世界と役割を知る、第1話
私、
寝るのが好きな私だけど、授業中に居眠りするような学生ではなかった。平均よりは上だったし、特定の科目だけならクラスで一番を取ったこともある。
だけど、その成績の良さは大学進学後に待ち受けている就職活動には何ら影響を与えなかった。
エントリーシートを何枚書いただろう。就職サイトもたくさん登録したな。一次面接を受けたのも十回や二十回どころじゃない。県外のほうが就職できるかもしれないと思って遠方の地域へ出向いた。おかげで黒いパンプスの消耗が激しくて、途中で買い替えたこともあった。しかし結果は変わらず。何度お祈りされたかなんて途中から数えるのも馬鹿らしくなってやめてしまった。
そんな矢先、実家に訪問した親戚が私の状況と住まいを知り、せっかくだからうちの会社で働かないかとトントン拍子に話が進む。引っ越ししなくていいうえに会社と家は徒歩十五分程度。満員電車に苦しむこともない。こんな近距離で何故知らなかったのか不思議だったけど、親戚といっても頻繁に交流していた訳でもないのでまぁいいか、と無理矢理に納得させた。
でも、まさか入社した会社がブラック企業だとは誰が予想できただろう。
家が近いからと早朝出勤を命じられ、帰りも徒歩だから大丈夫だろうと残業を押し付けられる日々が続いた。同僚は同情してくれたけど、上司であり経営陣である親戚らは何も配慮してくれなかった。身内である私をがしがしと利用した。
帰宅したら簡単なご飯を食べて、シャワーを浴びて就寝する。平日はそれだけで一日が終わる。休日はどこにも出かけず寝ていることが多かった。日用品や食材を買いに行くくらいしか用事はなかった。
そんな無茶を繰り返して身体を壊さなかったのは、寝具だけは吟味してお金をかけていたからだろうと自負している。寝不足ではあったけど、起きて身体が痛いなんて思ったことは一度も無かったから。
寝坊しないように気を付けなきゃ、なんて思ってた数日前が懐かしい。
だって、今は寝坊の心配をする必要がない。
「……ンナ様。カンナ様、大丈夫ですか?」
傍にいる人物が心配そうに声をかけてくれた。
「あっ……アメリア」
「お疲れですか? 説明も長くなりましたし、少し休憩しましょうか」
座っている椅子から身体を浮かせて、私の様子を確認しようと一人の女性が覗き込んでくる。
彼女の名前はアメリア=モルゲンブルーメ。ベッドが置かれただだっ広いこの部屋に、朝の時間帯だけ居てくれる付き人のような存在だ。ふわっとした金髪のボブ、瞳は黄緑色がお人形さんのようで可愛い。白いシャツの胸元で結ばれた真っ赤なリボンと真っ赤なロングスカートが彼女のトレードマークといっていいほどに目立っている。
「大丈夫です。ごめんなさい。ぼーっとしてしまって」
ぶんぶんと手を振りながら否定する。アメリアは安堵したように微笑んだ。
「眠たくなったらいつでも仰ってくださいね」
「ありがとう」
アメリアは私に対して授業をしてくれている。
この世界のこと。そして──“眠りの聖女”たる私の役割について理解を深めるために。
この世界は四つの大陸で成り立っている。
大陸の名前はこの世界を創ったとされる四人の女神と同じだそうだ。サシェ、イレイア、メレス、レテの名前は誰もが子供の頃から暗唱できるよう叩き込まれるという。
私が目覚めたのは『レモラグレース聖国』。レテ大陸で最も大きな国であり、私が聖女の立場である限りは永住の地になる場所だとも教えてくれた。
聖国というのは聖女が現れる国の総称らしい。大陸それぞれに一つずつ聖国があるというから、この世には私を含めて四人の聖女がいる計算になる。それが多いのか少ないのかは、ここに来たばかりの私には分からない。
アメリアは私の理解度を確認しながら話を進めてくれる。
この世界には魔法というスキルが存在する。誰もが使えるものではなく、しかるべき養成機関で学んだ人でないと厳罰に処されるらしい(ごくごく簡単な魔法ならお咎めなしのようだけど)。少なくとも三年は魔法の基礎と応用を学び、試験に合格した者だけが魔法使いと名乗ることを許されるのだそうだ。
