第二話『変わらない、変えられない』

「……おー、二限に間に合ったか。魔獣の対処、お疲れ様だったな」



「ええ、ただいま帰投しました。ここからは一学生として、勉学に励ませてもらいます」



「俺としてはもう少し苦戦しても良かったって感じですけどね……。とりあえず、やるべきことは済ませてきました」



 教室のドアを開けると、授業の準備をしていた教科担任が仕事を終えた二人を出迎える。すっきりと消された黒板は、次の授業の準備が万端であることを明確に示していた。



「二人ともいつも通りって感じだな……俺は才能のねえオッサンだから、魔法やらなんやらを使いこなしてる時点で尊敬するよ」



「私たちにとってはそれが必要な事ですから。先生が教師として必要な技能を身に着けているのと同じことです」



「そこの見解は霧島と一緒っすね。というか、俺からしたら誰かに物を教える仕事ができる方がよっぽどすごいと思いますよ」



 裕哉も魔術に関して友人にコツを聞かれることがあるが、その時の説明が正しいものと確信できているわけではない。魔術の指導と学業における指導は同質のものではないにせよ、教えるということの難しさは裕哉も身に染みて実感していた。



「そう言ってもらえると救われるよ。……そら、そろそろ行ってやれ。クラスメイトがお待ちかねだぞ?」



 笑みを浮かべつつ、そう言って教師は視線を教室の中に向ける。裕哉たちもつられて目線を動かすと、いつの間にかクラス中の視線が裕哉たちに集中していた。



「相変わらず手厚い出迎えだなあ。俺たちのことなんて遅刻した奴が返ってきたくらいに扱えばいいのに」



「それは違うぞ裕哉。私たちは生徒会の人間だ。そこを忘れた対応はしないようにな」



 あくまで生徒会長に相応しい態度を求めてくる早希に、裕哉は思わず苦笑を浮かべる。それを見て教師との話が終わったことを察したのか、席を切ったようにクラスメイト達がこちらへとなだれ込んできた。



「堂々ご帰還だな!今日の魔獣はどうだった?」



「なんでも特殊な生態を持った奴だったんでしょ?ケガとか……は、してるわけないか」



 口々に疑問や賞賛の声をかけながらこちらに近づいてくるものだから、入り口付近に軽い人だかりが発生してしまう。教師も巻き込まれる形になったそれは、裕哉たちの人望―—というより、無傷で魔獣を倒すことに対する憧れが強く出ているように思えた。



「いつもとそう変わるわけでもねえよ。いつもは二人で一匹か二匹を見てるのが、今回は一人一匹ずつ見なくちゃいけなくなったってだけだ」



「その通りだな。いつも教わっていることを信じれば、容易く御せる相手だった」



 何気なく二人がそう返答すると、人だかりが一気にどよめきを上げる。世代トップクラスの魔術師二人の言葉に、クラス全体が聞き入っていた。



「なんでもないように言ってのけるけど、お前たちがやってることってかなり上の次元のことだからな……?俺なんて一度魔獣討伐に出撃したら負傷やら消耗やらで三日間は戦場に出れないってのに」



「それが普通なのよ。……やっぱり、生徒会は別格なのね」



 その言葉には憧憬があると同時に、才能への諦めも少しばかり含まれている。それもまた一つの真理なのだが、その言葉だけでくくられるのが裕哉は少しばかり気に食わなかった。



「おいおい、世の中才能だけじゃないぜ? そこにいる副会長はともかく、俺よりも魔力量が高い奴はたくさんいるんだからさ」



 裕哉ももちろん人並み以上の魔力量を持ってはいるが、決して無尽蔵という訳でも規格外の魔力量という訳でもない。むしろ歴代の生徒会長を見てもその魔力量は下から数えた方が早いくらいであり、その事実が裕哉の実力をよりあらわにしていた。



「確かに、それはそうだけど……やっぱり、会長を支えているのはとんでもない努力量なのね」



「学校ふらついてたら一度は見かけるもんな……あれって何やってんだ?」



「あれって言われてもどれを見られてたか分かんねえけど……俺がよくやってるのは洗濯だな」



 洗濯板などでこするのではなく、魔術で生み出した水の球の中で巧みに水流を生み出すことで洗濯を終える。部活動のサポートにいそしむマネージャーの力になれないかと始めた作業だったが、修行としてあまりに効率が良かったので今ではすっかり日課になっていた。



「……そうやって聞くと、会長が途端に身近な存在に思えてくるよな。……なんというか、届かない高みにいるって感じがしねえ」



「そうよね……庶民的というか、前の会長より柔らかいというか。……そんな風に思っちゃうと、いつか大やけどをするわけだけど」



「んや、その認識で間違ってはねえよ。俺だって境遇で言えばお前たちとそう変わりはねえし、いつでも会長の座は脅かされると思ってる。……主に、霧島にな」



 その危機感と過去の記憶が、今でも裕哉を突き動かしているところがあるのは否めない。あの日に感じた熱は、今も変わらずに裕哉を努力へと突き動かしていた。それでも、早希の絶対的な才能には羨ましいと思わざるを得ないのだが――



「失礼なことを言ってくれるな。私は裕哉の実力を認めている。追い落とそうなんて気は毛頭ないさ」



 気が付けば、少し離れたところで会話の輪にいたはずの早希がじっとりとした目線をこちらに向けてきている。もちろん裕哉だってそんなことを疑っているわけではないが、今裕哉が会長の座を明け渡すとしたらその相手は早希だろうという確信があった。



 向けられる視線には何やらそれ以外の不満も見え隠れしているが、あえてそっちは無視を決め込むことにする。ずっと言われていることとはいえ、彼女以外の女性を下の名前で呼ぶことへの抵抗はやっぱり抜けなかった。



「やっぱりこの二人、最高のコンビだよな……。技巧派と本格派、二人そろえば隙が無いというか」



「十年に一度って言われるのも納得よね……。何が来たってふたりなら対処できるんじゃないかしら」



「二人のコンビネーション、まったくと言っていいほど無駄がねえよな。あの以心伝心っぷりにはコンビって言う枠組み以上の何かがあるような気がしてならねえよ」



 そんな裕哉をよそに、クラスは裕哉と早希のコンビの話題で盛り上がっている。その中には二人の関係をコンビにとどまらないものだとみている者もいるが、裕哉にはそれが歯がゆかった。



 いっそ恋人の存在を暴露できれば楽になれるのだろうが、この学園の事情はそれを許してくれない。仮に誤解を解くことが出来ても、それをしてしまえば現状はむしろ悪化しかねないわけで――



(……ああ、クソ)



 それがここ、『星火学園』のしきたりなのだから仕方がない。そう分かってはいても、裕哉の心の中にできたしこりはなくならない。生徒会長になっても、変えられないことは数多かった。



「おしゃべりもいいが、そろそろ授業時間だ。今日はテストの範囲にしっかり関わってくるところだから、皆集中して聞くんだぞー」



 放っておけば延々と渦巻いていきそうな思考を、教師の声が目の前の授業へと引き戻す。目下一番の悩み事を後回しにしておける大義名分が出来たことが、今の裕哉には救いだった。



 将来役に立つかもわからない用語を頭に叩き込み、忘れてはいけないらしい法則をノートへと書きつける。世界がどれだけ前に進んでも、変わらない日常の形というのは確かにあった。



――そんな現状が他ならぬ裕哉の思い付きによって変化していくのは、今はまだ誰も知らない事実である。

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