両国の花火

梧桐 彰

「また来たのかよ」

「うん」


 近所のゴミ屋敷の一歩手前みたいな木造の戸建てに、小さな庭がある。


 その庭は僕の住む団地の三階からよく見える。

 そこに住んでいるおじさんは、いつもごそごそと大きな道具を使って、いろんな色の何かをかき混ぜている。


 僕はそれが、前から気になっていた。


 食べ物じゃないし、絵具とかでもないように見えた。

 気になって、小学校の帰りにおじさんの作業をのぞくようになった。


 一昨日はじろりとにらまれて「帰れよ」と言われ、その日は怖くなってすぐ家にもどった。


 昨日はもう少し粘った。


 大きな金属の釜の中になにかを混ぜているみたいに見えた。

 じっとそれを見つめていたら、今度は何も言われなかった。


 夜になって、ご飯の時間になって、腰かけていた縁石から立ち上がろうとしたとき、おじさんが僕に声をかけた。


「人に見せるためにやってんじゃねえんだよ。もう来んなよう」


 怖い声で言われて、慌てて立ち上がって振り向いた。

 けれど、その僕の背中にもう一つ声がかかった。


「水筒忘れてるよう。母ちゃんに怒られっぞ」


 振り向いた。擦り切れたバッグに入れた水筒がブロックの向こうに転がっている。

 慌ててそれを拾うと、赤く染まりかけたアスファルトを小走りに駆けて帰った。


 そして今日。三回目だ。

 今回はバレないように、おじさんの背中側から生垣をのぞいてみた。

 けれど、ちょっと背筋を伸ばそうとしたときに、がさっと枝に手が引っかかって、またおじさんに気づかれてしまった。


 おじさんは怒ってるのか笑ってるのかわからないくらい、小さく口の端だけをゆがめた顔で、すたすたとこっちに歩いてきた。


「おまえ、来んなっつったろがよう。友達とサッカーやれよう」


 生垣の向こうに、おじさんの白い歯が見えた。


「えー、やだよ」


 僕が言い返すと、おじさんは生垣の向こうにしゃがんで、ガサガサと枝をわけた。

 その顔がはっきり見えてきた。


 僕の顔を二つのとび色が捕まえている。

 そしてもう一度、ぎこちなく顔をゆがめた。


「そんなわけねえだろよ。小学生ならサッカーだろがよう」

「だってサッカー下手だもん。やってても入れてくんないもん」


「じゃあ家でピコピコゲームでもやってりゃいいじゃねえかよ。こんな暑い日におじさんの家のぞき込んでも、なんもいいことねえよう」

「何やってるの?」


「ちょっとは話きけよ」

「だって気になるもん。ねえ何やってるの?」


 しゃがみこんだおじさんは、ははっと笑って、それからぱっと顔を上げた。


「あっち入口だから、そのまま庭に回って来いよ。家の中に入れたら、おじさん怒られちゃうからさ。先生とかお巡りさんとかに」

「なんで?」

「なんでか知らないよ。そういうもんなんだよ」


 入口まで来ると、おじさんも横手から回ってきた。

 作業着の下に、真っ白なランニングシャツ。

 頭に巻いていた汗を吸ったタオルを、今は首にかけていた。


 おじさんは玄関に置いてある小さな皿の上から、百円玉を二枚取って僕に渡した。


「そっちの角に自動販売機あるからさ、好きなもの買えよ。コーラとかさ」

「えー。コーラ好きじゃない」


「小学生がコーラ飲まないで何飲むんだよ」

「オレンジジュースがいい」


「どっちも同じだよ。どっちも売ってるよう」


 僕は真っ黒な分厚い手からお金を受け取ると、古い自販機からミニッツメイドを取り出して、その庭に戻ってきた。


 おじさんはドアのない小屋に入っていた。

 横向きに固定した釜の横にあるスイッチを入れる。

 ぐるぐる。

 釜が回る。

 ぐるぐる、ぐるぐる。


 その中に黒い豆みたいなものを入れている。

 ボールより小さくて、粘土みたいな、土団子みたいなものを。

 その上からざあっと、別のたらいに入れた砂みたいなものを手でかけていった。


「ねえ、それなんなの?」

「なんでもいいじゃんかよ」


「教えたら誰かに怒られること?」

「別に教えたっていいけどさ」


「教えてよ」

「そんな知りたいかあ?」


「知りたい」

「おじさん、花火作ってんだよ」


 *


 次の日から、毎日僕は花火作りを見に行くようになった。

 おじさんも、もう来るなとは言わなかった。

 行くたびにおじさんは二百円をくれて、僕はそのたびに同じジュースを買った。


山下清やましたきよしって知ってる?」


 おじさんは火花を遠くにとばすための割火薬というのを作っているらしい。

 僕は庭にならべたブロックに腰をかけて、それをぼんやりと眺めていた。


「なあ坊主、山下清ってしってるかよう」


 独り言じゃなかったのか。

 こっちを向いて話さないから、僕に言っていると思わなかった。

 僕は、ううん、と少し大きめの声で言った。


「その部屋の襖の上に絵かかってるだろ。見てきなよう」


 おじさんはざらざらと音を立てるその火薬を見つめたままだ。

 僕は靴を脱いでささくれだった畳に立った。

 天井のすぐ下に、たくさんの人が見上げている花火の絵が貼ってあった。


 まん丸の花火が四つ、右のほうに上がっている。

 そのうち三つは重なり合っていた。

 左には上に向かって広がっていく二つと、すすきのように降ってくる三つ。


 真っ暗な背景に浮かぶその模様が、とても華やかだった。


「あの絵は、何?」

「山下清って人のだよ。両国の花火って言うんだよ」


「両国? って何?」

「両国しらないのかよ。秋葉原とスカイツリーの間だよ。

 お相撲やってるとこだよ」


「花火もやってるの?」

「そう。今は隅田川の花火。昔は両国の花火。

 ずーっと昔に、食べ物なかったり、病気が流行ってたりして、たくさん人が死んだことあったんだってよ。

 そのときに、死んだ人が幸せになるようにって、花火はじめたんだってよ。それからほとんど毎年やってんだ。

 その絵がいつのかはわかんないけど、結構有名な絵なんだよ」


「ふーん」


 聞きながら、金網がさびたゴミ箱に空になったジュースの缶を入れた。


「子どものころ、隅田川の花火を見た帰りに、おじさんの兄貴がその絵を買ってきたんだ。

 本当にその絵の通りの花火だったんだ」


 おじさんは言いながら、材料の上へ丁寧に火薬をまぶしていった。


「ずっと、憧れてたんだよ」

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