革命を起こしてしまった、第2話
昼寝するつもりが夕方まで寝過ごしてしまったことは多々あるけど、さすがの私でも三日眠り続けた経験はない。
それをここ、レモラグレース聖国でやってのけてしまった。
「やらかした……」
たくさん寝てスッキリしているはずなのに、全身を襲うのは猛烈な罪悪感だった。何もせずに惰眠を貪ってしまうなんて社会人としてあるまじき行為だ。情けなくて自然と自己嫌悪に陥る。
そして同時に異常だとも思った。一回も起きなかったなんておかしい。普通ならお腹が減ってどうしようもなくなったり、トイレに行きたくなって起きるはずだ。今までこんなことはなかったのに。
異世界召喚をきっかけに私の身体は変わってしまったんだろうか。それとも単に疲れ過ぎただけだろうか。不安げに俯いていると、アメリアが満面の笑みを浮かべながら気遣わし気に言う。
「お気になさらないでください。たくさん眠れるということは聖女として素晴らしい才能をお持ちだという証ですから」
睡眠が魔力の生産方法だというレモラグレース聖国の聖女は長時間の睡眠が推奨されている。好きなだけ寝てくださいと国を挙げてお願いされている状況だ。
「カンナ様のように数日も眠られた聖女様は、現在確認できる記録には残っていないそうです」
「私が初めて、なんですか?」
「ええ。もしかしたらレモラグレース聖国が始まって以来かもしれません。この部屋を用意した職人たちもさぞ喜んでいるでしょう」
聖女が過ごす寝室は隅から隅まで気遣いが行き届いている。
蝋燭以外の照明は無く、火が灯されても目に映るのは仄かな光。ぼんやりと浮かび、揺れる光はごく自然に眠りを誘ってくれる。シャンデリアのように豪華な明かりで目を痛めることもない。
大きな窓があるだろう場所には陽光が差し込まないよう分厚いカーテンが付けられている。この部屋が自然光で明るくなるのは聖女がカーテンを開けてと命じた時だけらしい。
「今頃は魔法院も大慌てですよ。カンナ様が眠られてから見る見るうちに魔力が溜まったと報告があったんです」
「本当ですか」
「はい。ここ数年は他の聖国から魔力を買うばかりでしたから魔法院はもちろん、この国で魔法使いを名乗る人すべてが喜んでおります」
異世界から召喚される聖女は女神が気まぐれに招く存在。常に在位している王とは異なり、数十年現れなかった時代もある。
聖女が居なければその聖国は魔力を生産・蓄積ができない。そのため他の聖国から魔力を購入しなければならないのだが、その金額がとても高価なのだという。今のところ通貨の価値はまだ教わっていないけど、アメリアの言葉から多少なりともこの聖国の民が苦しい思いをしてきたのだけは分かる。
ただ、私は外の変化を直接見ていないから実感が湧かなかった。
眠りの聖女がこの城から出ることは可能なのかな。
この城の外に存在する世界を歩いたり、この聖国に住んでいる人たちの生活を直接この目で見ることは叶うのかな。
誰にも尋ねたことのない疑問がふと浮かんだ瞬間、アメリアがぽんと手を叩きながら声を上げる。
「寝具のオーダーメイドの件ですが、カンナ様が希望される日に職人を集めてよいと許可が下りました!」
朗報ですと言わんばかりの動きと姿に、私はふふっと小さく笑う。
「手紙を送ったうち、いくつかの店からはカンナ様のご意向を是非伺いたいとのお返事をいただいております」
「ちなみに手紙は何通送ったんですか?」
好奇心で尋ねてみる。
「この聖国で寝具店を営んでいるのは三十ほどです。全ての店に送付しましたが、真っ先に了承の返事をくれたのは五軒だけでした」
その言葉を聞いて、だいたい予想していた通りの結果だったことに心の何処かでニヤリとほくそ笑む私が居た。
