3
次の水曜日。
僕はお母さんに言われたとおり、学校を休んだ。
お父さんは朝の九時くらいにお母さんのスマホに電話をかけてきて、お昼ぴったりの時間に、古い背広で家に戻った。
ドアを開けると、お母さんは泣いてお父さんに抱きついた。
僕はお母さんがなんで泣くのかわからなくて、ちょっと怖くなった。
でも、お父さんが大きな体を揺らしてゆっくり僕の頭をなでて、ごめんな、よく二人で頑張ってきたな、えらいな、と言ってもらった時、その声に僕も泣いてしまった。
そんなに覚えてないつもりだったけど、それでもやっぱり、ずっと前に一緒に住んでいたお父さんだってことが、なんとなく思い出せた。
お父さんは僕をぎゅっと抱きしめると、すぐそこのデパートで買った、ロボットのおもちゃをくれた。
「仕事、明日からすぐ始められるみたいなんだ。頑張るからお前も勉強しっかりな」
僕はうん、と下を向きながらお昼ご飯を食べた。
お母さんが作ってくれたお赤飯が、すこし塩辛かった。
食事が終わったとき、お父さんに聞いた。
「ねえお父さん、山下清っていう人、知ってる?」
「ん? ああ、裸の大将か?」
「なにそれ?」
「そう呼ばれてたんだよ。ずいぶん昔の絵を描く人だろ。
お父さん若い頃好きだった。
なんかの病気であんまり上手に話せなかったんだけど、絵が上手だったらしいよ」
「両国の花火って知ってる?」
「ああ、それもその人が描いた絵だよ」
「じゃあ今日、見に行こうよ」
「隅田川の花火はもう終わってるな。行くなら来年だな」
「今日なんだよ」
お父さんが寝転がっていた座布団から起き上がった。
「なんだ、そりゃ」
「今日、おじさんが上げてくれるんだよ。両国の花火を」
「誰だおじさんって?」
「名前知らない。でも両国の花火を上げるんだって」
「知らないって……花火は勝手に上げられないんだよ。そんなことしたら怒られちゃうよ」
「でもいいんだよ。行こうよ」
「ちょっと母さんと相談してくるから、部屋でロボットで遊んでてくれ」
夕方になった。
それまでずっと行けるかどうかが気になっていたから、ロボットの組み立てには集中できなかった。
半分くらい、足と胴体ができたとき、部屋にお父さんが来た。
ご飯少し早く食べて、それから行こうと言ってくれた。
すごくほっとして、お父さんの腕にしがみついた。
小岩から総武線に乗ると、両国はあっという間についた。
早すぎて拍子抜けするくらいだった。
橋の上につくと、お母さんがまだ暑いわねえと水筒を僕に渡して僕の顔をタオルで拭いた。
八時になった。
浅草のほうをじっと三人で見つめていたけれど、花火は上がらなかった。
何度か、お母さんがスマホの時計を見た。いつ、もう帰りましょうと言われるかハラハラした。
でもお父さんは、お母さんがちらっと僕たちの顔を見るたびに、あともうちょっとだけ待ってみないか、と繰り返した。
お母さんは何も言わず、またお父さんと同じ方角を向いた。
十五分が過ぎて、だんだん僕のほうが飽きてきた。
なんだか知らないけど、きっとおじさんはやっぱりお巡りさんに怒られて、花火は打ち上げられなかったんじゃないかと思った。
お母さんが、上がったら写真を撮りましょうと言った。
お父さんは、花火を写真に撮るのは難しいよと答えた。
僕はじっと橋の手すりに顎を乗せて、もう一度隅田川の向こう、浅草へ目を向けた。
突然、ひょろひょろひょろと光の線が空へ向かっていった。
遅れて音が鳴った。
川の向こう、その光は高くスカイツリーの隣に上り、それから大きくまん丸な花火になった。
すぐに二発目が飛んで、それに重なった。
清の両国の花火だった。
同じ色、同じ形、同じ重なり方。
それから少したって、もう一つ、まん丸な花火がさっきよりも高く上がった。
「清の花火だ」
お父さんが言った。
「言った通りだったわね」
それから二発。次は箒を立てたみたいな形。
それから三発。すすきのように垂れ下がっていく。
それもあの絵の通りだった。
清の両国の花火を、おじさんは全部作ったんだ。
街の光に、花火の作った光が溶けていく。
お父さんとお母さんは、それをじっと見つめ続けていた。
*
次の日。
学校の帰りにおじさんのところに遊びに行くと、お巡りさんが集まっていた。
いつもと同じように庭に入ろうとしたら、出ていきなさいと言われた。
おじさん、なんかしたんですかと聞いた。
逆に、おじさんがどこに行ったのかと聞かれた。どこかに行っちゃったみたいだ。
「よく遊びに来てたけれど、おじさんのことはあんまり知らないです」
僕が答えたときに、奥のほうから別のお巡りさんが来た。
一通の大きな封筒を持っていた。
「これ、渡すように書いてあるけど、多分、君にだよね。これは君のこと?」
表に「遊びにくる小学生に渡してあげてください」と書いてあった。
おじさんの字だ。
「おじさんに会ったんですか?」
「もういいから、今日は帰りなさい。これ持って」
お巡りさんはそういうと、またおじさんの家へ戻っていった。
封筒は閉じられていない。中には両国の花火の絵と、二百円が入っている。
僕はそのお金でミニッツメイドを買ってから家に向かった。
帰り道で、会社から返ってくるお父さんに会った。
二人で家に入って、お父さんと半分ずつジュースを飲んだ。
山下清の絵は、余っていた額にいれて壁に飾った。
その夜。
僕は夢を見た。
夢の中で、おじさんは隅田川の川岸で花火を打ち上げていた。
地べたに座って空を見上げ、どーんと大きくあがった花火へ、あのぎこちない笑顔を向けていた。
【おわり】
両国の花火 梧桐 彰 @neo_logic
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