第三話『可能性の持ち数』

――長い長い階段を上り、生徒会室の扉までたどり着く。朝にも気だるさを感じた階段は、授業後に上るとその不快感を寄り増していくような気がした。



「いい加減エレベーターくらいつけさせろってー、の!」



 会長の権限でもどうにもならないことを叫びながら、裕哉はその無駄に荘厳な扉を押し開ける。開校三十年の歴史を知るその扉が音を立てて勢いよく開いた先には、不思議そうな目でこちらを見つける薄青の少女の姿があった。



「裕哉、遅かったな。こっちはもう作業に入っているぞ」



「お前がとんでもねえ速さで下校してるだけだっつの……もう少し友達と会話とかしててもいいんだぜ?」



 そうはいってみるが、早希が近寄りがたい人という認識を学園内で受けているのは裕哉も知っていることだ。表向き早希はそれを気にしてもいなさそうだが、その真意は読み取れなかった。



「会話なら授業ごとのもので十分だ。……それに、私はここにいる方が居心地がいいと感じるからな」



「……そうかい。それなら良かったよ」



 会長と副会長という関係性であるとはいえ、それ以前に早希は大切な友人だ。そんな彼女にとってここが居心地のいい場所になってくれているなら、それは嬉しい事だった。



「ま、俺だけのおかげってわけじゃないだろうけどな。生徒会のメンツには感謝しねえと」



「同感だ。……まあ、中々業務を始めようとしないのは気に食わないが」



 今この場にいない書記と会計、そして庶務の姿を思い浮かべて、早希は苦々しげな表情を浮かべる。彼らにも彼らなりの付き合いがあるのだろうが、早希にとってそれは情状酌量の条件にはならないらしかった。



「アイツらも部活やらなんやらあるんだから許してやれって……霧島も部活とかやったらどうだ?」



「いや、いい。生徒会にいるだけで十分刺激的だし、部活でやるようなことは既に一通り叩きこまれているからな」



「……わーお、流石名門」



 突然飛び出してきた衝撃の情報に、思わず裕哉はそう茶化さざるを得ない。それは、この少女が今のような育ち方をしているのに大きく関係しているような気がしたから。……裕哉が抱える悩みと同じように、踏み込んではいけない領域があるのをそこに感じたからだった。



「霧島家はこの先もトップを走り続けなければならないからな。この程度のこと、霧島の人間としては当然のことだ」



「……自分の時間を、極限までこそぎ落としてきたとしてもか?」



 霧島家のことは流石の裕哉でも知っている。魔術文明が発達する仮定で多くの旧財閥、旧企業が終わっていく中で唯一柔軟に生き残った名家の存在は、未だこの世界を受け入れられない者たちの希望であり受け皿でもあった。



 だが、その後継者だからと言ってそんなに窮屈であることが許されてもいいのか。納得がいかないといった様子の裕哉の表情を見て、早希の表情がふっとほころんだ。……今日初めてと言ってもいいくらいの、柔らかな表情だ。



「私にとってはこれが日常だ、今更苦にすることもないさ。それに――」



そう言うと、ずいっと早希はこちらに身を乗り出してくる。薄青の長髪がゆらりと揺れて、裕哉の頬を軽く掠めた。



「……私が自由に使える時間は、全てこの生徒会に還元している。その意味を理解できないほど、お前は愚鈍な人間ではないと信じているぞ」



「……こ、光栄なことで……」



 普段は無表情なこともあってかすみがちだが、早希の顔立ちは相当美形だと言ってもよい。裕哉としては梓のような童顔の方がタイプなのだが、ひそかに早希のファンクラブが出来ているという話は学園内だと結構知られた話でもあった。



 そんな美形な早希の視線が、まるでこちらを狙うように裕哉を射すくめている。裕哉の胸はひどく高鳴っているが、それはどちらかというと蛇に睨まれた蛙というか、自らが狩られる側だと自覚したことによる動悸と言った方が正確な気がした。



「……そうだ、とりあえずポイントの集計をしねえと!今日の魔獣は特殊だったこともあるし、付与ポイントも特例が適用されてるはずだろ?」



「………………………そうだな。今日は一限に全階層共通の魔術試験があったこともあって、ランキング変動がかなり激しいようだ」



 露骨に逃げに行った裕哉に早希の冷たい――氷点下なんて軽々突破してるくらいの――視線が突き刺さるが、やがて諦めたかのようにため息を一つ。その後に差し出された書類には、この学園に通う生徒たちの名前がひとりひとり正確につづられていた。



 その一番上には、裕哉と早希をはじめとした生徒会の面々の名前が載っている。その獲得ポイント数は三位以下と大きく開いており、いかにこの二人が規格外の存在としてこの学園に君臨しているかがはっきりと示されていた。



