第4話
◇◇◇
パソコンのモニターに映っているのは、だだっ広い荒野のような風景と、その周辺に立っている多くの人々だった。
「けっこう多いんですね。見に来ている人」
兄の言葉から数秒遅れ、スピーカーを通じて私たちに声が届く。
「──はい。打ち上げの際はご遺族の方だけではなく、他の方も一緒に見学することが多いですね。今日は普段よりも観光客の姿が目立ちます」
答えたのは、流星葬を仲介する会社に勤務している若い男性だった。
アメリカ、ニューメキシコ州にある民間の宇宙センター。父の遺灰を乗せた人工衛星はロケットに搭載され、そこで打ち上げられる。
生前の父の希望通り、父の遺骨や遺灰のほとんどは自然葬として納められることになった。今は郊外の霊園の中央に植えられた、大きな桜の木の下に埋葬されている。
宇宙へと打ち上げられる父の遺灰は、1グラムだ。
ロケットで遺灰を宇宙へと運ぶという取り組みは海外が主流のようで、日本国内ではまだ実施されたことがないらしい。そもそものハードルが高いという問題もあれば、流星葬という新しい形の供養に対する考え方がまだこの国に浸透していないというのも理由のひとつなのだろう。
日本における冠婚葬祭。少なくとも今の時代には、そのどれにも宇宙のイメージが結び付くことはない。宇宙まで遺灰を打ち上げる。宇宙で結婚式を挙げる。それらが今よりも一般的な話となるのは、何年後か、何十年後なのか。もしくはそれよりもずっと未来なのか。
「ありがとうございます」と言って兄はパソコンのマイクを切る。
「日本の葬式とは違って厳粛な雰囲気じゃない。海外らしいというか、ひたすら明るくて賑やかだ」
「そうだね」
「面白いな」と兄は笑った。
兄が働いている会社は大手の機械メーカー企業だった。その会社には宇宙開発を専門とした事業部門があるらしいが、兄曰く「配属先は間接部門だから、宇宙に関わっているようで関わっていない」とのことだった。
就職の際、兄はそういった事業を行っている会社で働くことを志望していたのか。それともたまたまなのか、私は知らない。
「──発射まで、五分前ですね。皆様もそろそろ公式の映像に切り替えて頂いた方がいいかと思います」
そう男性が告げる。皆様というのは私たちだけではなく、同じく流星葬を希望した他の遺族も含まれていた。彼は打ち上げを見届けるために現地に滞在しているようで、テレビの中継のような形で私たちに実際の様子を伝えていて、私たちはその映像を視聴している。
普段行われる流星葬はひとりだけではなく、複数名の遺灰をともに乗せることが一般的らしい。それを聞いたときにはまるで旅客機のようだと思った。他の乗客と同じ飛行機に乗り、同じ目的地まで移動する。それとよく似ている。
「そろそろか」
兄がマウスを操作するとモニターの表示が切り替わり、ロケットの全形を遠くから収めている映像が映される。
私たちは静かにその時を待った。というよりも、待つしかなかった。家族の遺灰が宇宙へと打ち上げられようとしているとき、いったいどういったことを話すべきなのか私たちには見当もつかなかった。
──トゥエンティーンワン。トゥエルブ。
気がつくと、無機質な女性の声がカウントダウンを始めていた。私が聞き取れなかっただけで、実際はもっと前から数えられていたのかもしれない。
発射まで二十秒。
私は期待と疑念が複雑に絡み合ったかのような不思議な気分になっていた。
本当に飛ぶのだろうか。父の遺灰が、宇宙へと。
このまま無事にいけばロケットは打ち上げられ、人工衛星が切り離される。父の望みが叶う。けれど、その後は?
セブン。シックス。ファイブ。
発射の時間が近づく。私の心臓の拍動も、少しづつそのカウントと重なっていく。
周回する人工衛星はやがて大気圏に突入し、燃え尽きる。燃え尽きて、流れ星のようになる。そして、その後は?
私の頭の中で、形になっていない渦のようにぐるぐると思考が巡っていた。
──ゼロ。
橙色の炎を噴かし、ロケットが打ち上がる。
空気を切り裂くような轟音と、大きく舞い上がる白煙とともに、ロケットはひとつの光となって上空へと飛んでいく。地上から飛行機雲を伸ばすかのように、その光は一筋の航跡を描く。
飛んでいる、と思った。
宇宙を目指して、父の遺灰を載せたロケットが飛んでいる。
やがて、打ち上げられた光は見えなくなった。紙に筆を走らせたかのような白雲だけが、青空に残されていた。
「──いや、これは」
兄が感心したように呟く。
「凄いな」
「うん」
私も同じような気持ちになっていた。父の遺灰が本当に宇宙に打ち上げられたのだという興奮と驚きが感情のほとんどを占めていて、疑念なんてものはすっかり吹き飛んでいた。
ふと隣を見ると、母は無言でモニターをじっと見つめていた。
母は今、どういった気持ちでこの光景を見ているのだろう。感慨に浸っているのだろうか。それとも呆れているのだろうか。
「──やっぱり、私にはよく理解できないけど」
母が口を開くのと同時に、配信されている映像が自動的に切り替わる。ロケットの打ち上げを見物していた観衆からは、大きな歓声と拍手が沸き上がっていた。
その中で、涙を流しながら抱き合っている一組の老夫婦がいた。
彼らの雰囲気からして、ただの観光客というわけではなさそうだった。おそらくは遺族だろう。ふたりはきっと、自分たちにとって大切だった誰かを見送った。私たちと同じように。
「いいのかもしれないわね。こういうのも」
母の横顔は、どこか穏やかな表情をしているように見えた。
ロケットから切り離された人工衛星が今どの辺りに位置していて、いつ燃え尽きるかといった情報は、専用のアプリケーションを使用することでパソコンやスマートフォンから追跡ができるらしい。どこまでも技術は進歩している。
この流星葬の終着点──人工衛星が燃えながら消えていく光景は、自分の目で見てみたい。けれど私がそれを見ることができるのかは分からない。
父が言っていた。綺麗な星を見るためには条件が揃わなければならないと。天体観測というのはタイミングが重要だと。もしも運が悪ければ、流れ星のように燃え尽きていく人工衛星をこの目で見ることはできないだろう。
けれど、もしも見ることができるのなら。
とりあえず、手でも振ってみようか。流れ星からも──いや、父からも見えるくらいに大きく。
私は目を閉じて、物語を紡ぐ。
私が思い描いた、私だけの夜空に、ひとつの星が落ちてくる。
灰と流星 鹿島 コウヘイ @kou220
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