嘆きと憂いの声

ろーぐ

 

 よもや、この憂いを持って、この廃ビルの屋上に上る事になろうとは。


私の目論見を伝えるべきではなかった。


やはり、独善的なる周囲の人々に対しては何も言わず無垢を被っていればよかったのだ。


しかし、我が精神性等誰が知り得ようか。


どう私の思いを伝えようと理解し難く思う人種は受容、容認しえないのだ。


故に、私はこれから何も話さない事、真の意味での素直を取ろう。


今の私にとって生は、絶望である。


『兄弟達と協力して生きていけ』? そう言うのであれば『何も気負う事は無い』という言葉を潔く前言撤回するがいい。


『協力』とは、思うに等価交換の法則―――絶対的なルールの基で行われる活動である。


気負い、責任を持って兄弟達の力にならなければ兄弟達に顔が立たない。


学校という場においても、その等価交換の法則から逃れる事はできない。


 であるならば、我が身を投げ出し、幾分か楽になるのであればそれに越したことはないのだ。


安価かつ無責任な『生きろ』という言葉の数々には、何の想いも感じられず。


何故この私が人に『生きてほしい』と願われた上で生きねばならないのだろうか。


 精神性の病を患い、付き合う事に慣れ始めたところで何故今更治療しようともがかなければならない。


治療の果てに希望があるとも思えず。


疾く、この肉人形を捨て去るのみである。


独善という言葉程おぞましく、なんの生産性も無く無意味で愚かしく、忌々しい物は無い。


そのような感情に、生かされたくはない。


機械に繋がれ、肉体という肉人形に幽閉され続ける事を強要するなど、誰の得になろうか。


 父よ、母よ。


万が一に、この想いを覗き見る事があるならばあえてこう書き綴り送ろう。


「あなた方のおかげで、何も後悔の無い生を送る事ができました。遺書も死体も残しませんので、迷惑は一切かけません。ただ笑っていてください」


と。


 妹よ、弟よ。


もしこれが発見されたならば、こう伝えよう。


「君達は、生まれの時点で私と全く違う。だからただ、他人に戻るだけなのです。何も悲しむ必要はありません。頭の狂った他人との同棲はさぞや苦痛だったことでしょう。これは遺書ではありません。いつもの駄文として受け取ってください」


 さて、兄はきっと私の末路を見て「馬鹿な事をした」と笑う事だろう。


それの返しとしてこうも言おう。


「愚弟極まり、貴方はこれも私の冗談のような行動の一つだと笑う事でしょう。しかし、私の今までの行動一つ一つは全て私にとって必要な行動だと思っています。冗談のようだと思うのであれば―――いえ、貴方は必要な行動と信じているその様を見てなお笑う事でしょう。それか、何がしたいんだと言って憤るでしょう。しかし、これが私の姿です。最期の最期まで、何一つ意気投合できずに居る事が残念でなりません。しかし、私の行動に後悔はありません。素直な感想を露わにしてください」


こうとでも言っておけば、もはや私としても未練等無い。


私に関わった者全てに幸福あらんことを。


そして、今宵もしばしの別れだ。


呪われた、私を閉じ込める肉人形よ。




「目を、覚ませ」


 頭の中で声が響いた。


ありえなかった。


 何故なら、私の意識が無くなっていた時、確実に全身を強く打ち、四肢には硬い感触があったはずなのだ。


遺書を残す事無く、ただ怨念に似た思いだけを――道連れにして、わざわざ家から離れたビルを選んで、飛び降りた筈――なのに。


 自分の中に、ふつふつと湧き立つのはただ、死ねなかった事に対する怒りだった。


声がする、耳が聞こえている、感情が湧いている。


即ち、生の実感に他ならないのだ。


 目を覚ますと、そこにはただ真っ白な空間が広がっていた。


またしても、ありえない。


天国や地獄、冥府の存在をどこかで聞いた事はあったが、だったとしてもこんな虚無に等しい空間だということは聞いた事がない。


 尤も、私が行きつく先など、どんな宗教観からしても所詮は地獄しかありえないのだろうが――。


天国や地獄、行きつくのは生前の行為が、死後の待遇を分かつに決まっているのだ。


 高速で巡る、否定したい思考達を持ちながら、私は声を出す。


「誰だ?! 私を呼ぶのは」


 自分でも驚くほどの、怒号が響き渡った。


しばらくすると、どこからともなく言葉が返ってくる。


「チャンスを、やる」


 若々しい声だった。


先程頭の中で聞こえてきたのも、こんな声だった気がする。


「チャンス? 何のチャンスだ?! お前に、何の権限があって! お前は誰だ! 何者なんだ!?」


 怒鳴って返すと、私の眼の前は――。


真っ白に、染まったと同時に――全身に、無気力に等しかった私の体が、潤っていくのを感じた。



 目が覚めると、私は廃ビルの屋上で寝そべっていた。


あれは一体なんだったのだろう? 人は死ぬ瞬間、体感で数時間にわたって走馬灯を見続けて死に至るとは聞くが、あれではまるで幻覚と呼ぶにふさわしい気がする。


 馬鹿馬鹿しい、三十歳にもなってみる夢にしては、随分と稚拙で都合の良すぎる夢だ。


そう思いたかったが、私にはどうも――理性で否定したくとも、私の直感は夢と断定するのを許さなかった。


 次に湧いたのは、不思議な感情だった。


 一筋のため息をついて、私は立ちあがり屋上を後にする。


もう少し、生きてみよう。


せめて、何か私にもできる仕事を探そう。


 結局、私は死ぬわけにはいかないのだ。


どうせ、生きているのだから

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