昔ながらの職人気質を持つ者なら、私みたいなぽっと出の聖女の言うことなんて馬鹿らしいと思うだろう。世間知らずの聖女が我が儘を言いやがって、くらいに捉えた人もいるかもしれない。
レモラグレース聖国がもともと睡眠を大切にしている国だったなら、最初に横たわっていたベッドは最高品質だったはずなのだ。魔力を生産する大仕事を担う聖女が眠る場所として快適過ぎるレベルの代物が用意されていただろう。それこそ寝具ハンターの私がメロメロになるくらいの。でも実際はただ柔らかいだけの、豪華な飾りが施されていただけの箱だった。
話を聞く限り、この国は眠りの聖女に対して睡眠を強要するわりに、眠るという行為を大切にしていない。だから私がオーダーメイドしたいと願い出ること自体を気に入らないと感じる職人がいるのは当たり前なのだ。
「アメリア。私がオーダーメイドの相談するのは、最初に返事をくれた五軒のお店だけにしてください」
私の要望に対して親身に寄り添ってくれるのは、私の理想に興味を持って返信をくれたお店だけだろう。寝具の大切さを知りながらも、人々に伝えることを敢えて諦めた……そんな純粋な人達ではなかろうか。
この後に返事をくれるお店が全てとは言わない。けれど聖女御用達とか、そんな箔が付くのを望む人ばかりだと考えてしまうのは社会人としての勘だ。ブラック企業に居た上司や先輩を思い出すだけでため息が出る。同じような人達と、大事な寝具に関してやり取りをしたくない。
こんな我が儘くらい許されたっていいよね?
* * *
睡眠にかける情熱についてはひとまず部屋の隅に置いておくとして、元の世界で生きる私は間違いなく一般人だった。就職に関していえば諦めが早く、良くも悪くも目立たず、職場で無理矢理仕事を押し付けられても「まぁ仕方ないか」で片付けてしまえる私は現代を生きる社畜としてピッタリな器だっただろう。
そんな私でも、レモラグレース聖国にとっては得難い才能を持った聖女として神々しく映るらしい。
用意していたものより遥かに質の落ちるベッドにも関わらず三日連続で眠ることができる。魔力の生産量が多く、魔力が溜まる時間も早い。おまけに寝ることに一切の抵抗を見せずむしろ大歓迎しているとなれば、眠りの聖女として素晴らしい逸材だ! と魔法院の神官たちが喜ぶの無理はない。歴代の聖女はそもそも長時間の睡眠に好意的じゃなかったみたいだし。
安定した魔力の生産・備蓄・供給をおこなうためには眠りの聖女の安眠が欠かせない。一刻も早く聖女が満足する寝具を準備しなければ! と魔法院が私の願いを叶える方向へ進めてくれたおかげで、早々に職人と面会する機会が設けられた。
我が儘と捉えられても可笑しくない要望に快く了承の返事をくれた五軒の寝具店にだけ面会日がひっそりと伝えられる。開催日は私が決めていいとのことだったので、二日後を指定した。
返信の文章は私が考えたいですともお願いした。自分のリクエストを整理したかったし、職人さんには提案や意見をまとめてほしかったから。あちらが作るプロなら、こちらは味わうプロ。妥協はしないほうがいいに決まってる。そして、そう考えていた自分の判断は正しかったと証明された。
職人さんとの論議が良い意味で白熱したからである。
「人間の身体は人それぞれ。だからこそベッドや枕も、ひとりひとり違って良いはずなんです」
「聖女様、仰るとおりです!」
職人が力強く頷いているのが分かる。
「たとえば敷布団なら、柔らかすぎると身体が沈んでしまうだけで安定感がありません。包まれる気持ち良さはあっても、心地いいと感じる体勢を維持し続けることは難しいと思うんです」
「私どもも同意見です」
「柔らかさを排除しろとは言いませんが、ある程度の堅さ、もしくは反発力がないとかえって身体を痛めてしまいます」
