第五話『伸ばされたその手を、今』
「価値の証明、ねえ……」
真央が去っていった後、裕哉はその言葉をもう一度反芻する。その提案は一番わかり易いものに見えて、進もうとしたその先に見えるのはいばらの道だった。
価値を示すと言っても、それは最下層の生徒たちが示したものでなければ意味がない。裕哉がその権限を使って介入する分にはできることはあるが、それを見た人たちが注目するのは『生徒会長の手腕』だろう。裕哉が手を貸すにしても、その主役は最下層の生徒たちでなくてはならない。……逆襲の物語を描くなら、主人公は裕哉であってはならないのだ。
「……できねえってわけじゃ、ないだろうけど……」
梓の才能が裕哉の記憶通りであるならば、最下層からの成り上がりだって不可能ではない。だが、現実になっていない以上そこには何かしらの問題があるのだ。果たしてそれが、裕哉の力で取り除けるものなのかどうか。
「……とりあえず、ここで考えてどうにかなる代物でもねえか」
真央の提案には一考の余地があるが、今すぐに結論が出せる問題になったわけではない。踏ん切りをつけるには、まだもう一歩裕哉の中で決定的な何かが足りなかった。
だが、かなり前向きな考え方になれたというのもまた事実。そのことを収穫だと考えることにして、裕哉は窓のへりに足をかけた。
「……今日の夕飯はなんだろな、っと!」
悩み事のあれやこれやはいったん置いておくとして、裕哉は努めて前向きに生徒会室を後にする。水魔術の応用で軽やかに地面に着地して見せると、その勢いのままに校門まで一気に駆けていった。
春の夕暮れは心地よい涼しさをたたえていて、裕哉の頬を撫でる風が鬱屈とした気分を少しだけ和らげてくれる。この心地よさが長く続いてくれないことが恨めしかった。
「せめて一ヶ月ぐらいはこれくらいだと、暑がりな俺からすると助かるんだけどな……」
「ふふっ、幼いころからそうだったもんね。……ジュース、飲む?」
「ああ、助かる……って、梓⁉」
いつもの癖で自然に返事をしてしまったが、よく考えたらこの場にいるはずがない梓の存在に驚いて裕哉は大きく飛びのく。悩みのあまり幻でも見ているのかと目をこする裕哉を、梓は楽しそうに見つめていた。
「……もしかして、生徒会の業務が終わるまで待っててくれたのか?」
「うん。大体どれくらいに終わるかは分かってたし、その時間が近くなるまで校舎で勉強してたの」
そう明かす梓は誇らしげで、褒めてもらうのを待っている子犬のようだ。その可愛い要求に応えて頭をわしゃわしゃと撫でると、梓は満足げに目を細めた。
「ありがとうな、梓。あの校舎は不便だから、家に帰ってたって良かったのに」
「普段はそうするし、今日もそうするつもりだったんだけどね。変わった魔獣を瞬殺してきたって噂がこっちにまで流れてきて、詳しい話を聞きたくなっちゃった」
「あー、アイツか。確かに変わった魔獣だったけど、戦闘力的には中の上どまりって感じだったぞ?」
そんな話をしながら、裕哉たちはゆっくりと校舎から遠ざかっていく。それにつれて、自分が生徒会長という立場から解放されていくのがはっきりと分かった。
本当に、梓といるのは心地がいい。自分が自分のままいられる気がして、梓のことが大好きだと改めて実感できる。その時間が裕哉は好きだったし、その時間が普段は登校時間の分しかないのが気に入らなかった。
「……梓、そっちはどうだった?今日も問題はなかったか?」
「うん、特に何も。……本当に、何もなくて平和だったよ」
ふと気になって質問すると、梓の表情が少しだけ曇る。何か言いたいことがあるけどそれを隠したような、そんな曖昧な笑みだった。……快活な梓には、似合わない笑みだった。
「……それなら、いいんだけど。……梓、何か悩んでないか?」
「そんなことないよ。あたしは毎日あそこで平和に過ごしてるし、争いもない。……ない事が、むなしくなっちゃうくらいにさ」
「……梓」
その横顔には、はっきりと憂いの色が浮かんでいた。嘘が下手なのが彼女の弱点であり、美徳でもある。……その顔が曇るのは、裕哉にとっても辛いことだ。
「……あたしさ、裕哉と小さいころから魔術の比べっこしてたじゃん?その時はあたしずっと勝ってたしさ、裕哉と一緒に強くなれると思ってたんだ。……なのに、今のあたしはこんなんで。裕哉はずっとずっと遠い場所に行っちゃって……何やってるんだろうねって、思っちゃうんだ」
「こんなんとか、そんな風に言うなよ……俺だってそんな立派に生徒会長やれてるわけじゃねえぞ?」
「裕哉は立派だよ。しっかり学園のトップに立って、皆を導いて……本当にすごいって思う。あたしにはもったいないくらいに、さ」
