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晩御飯の時に、お母さんがテレビを見ながら言った。
「最近、友達と遊んでから帰ってるの」
うん、と小さな声で答えた。友達と言えば友達だから、嘘は言ってないと思った。
「あんまり遅くならないようにしてね。五時には帰るのよ」
「わかってるよ」
答えてから、ちょっと不安になって、お母さんに聞いてみた。
「花火って誰でも作っていいの」
「なに、突然」
「花火って誰が作ってるの」
「もう夏も終わりじゃない。花火なんて作ってないんじゃないの」
「そうじゃなくて、どんな人が作るの」
「会社の人よ」
「会社の人?」
「多分そうでしょ」
あのおじさんは、会社の人ではないような気がした。
きっとお母さんもよく知らないんだろうと思った。
*
五時までに帰ってくれば、お母さんは何も言わない。
だから四時半までは、毎日おじさんのところに行った。
おじさんはあまり話さず、黙って花火を作るだけだ。
でも僕を入れてはくれたし、ジュースをおごってくれた。
「おじさん、会社の人なの」
「おじさん会社行ってないんだよ」
「お仕事、花火だけ?」
「これお仕事じゃないんだよ。おじさん好きでやってんだよ」
「お仕事しないでどうやってご飯食べるの?」
「昔はしてたよ。その時にお金結構ためたんだよ。この花火作って減っちゃったから、そろそろ働くけどよう」
「お仕事、なにしてたの」
「ヤクザ」
「ええ?」
びっくりして、僕はがたっと立ち上がってランドセルをつかんだ。
ヤクザなんて。
刀やピストルを持っていて、それで人を脅したりする、このおじさんもそういう人なんだろうか。
「おいおい、本気にすんなよう」
おじさんがこっちを向いて、またぎこちなく笑った。
「嘘なの? ああビックリした」
「ヤクザ怖いか」
「怖いよ!」
「まあそうだよなあ。でも普通の人にはなんにもしないよ」
おじさんは笑いながら、また新しい花火を作り始めた。
がらがら、がらがら。
おじさんは横に倒した釜の中にセラミックの粒を入れて、酸化剤とか炎色剤とか、見たこともない薬を混ぜていく。
がらがら、がらがら。
「安心しなよ。ヤクザじゃないよおじさん」
「わかった」
僕はもう一度ブロックの上に座って、ももの上に肘をついて手の上に顎を乗せた。
カラスが下りてきて、ゴミ箱のふちに止まった。
「この家、坊主とカラスしかこねえなあ」
「友達連れてこようか?」
「いやあ、いいよ」
おじさんは、ちょっと寂しそうにそういった。
四時半になって、ボーンと一回、居間の柱時計が鳴った。
またね、と僕は家に向かった。
おじさんは何も言わなかったけれど、こっちを向いて、またぎこちなくにこっと笑った。
顔がうまく動かないらしくて、いつも口の端をちょっと上げるだけだけど、それがおじさんの笑顔なんだってことが、もうわかっていた。
家に着くと、お母さんが珍しく料理をしていた。いつもは届いたものをレンジでチンするだけだから、ちょっとびっくりした。
「なんかあったの?」
「うん。来週、お父さん帰ってくるから」
「来週ならまだ先じゃない」
「でも今から嬉しくって」
「そっか」
「うん」
納豆をかきまぜてご飯の上に乗せる。ピーマンと玉ねぎに豚肉が入った野菜炒めがことんとおかれた。お豆腐の味噌汁は、お母さんの好きな赤だしだった。
「お父さん、帰ってきたらお仕事とかどうなるの?」
「お仕事ね、できるって。前に知り合いだったタクシーの社長さんが紹介してくれたの」
「そうなんだ」
「社長さんのお手紙にも、お仕事していいよって書いてあったから、きっと大丈夫よ」
*
次の日、僕は少し嬉しくて、学校から走っておじさんのところへ行った。
「おじさん」
「おーう」
「僕のお父さんね、来週帰ってくるんだ」
おじさんはこっちを向かない。
玉からの半分を地面に直接おいて、その内側に完成した星をならべ、真ん中に導火線をさしこむところだった。
「お父さんどこ行ってたんだ。外国か?」
「ううん」
「じゃあどっか大阪とかか」
「ううん。刑務所」
「は?」
おじさんがびっくりして花火を作る手を止めた。
がさっと玉からが揺れて、中の星が崩れた。
まずかったかなと思って、ちょっと肩をすくめた。
お父さんが刑務所にいるってことは絶対に内緒にしてね、とお母さんから言われていた。
学校では誰にも言わなかったけれど、昨日はお母さんの機嫌がよかったのが嬉しいし、もう帰ってくるんだからと思って、つい言ってしまった。
「ああ、お父さん刑務官か。お仕事」
「ううん……お勤め。だから懲役」
「はあ? なにやったんだ父ちゃん?」
「わかんない。教えてもらってない」
「ひゃー、そりゃ大変だよ」
「大変じゃないよ。帰ってくるんだもん」
「いやそうだけどさあ」
そこまで言うと、ふと、おじさんは何かを思い出したような顔をして、僕の横を通り過ぎて居間にあがった。しばらく何かのバインダーを出して読み始めた。
「何してるの」
「ちょっとそこいてくれ」
おじさんはメモを取り出すと、ボールペンで何かをさらさらと書いて持ってきた。
「なあ、父ちゃんの名前、この人か?」
「ん? 違うよ」
「ああそうか。じゃあこの人は?」
「違う」
おじさんは次々に名前を書いていって、そして六人目で、お父さんの名前を書いて差し出した。
「あ、この名前だよ」
「……そうか」
「字も合ってるし」
「……そうかあ」
「知ってるの、父ちゃんのこと?」
「うん。きっと。うん。会ったことあるよ」
「そうなの?」
「うん。おじさん、あの清の花火の絵、お父さんにもらったんだよ」
「え? おじさん、あの絵、おじさんのお兄さんにもらったんじゃないの?」
「うん、なんだまあ、うん、ちょっと間違っちゃったんだよ」
つぶやきながら、おじさんはメモをぐしゃぐしゃと丸めて投げた。
ゴミ箱の横に当たって地面に転がった。僕は立ち上がると、その紙クズを拾って入れなおした。
「なあ坊主。この花火、上げようか」
僕の背中に声が届いた。
「どういうこと?」
「今作ってるこの花火、上げるのさ。坊主のお父さん帰ってきた日に。記念だよ」
「いいの?」
「だって上げるためにつくってんだよ」
「大事なんじゃないの?」
「大事ったって、いつか上げないと作った意味ないじゃんかよ。お父さん帰ってくるのいつなんだよう」
「来週の水曜日。午後には家につくって」
「わかった。じゃあ次の水曜の夜八時。ぴったりに両国橋ってところに来なよ。父ちゃんと一緒にだぞ。
いいな、約束だ。母ちゃんびっくりするかもしれないけど、なんとか説き伏せてこいや。な」
「わかった」
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