「反発力……聞いたことのない単語ですが、この世界ではまだ存在していない構造のように思います。どんなものか伺ってもよろしいでしょうか?」
「勿論です。私が居た世界ではマットレスというものがあって……」
私は寝具ハンターとして販売店、書籍、ネット通販の説明欄で培ってきた知識を惜しみなく職人に説明した。さすがは寝具のプロ。見たことがなくても言葉だけで意図を理解できるというか、スムーズに理解が進んでいる。
ものの数分で打ち解けて、ここまで語り合えるなら心の友もしくは魂の友と言い換えても良いんじゃない!? て思ったんだけど……悲しいかな。私と職人の間には薄いカーテンが幾重にもかかっていて、まるで壁のように互いを隔てている。会話には困らないけど、相手の表情は何ひとつ分からなかった。
何かを挟んで会話する様は、ドラマでありがちな犯人との面会みたいで抵抗があった。ちゃんと話す相手の目を見て相談したかったけど、伝統を重んじてのことなので我慢してほしい。現段階で会談をおこなうにはこれが精一杯の譲歩なんですと申し訳なさそうに告げられた。
魔法院の神官曰く。
異世界に召喚された聖女はとても不安定な存在で、この世界に心身を留めるためには時間が必要となる。レモラグレース聖国ではその期間を三か月間と決めており、その間は一般国民が聖女の姿を見ることは許されない。国から特別扱いされているといっても過言ではない聖女の待遇を気に入らない国民が少なからず居るので、無用な軋轢が生じないよう配慮している。三ヶ月後に国を挙げて聖女のお披露目会がおこなわれ、やっと国民が聖女の顔を知ることとなる、と。
つまりは今、カーテン越しとはいえこうして聖女と職人が面会できているのは奇跡と言ってもいい状況にあるわけで。そう理解したら「カーテン外してください」なんて口が裂けても言えなかった。
「聖女様が使われているこの枕、とても面白いですね」
「中に入っているのは豆ですか。こんな枕は初めて見ます」
「おや、これは……市井の使用人が使っているような代物じゃないか」
「高級であれば快眠できるという考えはやはり間違いだったようですね」
「ええ。今までの固定概念を壊さねば、快適な眠りは提供できませんな」
面会の場には私が寝ているベッドを置いた。実際に現物を見てもらったほうが分かりやすいだろうと神官に頼んで魔法転移で運んでもらったのだ。職人たちが興味深げに眺め、触れながら思い思いに論議を交わす。その様子を私は椅子に座りながら眺めて、何か聞かれれば回答するというスタイルに落ち着いた。
私が求める理想をどうやったら叶えられるか、彼らの頭の中で必死にシミュレーションされているのが空気で伝わってくる。手作業かと思いきや職人たちは魔法を使って寝具を作っているそうで、未知のものを創るためには想像力と理解力、そして材料と魔法を巧みに調合する力が不可欠なんだとか。
良いものを創るため知識を総動員させて理解に励む職人の姿に、眠りの聖女の姿勢を重ねる。
私ができる恩返しは彼らが努力して創ってくれたベッドでたくさん眠ること。できるだけ長く眠って多くの魔力を生み、魔法使いが存分にその力を発揮できるように支える。それが私に求められている、私だけができる仕事だ。
論議の結果、職人たちは次のように言ってくれた。
五人の職人がいるので、それぞれが得意分野の寝具──敷布団、掛布団、枕、ベッドのフレーム、パジャマ──を製作する。完成次第すぐに城に納めるので、何か不満や足りない点があれば言ってほしい。
そして最後に、と最年長の職人が添える。
「差し支えなければ、たとえ要望がなくとも使い心地の感想をいただけませんでしょうか。お客様から感想をいただけることは職人にとって喜びであり、お客様の声は自身の成長に繋がる大事なきっかけとなります。私どもは今後も聖女様、ひいてはこの聖国の民のためにも快適な寝具を研究したいのです」