ははは、と梓は力ない笑みを浮かべる。その言葉を裕哉は否定しようとして、でもその言葉が詰まった。……かける言葉に、迷ってしまった。
裕哉が何を言ったところで、梓にとっては慰めにしかならない。今の梓に必要なのはそうではないと、裕哉の思考が安易な言葉に歯止めをかける。……じゃあ、裕哉は何を問えばいいのか。
きっと、裕哉は最後の一押しを求めているのだ。真央の言葉で得られなかった何かを埋めるのは、今横に立って歩いている最愛の彼女でなければあり得ない。……梓の言葉があれば、裕哉はなんだってやってやれる気がするのだ。
「……梓。……お前は今、満足してるか?」
言葉を丁寧に選びながら、裕哉はそう問いかける。それはとても回りくどくて、真意の読みづらい言葉だったと思う。だが、この質問には模範解答がある。裕哉が欲しいあまりに単純な言葉が、ある。
「……どうだろうね。平穏って意味では、今の生活にも満足してるのかもしれないけど。……きっと、裕哉が聞きたいのはそういうことじゃないよね」
その言葉に、裕哉はあえて何も返さない。梓の邪魔をしたくなかったし、梓の本心から出た言葉でなくては、裕哉は目いっぱい動けない気がしたのだ。
言わせた言葉では意味がない。……彼女の本音を、裕哉は欲しているのだから。
「今あたし、とっても幸せだと思う。あたしのことをこんなに思ってくれる人がいて、暖かい家庭があって、毎日平穏に過ごせてる。それってきっと、贅沢すぎるくらいに満たされてると思うの」
「……そう、かもな」
それは否定しない。普段の幸せも、きっとなくてはならないものだ。それを梓が貴ぶなら、裕哉はこの思いに踏ん切りをつけることが出来る。梓のような人たちに危険が及ばないように、さらに強い人間になるために学生生活の全てを費やすことが出来るだろう。それだって、きっと正しい時間の使い方だ。
だが、叶うならば。我儘を言うのであれば、梓が次に続ける言葉は逆接であってほしい。それを強制するつもりもないし、たとえそうでなかったとしても失望などしないと、そう断言できるけれど。
――叶うなら、裕哉はヒーローになりたいのだ。梓の憂鬱を全て吹き飛ばせるような、そんな最強のヒーローに。
「……裕哉。小さい時の約束、覚えてる? 裕哉の方が強くなったらーみたいな、そんなやつ」
「もちろん。あの日のことを忘れるなんてことはねえよ」
あの日にもらった熱があって、裕哉は今に至っている。それを否定する奴のことは許せないし、誰にも否定なんてさせない。あの日の約束は、二人だけのものだ。
「……じゃあさ、裕哉。……あたしが今手を伸ばしたら、裕哉はその手を取ってくれる?」
「当たり前だろ。……それがお前の望みなら、俺はいくらだって手を伸ばすさ」
かっこつけすぎだと、自分でも分かっている。だが、今梓はそれを望んでいるのだ。なら、その役割を演じ切るのが、彼氏のやるべきことというものだろう。
「……そうだよね。あたしの知ってる裕哉は、そういうやつだ」
裕哉の返答に梓は笑みを浮かべて、何かを考えこむように一度うつむく。しかしすぐに裕哉の方を向き直ると、その右手を力強くこちらに伸ばしてきた。
「……あたしは、裕哉に見合う彼女になりたい。隣に立ってて恥ずかしくない彼女になりたい。今のままじゃ、きっとそれは無理だから。……手伝って、くれる?」
裕哉を見つめる梓の眼は少しうるんでいて、その眦にはしずくが浮かんでいる。きっと悩みに悩んだうえで出したその答えを、裕哉は尊重しよう。……きっと、その願いを叶えて見せよう。それはきっと、松原裕哉という人間がやるべきことなのだ。
「……それが梓の願いなら、もちろん。何もかもひっくり返してやろうぜ……二人で、さ」
『手伝ってほしい』。それが、梓の願いだった。只助けるだけでなくて、手を貸してほしいと願った。そこに込められた意志を汲まずに進むことは、裕哉にとってありえない行動だ。模範解答ではないかもしれないけれど、裕哉が踏み出す理由としては十分すぎる。……足りなかった最後の一ピースは、今ここに埋められた。
伸ばされた手をがっちりと握り返して、その瞳を正面から見つめ返す。吸い込まれそうな黒い瞳は、裕哉だけを捉えている。裕哉の瞳の中にも、梓しかいない。それでいい。……この二人以外誰もいないところからの、ひっそりとした始まりでもいい。
――物語は、今確実に動き出したのだから。
ポンコツ彼女と成り上がる魔法学園生活―—この子、ホントは強いはずなんです―― 紅葉 紅羽 @kurehamomijiba
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