第四話『その価値は何処に』

「……随分と遅かったな、鹿野」



「ちょっと頼まれごとを引き受けてましてね……少し頭を使う作業だったんで、かなり時間がかかっちゃいました」



 中々難解だったんですよね、と金髪の少女は頭を掻く。小柄な体格故に早希と裕哉は自然と彼女を見下ろす構図になってしまっているが、それでも少女は臆する様子を微塵も見せていなかった。



「それに、わたしが何をやるべきかは分かってますし。それをどうこなすかもちゃんとシミュレーション済みですよ」



「……流石会計、そこら辺の段取りは完璧だな」



「そうでしょうそうでしょう、もっと褒め称えてくれてもいいんですよ?」



 しれっと今日の業務を予測して先回りしていたことを告白した少女に、裕哉は思わず苦笑を浮かべる。その真意を知ってか知らずか――彼女のことだからきっと見抜いている――、少女は誇らしげに笑うのだった。



 星火学園生徒会会計、鹿野真央。裕哉と早希という学園のツートップを前にしても臆せず自らを主張する金髪の少女は、紛れもない実力者だ。十年に一度と言われる豊作世代のトップである二人の影に隠れることは多いが、例年ならば生徒会長でも何らおかしくないというのは学園全体に浸透している共通認識だった。



 先天的な魔術の才能は当然のように裕哉を凌駕しているのだが、何よりも特筆すべきはその頭脳だ。戦闘に特化した裕哉たちとは違い、真央には技術職の面々も食指を動かしているというのはもっぱらの噂だ。



 ありとあらゆる要素から状況を把握して戦術図を描けるその頭脳は、自らの戦いに活かされると同時にこの学園のあらゆる場所に影響を与えている。大企業たちによる超青田買い宣言は、その才能を裏付けるとしては十分すぎる要素だろう。



「……それで、今日は何について意見が割れてたんですか?……その手のリストを見れば、少しは推測できますけど」



「……いや、推測なんてしないでいい。早い話が、この学園の階層構造についてのことだ。最下層の待遇にも、もう少し考える部分があると思ってな」



「あー、やっぱりそこですか。ていうか会長、その話しょっちゅうしてませんか?」



「するだけ時間の無駄だということは伝えているんだがな。……可能性を全て無為に消費したことの代償として、あの場は相応しいと思うのだが」



「そこに関してはわたしも同意見ですね。そこに考えとか多少の情けを費やす暇があったら、一人でも多くの人を最高クラスに手が届くレベルに育てる方が有意義じゃないですか」



 早希の主張に真央も同調し、裕哉は自分の考えが少数派であることを改めて実感する。もともと分かっていることだが、やはりこの学園は実力主義だ。……その渦中にいる生徒たちが、その思想に染まっていないわけはなかった。



 それを悪いというつもりはない。この世界は実力が必要な形へと形を変えたし、その意識がないまま社会に出ることは多くの悲劇を生む。……だが、それを防止するために別種の悲劇を作るのは違う気がするのだ。……違うと、思っていたいのだ。



 何回か視察に行った最下層の現状を、裕哉は脳裏に思い描く。ハイテク化が進んだ中で唯一旧時代から改装されずに残った校舎を再利用している彼女らの環境は劣悪と言ってよく、その通学路も不便なものだ。登校中にはその気分を沈め、下校の時には疲れ果てた精神と身体を荒れた路面と鬱屈とした植物たちがさらに痛めつける。……アレは、この学園の『負』を全て寄せ集めたような吹き溜まりだった。



「……どうにか、出来ねえのかな」



「それをやる価値が今の生徒会にあるかと言われたらノーですからね。会計の立場から言わせていただきますと、それをやるだけの余裕は今の生徒会にありません。会長には申し訳ありませんが、今は我慢していただくしか」



「……だそうだ。お前が優しいのは分かったから、そろそろ諦めてくれると私としてもありがたいんだがな」



「……そうするしかないなら、俺も切り替えるよ。生徒会長がえこひいきなんてあっちゃならないからな」



 その言葉は、いったい誰に向けたものか。きっと、裕哉が裕哉自身に向けてかけた言葉だ。自分に理想の生徒会長像を無理やり上書きさせなければ、今にも本音があふれ出してしまいそうだった。



「分かってくれてありがたいです。……それじゃ、ポイント分布の現状を把握しましょうか」



「ああ。このままいけば、六月にも大規模な入れ替え戦を行うのがいいと思うのだが――」



 真央の言葉につられるようにして、最下層の話題は議論から置いて行かれていく。それが前向きな議論というもので、生徒会のあるべき形というものだ。……それなのに、今日はやけに早希の、真央の言葉が胸に引っかかって離れてくれなかった。



「……会長?」



「……ああ、悪い。入れ替え戦のことだよな」



「聞いているならいいです。この調子なら例年通りにやるのがよさそうですが、今年のそれは少し刺激的な要素を入れるのも悪くないかと――」



 だがそのわだかまりも一時的に無視して、裕哉は繰り広げられる会議に没頭しようと努める。その成果もあってか話し合いはつつがなく進んだのだが、そのことに対する達成感は微塵もありはしなかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「……それじゃ、今日の活動はここまでだな。結局二人来なかったわけだが」



「もとより全員集合することの方が稀な集団だ。生徒会としてあるべき姿ではないが、青春を謳歌する姿を見せるのも生徒会の責務として飲みこむことにしよう」



「あの人たち人気者ですからねえ。今日もどっかの部活の助っ人に駆り出されてたんじゃないですか?」



 そこらへんは許してあげましょう、と真央は肩を竦める。会長と副会長という立場にはやはり特別なものがあるのか、生徒たちに親しみを持たれているのは書記や庶務、そして目の前にいる真央たちの様だ。その証拠に、裕哉は部活動の助っ人なんて頼まれたことがなかった。