その言葉を聞いて嬉しくなった。
私利私欲ではなく、自分が持つ技術を他者のために活用したいと思う人だからこその言葉だ。私腹を肥やしたいだけならこんなことは言わないし、言えない。
私は目元を緩めて満面の笑みを浮かべる。この表情が相手に見えないのが残念だけど、せめてこの気持ちだけでも伝わるようにと精一杯明るい声で応えた。
「分かりました。使った感想は必ずお手紙で、私が書いて送ります!」
「ありがとうございます」
「お礼を言いたいのはこちらです。皆さんが作ってくださる寝具を楽しみにしてますね」
和気藹々とした雰囲気で会談は終わった。
販売店のスタッフとはこれまで何度も話してきたけど、職人と話す機会はまずないから純粋に楽しかった。素人である私に対しても紳士的で、孫の我が儘を頷きながら聞いているお祖父ちゃんみたいで親しみが湧いた。
魔法を使うとはいえこの世界には存在しない技術も伝えてしまったから製作に一週間はかかるだろうと踏んでいた。でもその予想は良い意味に裏切られ、三日も経たないうちに新しい寝具が城に届く。食事を終えて寝室に戻ると庶民ベッドがリストラされており、綺麗に畳まれたパジャマが布団の上に置かれていた。
「うっわ何これ、気持ち良すぎ……!」
指先で触れただけなのに今まで着ていたパジャマとは明らかな差があった。薄いのに温かい。新しいパジャマに腕を通した瞬間、我慢できずつい顔が綻んでしまう。ネグリジェじゃないから寝相も気にせずに着られるだろう。お腹を冷やしたくない私にはズボンが欠かさない。
そのままよいしょとベッドに乗り上がる。
「あ~これこれ! この弾力! 自分のベッドを思い出すなぁ」
つい大きな独り言が口から出てしまうのは仕方ない。乗ると反動で少しだけ揺れるこの抵抗感は元の世界でしか味わえなかった感触で、嬉しい気持ちでいっぱいなんだ。
枕は私好みの硬さだった。手で探ってみると、何やら中には豆よりも小さな物体が詰まっている。中身が気になるから手紙で訊いてみよう。
布団も敷布団も、私がうるさく言った「ふわふわ柔らかすぎるのはダメ!」という意見がふんだんに盛り込まれた仕様になっていた。参考材料となった庶民ベッドよりも遥かに品質が良いのが分かる。
マットレスは職人全員が集まって作ってくれたとのこと。横たわった感触は身体を支えるためのバネが仕込まれているスプリングマットレスそのもので、話を聞いただけで未知のアイテムをここまで再現できる職人って凄い! と驚きと尊敬しかなかった。
異世界で初めて手にした、私だけのベッド。これは宝物だ。簡単に手に入る代物ではない。大切にしなきゃ。
布団の中に潜り込んでにやにや笑ってしまう姿は、さながら遠足前日に興奮して眠れない小学生である。
寝室はいくつか蝋燭が灯っているだけの仄暗い空間と化している。布団の温かさも相まってうとうとしていると、ドアが開く音が小さく響いた。それと同時に部屋の中にふんわりと良い香りが漂う。ノックせずに聖女の寝室に入れる人物は限られているので、特に警戒することなくドアのほうへ振り向いた。
「カンナ様、もうお眠りでしたか」
「いえ、まだです。どうしたんですか?」
起き上がろうと思ったら手で制止された。指示されたとおり横たわったまま、歩み寄ってくる女性を見つめる。
彼女の名はルア=ノイテエスクーラ。夜の時間帯だけ私に仕えてくれる “時の従者” だ。シャツの胸元には夜空のように深い青のリボンが結ばれ、同色のロングスカートを履いている。アメリアの金髪とは対照的に、ルアの髪は黒に近い紺色。長い髪をポニーテールで結い上げており、初めて見た時に神社の巫女さんみたいだと呟いてしまったほどだ。
