて、呼んだからですね。今度から外では、気を付けます」

「まあ、深い内容までは覚えてないだろうし。『高校生で家庭教師してるなんてマジヤバい』ぐらいにしか捉えてないんじゃないかな? それでも覚えてる人がいれば、別の子だって言っておけばいい」

「よかったです……」

 すっかり落ち着いた静音ちゃんは立ち上がって髪や服装を整えると。母さんと祇園さんに向かい合って、深々と頭を下げた。

「大変ご迷惑をおかけしました……」

「いいよ、気にしてないから。長い人生だもん、地雷の一つや二つあって当たり前だし」

「子供が、常におとなしく振舞う必要なんてないの」

 二人の言葉と空気からは、差別も区別も嫌悪感もない。

 静音ちゃんが本心から落ち着いたのが、ようやく感じられた。

 三人で霧の中を歩きながら、ぽつり、ぽつりと話す。母さんの体力では参道を登るのはきついだろうから、神社の周りの平坦な道を巡るくらいだ。

 霧で人の通りはほとんどなく、時折遠くを走る車の音が響くくらい。

 人見知りが激しい静音ちゃんも、母さんと祇園さんとは打ち解けるのが速かった。病気で苦しい思いをした人同士、通じるものがあるのかもしれない。

 母さんと祇園さんが静音ちゃんに軽く自己紹介し、静音ちゃんの番になる。

改まったあいさつに少しつっかえながらも、言葉を紡いでいく。

「あらためまして、玉名静音です。小学六年生、一年前から先生に家庭教師してもらってます。先生の彼女です」

 車の音がさっきより大きく響く。しーん、という擬音がこれほどぴったりな状況ははじめてだ。静音ちゃんの爆弾発言に、二人とも泡を食っている。

「西戸崎くん……」

「あらあら、モテモテね」

祇園さんは冷たい目で、母さんは生暖かい目で僕を見ている。

どーしてこうなった? 僕が静音ちゃんの彼氏? どういうことだ?

この場の空気なんて無視するように、静音ちゃんは淡々と続ける。

「だって先生、大人になってもいい人と出会えなかったら私とお付き合いしてくれるって言いましたよね?」

「それは言ったけど……」

「だったら、同じことです。私に『いい人』なんて一生現れないのは、私自身が一番わかってます」

話のトーンから真剣な話題と感じたらしい祇園さんが、詳しい説明を求めてくる。以前のデートの帰り、静音ちゃんと話したことをかいつまんで説明した。

 静音ちゃんの事情まである程度は話すことになってしまうけど、祇園さんならバカにしたり言いふらしたりはしないだろう。

「そっか……」

話を聞き終えた祇園さんは、静音ちゃんのことをじっと見つめていた。

同情することも、軽蔑することも、嫌悪することもなく。

ただ小説の登場人物を見るように、ありのままを観察するかのように彼女を見ていた。

「変わってるけど、面白い子だね。その年で五歳も年上の人にそんなふうに言えるのはある意味すごいと思う」

それを聞いた静音ちゃんは、信じられないものを見るかのような顔をして。でも少しだけ笑っていた。

「お姉さん、変わってますね。私とはじめて会う人は、だいたい『空気読めない』『ア○ペガ○ジ』とか言ってくるのに」

「変わってるのはお姉さんもだからね。普段は猫かぶってるけど…… 正直、そういうのも疲れたから」

静音ちゃんのまとう空気が変わる。

祇園さんに対してずっと向けていたぴりぴりしたというか、警戒するような感じがなくなった。

「お姉さん、いい人ですね。お願いがあります」

「何かな?」

「先生とつきあってください」

突拍子もない発案に、場が固まる。

だけどそんな空気なんてものともせず、静音ちゃんは言の葉を紡ぐ。

「塾ではフェミニズムを問う問題とか、家族の多様性を問う文章もありまして。先生と、お姉さんと一緒にいるならこのかたちが最適でしょう」

 祇園さんは肯定も否定もせず、その言葉を笑って受け流す。

 大人だなあ。

 でも僕と目を合わせようとしなかった。表情も闇に溶け込むような黒髪と霧の影になってうかがえない。

「そんなことより、せっかくだから写真撮っていい?」

 祇園さんの発案で、霧をバックに撮影することになる。

 いつかのように巫女服の中にはスマホがなかったので、僕と静音ちゃんのでまずは四人全員が揃った写真を撮る。

 それから僕、祇園さん、静音ちゃんのペアの写真もそれぞれ撮っていった。

「私、スマホで写真撮るのはじめてです」

「その時はこの赤い丸をタップすればいいんだよ。撮ったのを見るときは、ここをタップ」

「あ、あわわ」

静音ちゃんはそうやって、祇園さんや母さんと楽し気に話している。

 医者に病気だと言われた静音ちゃんだって、相手次第では関係を築けるのだ。

 彼女と初めて出会った時を思い出す。

 ボランティアで誰とも組めず作業していて、陽キャリア充グループに話しかけられた時。彼女は今と違って、黙って彼らから距離を取っていた。

 陽キャリア充は静音ちゃんを空気読めないガ〇ジとののしる。だが静音ちゃんみたいなタイプからすれば、陽キャリア充のほうが意見や常識を一方的に押し付ける空気読めない人に映るのだろう。

 誰とでも仲良くできる人間なんていない、ただそれだけのことなのに。

 腹が立てば八つ当たりだってするし、落ち込んでいれば人の気持ちに心を配れない。

 静音ちゃんは、それが普通の人より少し目立つだけだ。彼女が病気なら、僕だって似たようなものだろう。町に出れば、多少言動のおかしい人は見かける。

 僕に絡んできた吉塚のグループの奴らも、「反社会性パーソナリティー障害」と言えなくもない。静音ちゃんのことがあってちょこっとかじった精神医学の本にそんな単語が出てきた。

 衝動的で他人の気持ちを軽視するくせに自分の利益のためには猫をかぶれるという性格。

 言葉にしてみたら結構ありふれた性格にも思えるけど。

 ひょっとしたら。


 大なり小なりの差はあるけれど。人はみな、病気なのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

脱リア充のススメ @kirikiri1941

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