「二人がそういうなら、俺も何も言わないさ。……それじゃ、お疲れ様」



 あれやこれや話しているうちにすっかり日が傾き、裕哉の宣言とともに生徒会の業務は終了時間を迎える。今日は多くの行事に対する方針が決定し、今後の活動が楽になるいい議論ができたと思う。どうしても引っ掛かることはあったが、それは生徒会長として感じる必要はない感傷だった。



「ああ、お疲れ様。……また次の業務でな、裕哉。今度はもう少し早く来るんだぞ」



「できる範囲でやらせてもらうよ。……これから、また何か習い事か?」



「当然だ。それが無ければもう少し雑談に興じていたいが、霧島の人間としてそうはいかない」



「……そうか、頑張って来いよ」



 早希の考えは厳しいが、その考え方は当然自分にも適用されている。誰よりも強く在ろうとするその姿を知っているからこそ、口うるさくも聞こえる早希の言葉を裕哉は真正面から受け止めようと努めていた。



 裕哉のエールに軽く手を挙げて答えると、早希は生徒会室の窓から地上へと飛び降りていく。スケジュールが立ち行かなくなるギリギリまでここにいてくれたのか、このビルの前には黒い車が横付けされていた。



「……相変わらずすごいですねえ、早希先輩。強いというか、揺るぎないというか」



 その姿をぼんやりと見送って、真央がそうこぼした。先ほどまでの元気のいい様子からは一転、その瞳には真剣さが満ちている。どこまでを見通しているのか分からないその眼は、早希とはまた違う才能を宿しているような気がした。



 まるで自分の全てを見透かされているような、背中に冷たい何かが走る感覚。決して心地いいものではないが、それを緩和しているのは真央の人柄というものだろう。彼女の根が悪人でなくて良かったと、裕哉はしみじみそう思った。



「……ああ。すごいとは思いながら、アイツみたいにはなれないってどっかで確信してるよ」



「わたしも同意見ですね。……ああはなれないし、よしんばなれてもなりたくない。今のわたしが、わたしは一番好きです」



 手を頭の後ろに組みながら、真央は何でもないようにそう言ってのける。短くそろえた金色の髪が、差し込んでくる西日に反射して輝いていた。



「……そういえば、お前は帰らないのか?」



 真央の宣言を最後に生まれた不思議な沈黙を破ろうと、裕哉はそう質問する。すると、それを待っていたといわんばかりに真央の眼が光を帯びた。



「もうすぐ帰りますよ。……だけど、もう一つ言っておかなくちゃいけないことがあって」



「……なんだよ、改まって。言いたいことがあったらお前は真っ先に言ってくるタイプだろ?」



「お、わたしのことをよく分かってくれてるみたいですねえ。……だけど、そんなわたしでもこの言葉を言うべきかは迷ったんです」



 照れくさそうに頭を掻きながら、真央は裕哉の指摘を肯定する。その好奇心が肯定されたからこそ、真央がためらった言葉の重みはなおさら増したのだが。



「……それを聞いたら不幸になるとか、そういう類の言葉ではないよな?」



「ありませんよ、そんなチェーンメールみたいなこと。……ただ、生徒会会計の鹿野真央のままじゃ言えないことがあったってだけです」



「……つまり、今からお前はただの鹿野として俺に言いたいことがあると」



「それであってますよ。……私欲と興味にどこまでも忠実な言葉なんで、会長の琴線に触れなければとことん無視してもらって構わない、そんな言葉です」



「……聞こうか」



 内心の緊張を飲みこんで、裕哉は真央に続きを促した。聡明な彼女がここまで丁寧に前置きすることなんて今までなかったから、その緊張感は天井知らずに上がり続けている。一秒が永遠にも感じられるような錯覚に襲われる中、真央はゆっくりと口を開いた。



「……わたしは、面白い事が大好きでして。常識がまかり通るよりも、常識をぶち破ってくれる誰かの物語を見る方が好きなんですよ。……会長。わたしの推測が間違ってなければ、あなたは最下層の環境に対して何かしらの介入をしたいと思ってるはずなんです。……それが出来ないことを、歯がゆく思ってるはずです」



「……ああ。やっぱ、バレてるよな」



 あれだけ話題に出していれば、いくら生徒会長としての立場があろうと個人的なものではないという言い訳はできない。きっと彼女からしたら推測するまでもないような事象なのだろうが、裕哉がさらに驚くのはここからだった。



「……あの時わたしは言いました。『生徒会会計としては、そんなことをしている余裕がない』って。……でも、わたし個人としては会長の意見に考えるところがないではないんです。今の現状は、あまりにどうしようもなさ過ぎる」



「……つまり、俺の考えに賛同してくれるってことか?」



「あくまで裏向きは、ですよ。生徒会会計の鹿野真央は、会長の意見に賛同できません。……だから、ここでこうやってアドバイスすることを会長へのエールとさせてください」



「……エール、か」



 裕哉の考えに対してそんなことを言われるだなんて思っていなかったから、その言葉はひどく心にしみわたっていくような気がした。裕哉の表情がほころんだのを見て、真央はにっといたずらっぽい表情を浮かべると――



「……何らかの方法で、あなたが価値を示せばいいんですよ。誰もが見捨てた、そこにある可能性を諦めた場所の価値を、わたしたち生徒会に。……会長なら、その方法を思いついてくれますよね?」



――だって当代最強の生徒会長なんですから、と。



 そう裕哉に提案して見せる真央の表情は、今まで見てきた中で一番楽しそうに見えた。

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