「前にカンナ様がお話しされていたアロマキャンドルというものが気になって、試しに作ってみたんです」
そう言うと、手に持つキャンドルスタンドの位置を私の目線に合わせてくれる。満開の花を模したオレンジ色のキャンドルに小さな火がゆらゆらと灯り、やけに神々しく見えた。
「良い香りですね」
元の世界では嗅いだことのない香りだった。柑橘系に近いけれどきつくなく、そしていて甘ったるくもない。睡眠の妨げにならない香りでほっとする。
「ナギの花から抽出したオイルを混ぜてみました」
ナギの花とはレモラグレース聖国を象徴する花のことだ。この聖国の気候でしか育たない品種で、この聖国の民なら誰もが知っている。花が枯れた後につける実は甘酸っぱく、他国でも人気がある名産品だ。
花はまだ見たことがないけれど、実なら食後のデザートに出されたことがあるので知っている。パッと見た感じは大きめのミニトマト。口に含むと苺とオレンジの良いところを集めたような味がする。こんな表現しかできず申し訳ありませんがすごく美味しいんです。
「ありがとうございます。ベッドだけでも嬉しいのに、ルアが作ってくれたキャンドルのおかげで今日はもっと眠れそう」
いつも爆睡してるけど、とまでは言わなかったが感謝の気持ちを告げると、ルアも嬉しそうに微笑んでくれた。
傍に置くと香りがきついかもしれないからと部屋の中央にあるテーブルのうえにキャンドルスタンドを置き、ルアはそっと部屋を出ていく。時の従者は聖女の護衛も仕事の一つだけど、ずっと寝室に居る訳ではない。
瞼を閉じて真っ暗闇に身を委ねる。室内に漂うナギの花の香りを感じながら、爽やかな朝を迎えるイメージを描く。
そして、すうっと眠りの世界へと落ちていった。
* * *
子供の頃の夢を見た。
家族旅行で北海道の富良野に行った小学生の夏。迫力のあるラベンダー畑を見せたいんだと騒ぐ両親とは対照的に、私は花よりも遊園地とか海に行きたいと愚痴っていた。なのに、目を奪われてしまうこととなる。
青空の下、見渡す限り一面に広がる紫色の絨毯。それは子供の私が言い表せる最大の賛美で。
無言で感動する私の姿を見て両親は何か思うところがあったのか、それから夏の家族旅行となると必ず富良野に連れて行ってくれるようになった。毎年見に行っても飽きない美しさが在った。紫色の絨毯が良い香りとともに幸せへ導いてくれるような気がした。できないけれど、その絨毯に横たわってみたいとも思った。
高校に進学してからは私自身も忙しくなり、父は県外へ単身赴任することになったから家族旅行がしにくくなった。でも夏の興奮を忘れられなくて、ラベンダー畑の写真やサイトの画像を眺めては昔の思い出を反芻していた。
ラベンダー畑、もう一度見たいな。
ううん、もう一度と言わず何度だって見たい。
それに、ラベンダーの香りってリラックス効果があるし、安眠にも有効だっていうから私とも相性がピッタリのはずなんだ……。
* * *
ふと意識が浮上する。そんな長い時間眠った感覚はないが、今までになく良い目覚めである。
そう感じた数秒後、私の耳に叫び声が入ってきた。
「カンナ様! カンナ様! ご無事ですか!?」
「カンナ様! 起きてください! 非常事態です!」
まるで火事でも起こったかのように緊迫した声だけど、煙の臭いもしないし逃げろという指示も無い。どうしたんだと身体を起こすと、彼女らの動揺の原因が視界に容赦なく入ってきた。
「なんでラベンダーが咲いてんの!?」
寝室で……というかそもそも屋内で家庭菜園する予定なんて無かったのに、ベッド以外の床のスペースがラベンダーの花で溢れていた。周り一面がラベンダー畑。確かにずっと見たかった光景ではあるが、室内で見たいなんて願った記憶はただの一度もない。