魔法使いは魔力と呼ばれるエネルギーを利用して魔法を使う。魔力無しに魔法を発動させることはできない。どんなに優秀だろうと、家族に伝説級の魔法使いがいようと、そのルールは変わらない。にも関わらず、この世界の魔法使いは自力で魔力を生産することができないのだ。
肉じゃがを作りたいのに、主役であるじゃがいもが近くの店にも通販サイトにも売ってないようなもんか……なんて考えてしまった私はちょっとお馬鹿さんだろう。規模が違い過ぎる。
「魔力を生み出すことができるのは聖女様だけなのです」
魔力の生産方法は聖国によって異なる。
レモラグレース聖国の聖女は眠ること、もしくは横たわることがその行為にあたると受け継がれてきた。だから大きなベッドしか置かれていない部屋が用意され、私はこうして身を沈めている。
私は寝ることが大好きだから、この国の聖女になることは大歓迎だった。どう考えても今までの生活に比べたら雲泥の差だ。好きでもない仕事を押し付けられることも、睡眠時間を理不尽に削られることもない。むしろ好きなだけ寝てくださいと懇願されるのだから私にとっては天国、いや天職だといっていい状況だ。
「そんな生活が許されるなんて、今までの聖女さんも幸せだったでしょうね」
ぽっと浮かんだ感想を軽く口にすると、アメリアは申し訳なさそうに微笑を浮かべながら答えた。
「そうだったら良かったのですけど……」
「違ったんですか?」
アメリアは続ける。
ただ眠るだけで生活が保障され、国民からだけでなく魔法を使う者全てから尊敬される。表向きの聖女の暮らしは決して悪くない。
だけど、歴代の聖女にとって睡眠は重要な行為ではなかった。睡眠とは一日の締めくくりとして当たり前におこなうもの。長くてもせいぜい八時間程度で、一日の殆どを費やすほどの行為には値しない。食事とお手洗い、入浴以外はベッドに横たわることを強いられる生活。趣味を楽しむ時間など皆無に等しい。次第に聖女は疲れていき、その立場を手離すのだという。
「聖女をやめることができるんですか?」
異世界召喚という奇跡が成されているのに、ひょいひょいと辞めれてしまうものなのかと単純に疑問が浮かぶ。王様だってそんな簡単に退位できないだろう。死んだらすぐに後を継ぐ人がいるだろうけど。
「聖女を辞めることは可能です。聖女様ご自身が宣言し、魔法院が認めれば、晴れて自由の身となれます」
だが、聖女の座を降りる女性には厳しい現実が待っている。元聖女に与えられる選択肢は二つ。
選択肢その一。元の世界に帰れる保証はないが、異世界転移の儀式をおこなう。
この世界からとにかく消えたい、寝るだけの生活もこの世界の住人になるのも嫌だ、という人は異世界転移を選ぶらしい。結末はもちろん不明である。
選択肢その二。新しい聖女を妨害しないという誓いを立て、城外もしくは国外で暮らす。
この誓いは絶対で、魔力を込めた書類をもとに行う。新しい聖女を妨害したと見做された時点で対象者は燃えるらしい。そんな人がいたとは思いたくないが、いきなり人体発火に遭遇したご近所さんはさぞ恐怖だっただろう。殺伐とした内容に驚いた。
「この城での生活が保障されるのも、聖女という立場にある間だけです」
聖女の住処となる城からは当然退去を命じられる。断ることはできず、使用人として城に残ることも許されない。在任期間中のお給金は支払われるし希望するなら住居も手配されるが、その後は自分の力で生きていくこととなる。
でも、きちんと説明してくれるのは有難い。
こういう手段もあるんだと理解していたほうが気楽だ。一般人にも程がある私が、聖女という重たい立場と役割を全うするのにも限界が訪れるかもしれない。誰にも話せない苦悩が生まれるかもしれない。そんな時に逃げ道があるのを思い出したら、どれだけ救いになるだろう。
とはいえ思う存分に寝ることを許されるこの環境、あっさり手離すつもりは当分さらさらありませんけどね!