 この学園での成功や失敗は、全て『ポイント』という形で付与される。それが多ければ多いほど優秀な生徒ということになり、この先の学園生活を受けていくうえで好待遇を得られるというのが主たるシステムだ。



 では、その恩恵というのは――



「……これだけ変動があってもクラスを移動できるやつはいない、か。大逆転のチャンスとしてある行事なんだけど、上手い感じに機能してないな」



「それだけ正確な分離が完成しつつあるということだろう。力量を正確に測って分けることが出来ているんだから、それも悪い事ではないさ」



「……確かに、お前が言うことも正論なんだけどな……」



 変わらない現状に裕哉は内心辟易しながら、裕哉は思い切り背もたれに体重を預ける。早希の言っていたことは正鵠を射ているのだが、それが裕哉にとっては納得のいかない事だった。



――ここ『星火学園』にあるのは、徹底した実力主義だ。才能が高い者、能力が高い者にはより多くのものを得るための環境が与えられ、そうでない者からはその環境が奪われていく。時代が時代なら抗議の電話が鳴りやまなそうなシステムだが、そうでなくてはままならない事情というのもあるのだ。



「実力がない者を見分けられないというのは無意味な犠牲を生むことに繋がる。……お前が弱者をどうにかしたいと考えているのは知っているが、それは危ういものだと言わざるを得ないぞ」



「……弱者とか言ってやるなよ。そりゃ、今はちょっと足りないかもしれねえけどさ」



 早希の言っている事にも一理――いや、それどころではない正しさがある。この世界は常に魔獣の危機にさらされ、どこが戦場になるかもわからない。緊急時に生徒の力量を見誤って背中を押してしまえば、そのミスを挽回する機会は二度とめぐってこないかもしれないのだ。



 だが、早希の主張を全て受け入れてしまうのは裕哉の中の本能が許さなかった。……隔離して可能性を奪うことを、『守る』なんて言葉で飾っていいはずはないのだから。



「……最下層のクラスから這い上がっていた生徒が歴代で何人いるか、霧島なら当然知ってるよな?」



「三人、だな。それもここ二十年では一人も出ていない。……人の実力を正確に測るツールとして、これ以上ない成功例だと思うのだが」



「それじゃあ、その一個上のクラスからは?」



「そこからは年に二十人近くは入れ替えがあったものだと記憶している。……最下層が何のために存在するか、裕哉も知らないわけじゃないだろう」



「……そう、だけどさ」



 最下層とその一つ上の層では、そこだけで天と地ほどの差がある。それは最下層だけが『隔離施設』の様相を呈しているからであり、星火学園でありながらそうでないような雰囲気を纏っているからだ。



「可能性はあらゆる者に平等に開かれている。……それは正しいが、可能性が与えられる回数までは平等ではない。……あそこにいるのは、その回数を使い切った者たちだ。……私も、それを見て知っている」



「視察、たくさん行ったもんな。お前は嫌がってたけど」



「当然だ。目の前にあったはずの可能性を全て取り落としたものにかける時間など本来はなくていいのだから」



「『チャンスの神様は前髪しかない』ってやつか?……ま、お前の言いたいことも分かるけどな」



 というより、裕哉の考え方が明らかに異常なのだ。この世界は生きていくのに力が要る。なら、守る者と守られるものはしっかり線引きされなくてはならないわけで、その区別はできるだけ早い方がいい。……それは、裕哉だってわかっていることだった。



「……それでも、俺は諦められねえなあ……アイツらだって、きっと何かをやってくれるって信じてえよ」



 それは早希にかけた言葉というより、自分に対して言い聞かせるような言葉だった。そこまでして信じたいのは、明確な理由があるからだ。そう信じたい理由が、最下層にはあるからだ。



『ふふん、またあたしの勝ちだね』



 あふれんばかりの才能で、幼いころの裕哉を何度も破ってきた少女。裕哉が今に至るまで、絶えず努力していようと思えた理由がフラッシュバックする。



 今でも忘れないほどに鮮烈な印象を裕哉に与えた彼女―—『須藤 梓』の名前が最下層の所属者としてこの書類に刻まれていることが、裕哉にとっては何よりも納得のいかない事だった。



「……お前は優しすぎる。いくら稀代の天才と言われていても、その手が届く範囲には限界があるんだぞ?」



「その限界を決めるのだってまだはええよ。……やってみなきゃ、分からねえ」



 最下層にいる彼女のことなど早希が知るはずもなく、二人の意見が真っ向から衝突する。今までにないくらいに剣呑な雰囲気が部屋中に流れ込もうとした、その時―—



「……すいません、遅れました……って雰囲気重っ⁉ 喧嘩はよくありませんよ、二人ともー!」



 勢いよく扉を開けてきた金髪の少女が、その雰囲気をわずかに緩和する。二人から向けられる視線がわずかに柔らかくなったことを察してか、その少女はにへらと笑うのだった。

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