「カンナ様! ご無事ですか!?」
「聞こえておりましたらお返事を!」
ドアから身を乗り出さんばかりに必死で声をかけているのはルア、そしてこの騒ぎを聞いて駆け付けたらしい魔法院の神官たち数名だった。初めて見る未知の花が、ましてや聖女の部屋で突然咲き乱れたのだ。何が起こるか分からない以上踏み躙ってはいけないと判断したのだろう。ドアの傍で躊躇しているのが手に取るように分かる。
「私は大丈夫です!」
どう見たってラベンダーはただの花。爆発するわけでも触れた者を毒で攻撃するわけでもない。理由は説明できないけど直感で分かる。ベッドから降りようとすると、今まで感じたことのない重さが私の頭を襲った。
「ん? ……か、髪が伸びてるぅうう!?」
肩に付く程度だった私の髪の毛が童話のラプンツェルみたいに長く長く伸びていた。きつく三つ編みしたところで気休めにしかならないような長さで、床にまで到達している。つい衝撃のあまり叫んじゃったけど、ハゲてたよりマシかと気を取り直してベッドから降りる。
「この花は何の意味も無いので大丈夫です! 気にせず入ってください!」
心配させないようにそう声をかけて、ラベンダーをかき分けながら歩いていく。髪が花に引っかかるのが気になるが、今は髪をどうにかするよりも事態を把握するのが先決だ。一番に駈け寄ったルアが、男性が居るからと私の肩にストールをかけてくれる。
そしてようやく部屋の中央に全員が集合し、魔法院で第一神官を務める男──この世界で一番最初に声をかけてくれた人で、名をイグニス──が現状を説明してくれた。
ご無事で何よりです、とイグニスはほっとした表情を浮かべながら言う。
「一体何が起こったんですか」
「これは推測に過ぎませんが、恐らくは新しい寝具で深い眠りにおちたカンナ様の身体の中で大量の魔力が生み出され、暴走したのでしょう」
「暴走?」
「暴走という表現は少々乱暴ですが……どの聖国でも、聖女が生産した魔力は魔法院にある貯蔵タンクへ送られると以前に説明いたしましたね。これが特別製だということも」
意味が分からず聞き返す私に、彼は分かりやすく解説する。
「過去を遡っても貯蔵タンクが魔力で溢れたという記録はどの聖国にも残っていません。故に貯蔵タンクは一つで充分だと考えられていました。しかし、その仮説を覆す可能性を我々に示してくださったのがカンナ様でした」
「私、ですか? それって悪いことでしたか?」
「いいえ、その逆です。奇跡にも等しい行いですよ」
私が庶民ベッドで三日間眠りこけていた時、魔力がもの凄い勢いで溜まっていたのは聞いていた。
でも実は貯蔵タンクが満杯になりそうな事態に陥っていて、神官たちは昼夜問わず魔法を使って貯蔵タンクを増やしたのだという。こんな仕事をしたのは世界初のことだったそうな。
「でも、私のせいであることには変わりないですよね」
「今回の件は私どもの力不足が招いたもの。貴女が気にされることではありません」
イグニスは気まずそうに眉を下げながら答えた。
「新たに貯蔵タンクを増やしたにも関わらず全て満杯になり、溢れた魔力が生産主であるカンナ様の身体に戻ってしまったのでしょう。私たちがこの事態を予測し、もっと数を増やしていれば未然に防げていたことです」
一般的に聖女は魔力を生み出すことはできても、それを利用し魔法を発動させることはできない。髪は人体の中でも比較的変化を与えやすい部位らしく、暴走した魔力が髪を伸ばすことで帳尻を合わせたのだろうとイグニスは話す。
「花に関しては何とも申し上げられません。少なくともこの紫色の花はレモラグレース聖国では見られない品種です。カンナ様がお好きか、または理想の花が具現化されたと思うのですが」
その言葉に、私はこくりと頷く。