「そういえば……間に合わせではありますが、ベッドの使い心地はいかがですか?」
アメリアは不安そうな表情で尋ねてくる。
私がこの世界で初めて目を覚ました時、横たわっていたベッドは何もかもが柔らかく、指先から伝わる手触りやきめ細やかな刺繍が入っている点から豪華な造りであることはすぐに理解できた。こんなベッドを使うのは大昔の王族か貴族くらいじゃないかと感じた。
何を言いたいのかというと「一般庶民である私の身体が王族御用達のベッドと相性が合うわけが無い」という結論である。ふわふわな敷布団に沈んでいく身体は心地いい寝相を維持することができない。掛け布団は何やらスカスカしてて温かさも何も感じない。枕は布袋にただ綿を詰めただけの存在で、首が支えられてる気が微塵もしない。ない、ない、ないの三重苦。
だから私は最初に声をかけてくれた謎の男──魔法院という機関で神官をしているらしい──に懇願したのだ。ベッドをどうにかしてほしい。どうにかできないなら、せめてこれから言うものと取り換えてほしいと。
私のカスタマイズにより、王族のベッドは庶民のベッドへと変貌を遂げる。格下げといってもいい。
敷布団は、城の外で生活する一般的なメイドや使用人が使うものと条件を決めて持ってきてもらった。私の身体には少々堅いくらいのほうが良い。その予想は大いに当たり、取り換えて横たわった瞬間に喜びのため息をついたほどだ。うっとりと目を閉じて恍惚とした表情まで浮かべてしまった。
掛布団もさっきと同じ条件で用意してもらった。無駄な刺繍が施されていない簡素なものだけど、それが良い。程よい重さを感じさせる布団は私を安心させてくれた。軽過ぎはダメなのよ。
枕だけは用意してくれたものでは身体が……というより首と頭が「こんなマシュマロ要らんわっ!」と受け付けなかったので適当な袋に適当な豆を詰めてもらい、そばがらの代用品として使わせてもらった。ごろごろと聞き慣れない音はするものの安定感は抜群。虫が湧くと困るので定期的に交換しなければならないが、そんな誤差は可愛いもので。
「使い心地は良いですよ! 寝やすいし、座っててもどこも痛まないし」
「それは何よりです。とはいえこのまま使っていただくのも忍びないので、新しいものを手配しなくてはなりませんね」
何はともあれ私にとっては最初のベッドよりも数倍良いベッドになっているので快適だ。しかしアメリアや他の従者にとってはこの状況は余りにも申し訳なく、聖女様にこんな貧相なものを使っていただくなんて! と非常に耐えがたいものらしい。庶民の私は少し傷付いた。
「オーダーメイドでベッドを作ってくれるような会社があればいいんですけど」
そうすれば満足のいく上質な睡眠を期待できる。そう思いながら呟くと、アメリアには聞き慣れない単語だったのか聞き返してきた。
「オーダーメイド?」
「お客様が自分の要望を伝えて、会社がそのお客様のためだけに要望に沿った商品を作ることです」
「カンナ様の世界にはそんな文化があるのですね」
服でも靴でも鞄でも家でも、商品は何だっていい。どうせ買うなら自分の希望に沿ったものが良いと望む人は多い。少し値が張ろうが気にしない客層がターゲットなのだから、オーダーメイドを重視するブランドが消えることはないだろう。
「あの、この国には寝具を作る会社……ええと、お店はありますか?」
「はい。いくつかございます」
「確認ですけど、眠りの聖女の仕事ってお給料貰えるんですよね」
「ええ。魔力の生産量に応じた金額を毎月お受け取りいただきます」
望んだどおりの回答を得た私は、その勢いのまま問いかけた。
「例えば、私のお給料を使ってベッドや枕を自分の好きなように注文することは可能ですか?」
聖女だからといって買い物が禁じられることはさすがに無いだろう。というか自分がお金を使いたい理由が『より良い睡眠を得るため』しか見当たらないので、ささやかなお願いくらい叶えてほしいのが本音だ。これ以外に欲しいものなんて無いもん。