ラベンダー畑をこの目で見たかった。一番好きな植物で、家族との楽しい思い出が詰まっている場所だったから。
溢れた魔力はその願いを叶えてくれた。思い出を現実に蘇らせてくれたのだ。
神官たちには多大なる心配とご迷惑をおかけしてしまったが、思わぬ遭遇に嬉しさを覚えずには居られない。
「カンナ様。実はこの花、咲いてるのはこの部屋だけではないのです」
感傷に浸っていると、イグニスがおずおずと添える。
「え?」
「窓の外をご覧いただければお分かりいただけるかと思うのですが、その……城の外も周り一面、この花が咲いておりまして」
半分も言い終わらないうちに私は窓へ向かって走り、大きなカーテンを勢いよく開ける。窓の外を見ると確かに城の周りがラベンダーに囲まれていて、風でさわさわ揺れている様が何とも平和だった。昨日までは緑色の芝生が広がり、可愛いお花が咲いていたというのに。
「嘘ォ!? 芝生がラベンダー畑に変わってる!?」
ラプンツェルの次は花咲かじいさんかい!
「ラベンダーという名前なのですか」
「慎ましく、可愛らしい花ですね」
「カンナ様を象徴するお花として相応しいように思います」
私の混乱を他所に、後ろに立つルアと神官たちは初めて目にした花をのほほんと讃えている。手入れされてた庭がびっしりラベンダーに侵略されてるけど良いんだろうか。芝生も花も押し潰されてしまって、見る影もなくなってますけど。
「せっかくですから外の花はそのままにいたしましょうか。カンナ様がお好きなお花なら尚更残さねば。心の癒しにもなりましょう」
この城の庭師さん、怒りませんか? それだけが心配です。
「それに貯蔵タンクをもっと増やさねばなりませんね。今回は魔力が溢れても大事には至りませんでしたが、次も同じだとは限りません。今すぐにでも対応いたします」
イグニスの言葉に、私は頷くことしかできなかった。
この後、とりあえず神官たちには部屋の中のラベンダーを抜いてもらい、ルアには私の髪を整えてもらうという行動に落ち着いた。ラベンダーはポプリとして再利用したことも併せて報告させていただく。
新たに召喚された眠りの聖女について、レモラグレース聖国の民達は驚きのニュースを知ることとなる。
貯蔵タンクが溢れてしまうほどの魔力を生み出し、それは世界初の偉業であったこと。
魔力が聖女の身体に戻ってしまった結果、城の周りが見たことのない可憐な花で埋め尽くされたこと。城下町からでも十分見える城の光景に国民たちは聖女の凄さを思い知らされ、呆気にとられたという。
そして、眠りの聖女に安眠をもたらした寝具は五人の職人によって創られたものだということも。
聖女の注文を忠実に叶えた職人たちの店には連日大勢の客が押し寄せる。聖女の奇跡や幸運にあやかりたい民達がその店で寝具を買い、良い睡眠は健康に繋がると理解されるまでそう時間はかからなかった。寝ることは大切なことなのだと誰もが学んだのである。
余談をひとつ。
聖女の依頼を断った、もしくは返事を出さなかった多くの寝具店は「何故あの時に了承しなかったんだ!」とそれはもう酷く悔しがったらしい。いくら悔やんでも後の祭りで、技術を盗むためにお目当ての商品を買うも構造を全く理解できず、自ずと廃業の道を辿っていった。
カンナは寝具界に革命を起こしただけでなく、民に安眠と健康を与えた聖女として長く語り継がれることとなる。
『真の安眠を求めるならレモラグレース聖国に行け』
こんな格言が生まれるほどに。
──革命を起こしてしまった、第2話 終
寝不足のアラサー、異世界で『眠りの聖女』やります! 音ヶ原 露子 @otogawara
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