すると、アメリアはぎょっとした様子で答えた。
「カンナ様のお金を使う必要はございません! 聖女様が携わるものは全て魔法院の予算でまかなわれますから!」
「そ、そうなんですか?」
「当然です! 聖女様が暮らしやすい環境を整えるのは私達の、ひいては魔法院の務めです。ですので遠慮せず何でも仰ってくださいね」
大人として、社会人として当たり前のことを言ったつもりだった。けれど彼女の反応を見る限り、私はだいぶおかしな発言をしてしまったらしい。
平静を取り戻したアメリアは、ほう、と息を吐く。
「過去にも色々な聖女様がいらっしゃいましたが、カンナ様のようにベッドを替えたいと仰った方はひとりもいませんでしたわ」
それを聞いて今度は私がぎょっとした。あのベッドで歴代の聖女は何か月も何年も寝てたのか。私の身体なら悲鳴を上げてしまう。
「過去の聖女様たちはお給料を何に使ってたんですか」
「先程申しあげたようにある程度のものは魔法院で手配します。ですが、ここでは買い物くらいしか娯楽がないと思われたのでしょうね。聖女様たちはこぞって宝石や装飾具、ドレスなどを購入されていました。他国の特産物を取り寄せる聖女様もおりましたよ」
買い物しか娯楽がないと思われてしまうほどに聖女の生活はかなりの制限が設けられているみたいだ。私はまだこの世界に来て一日も経ってないから、判断しようにも材料が足りないけど。
でも歴代の聖女たちはこの世界に対して、この国に対してもっと興味を持てなかったんだろうか。せっかく魔法が存在する世界なんだから、魔法についてもっと理解を深めたら良かったのに。もしも魔法が使えるようになったらラッキーじゃないか。
それに、元の世界で持っていただろう趣味をここで続けようと思わなかったのだろうか。せっかく異世界に来たのだから、この世界の本を読んでみたり、可能であれば城に人を招いてお茶会でもすれば良かったのに。
……なんて軽く考えてしまうのは寝るという行為に喜びを感じる人間だからこそだろう。もっと苦しい行為が聖女の仕事だったなら、あっという間に限界を迎えるに違いない。珍しい行動に走ったり、どこに還るか分からない異世界転移を即決してしまう可能性は十分にある。自暴自棄になるきかっけなんていくらでも有るわけで。
「なるべく早くカンナ様の要望を伺えるように、国中の寝具店に通達いたしましょう」
国中の寝具店?
いかん、大袈裟すぎる!
「あの、そんな大事にしなくてもっ」
「いいえ。快適に魔力を生み出していただくには、カンナ様の要望を最大限叶えられるお店の力が必要です。そのためにも多くの職人を招かねばなりません!」
アメリアは燃えている。ぎゅっと握りしめている拳からはやる気がありありと感じられた。私の熱意が正しい方向で伝わって嬉しいと思う反面、こんな情熱的な人だったのかと少しだけ意表を突かれる。
「これから忙しくなりますわ。さっそく手紙をしたためないと!」
面倒なことを頼んでしまったかなと思ったのは束の間で、アメリアは自分の仕事が明確になったことを喜んでいる様子だった。過去の聖女たちは従者と一定の距離を保っていたのかもしれない。傍に寄り添ってくれてはいても彼女達はどうしたって異世界の住人で、こちらの事情を全て汲み取ってくれるわけではない。聖女として許される範囲の我が儘は言っただろうが。
「ふあ……」
眠気が急に襲い、我慢できなかった欠伸が漏れた。アメリアは気にせず眠ってくださいと言ってくれる。お言葉に甘えて私は横たわって布団をかけた。少しずつ瞼が重くなる。身体が温かくなっていく。そして意識が闇の底に落ちていく。
元の世界では朝が来るのが億劫だった。起きたらすぐ会社に行って、夜遅くまで仕事を押し付けられるのが当たり前の生活だったから。
けれど今は違う。何かを期待している私が居る。
私はもう、前の私じゃない。
──世界と役割を知る、第1話 終
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