【3】らしさ

 ずっと、考えてきた。


 中学1年の時、マイクというハーフの転校生が来た。日本語はわかるけど上手くは話せない。だから常に気に掛けて、一緒に教室移動したり、休み時間に声をかけたり、彼の話を聞いたりした。自己満かもしれないけど、余計なお世話かもしれないけど、彼が独りにならないように努めた。

「マイクが来てからさ、いっつも気にかけてくれてるのを見てるとね、『あ〜、こいつは良い奴だ〜』と思ってね。だからきっと、良い男に、なると思うよ。」

 1年が終わる修了式の日。担任だった先生から言われた。1年間、不器用ながら精一杯だった悠人を、見守り続けてくれた先生だった。リーダーとしてもがく悠人を、生まれて初めて認めてくれた人だった。一言一言紡いでくれた言葉を、20を超えた今でもはっきり覚えている。

「来年もよろしくお願いします!」

 それが2人きりで交わした最後の言葉。年度末に先生は他校へと転任して行った。叶うならもっとたくさん教えて欲しかった。現実と向き合い続ける悠人を側で見ていて欲しかった。それでも、忘れられない言葉をくれた先生を、心から尊敬している。


 ずっと、考えてきた。


 「本当に優しいね。」

 付き合いたての彼女に言われた。大好きだった初めての彼女。できる事は何でもした。告白なんてしたこともなかった男が、生まれて初めて尽くせる限りの愛を尽くした。一生守ると心に誓った。そうする日々が楽しかった。愛なんて語るにはまだまだ至らない10代のがきんちょが、自分なりに悩んで悩んで、不器用な愛を届け続ける。そんな大きく重たい愛を、同じく10代の少女が、長く抱え続けることはできなかった。

「別れよっか。」

 思考が低迷し、視界がぼやけ、足下が覚束なくなるあの感覚を、悠人は一生忘れないだろう。昨日まで隣にいた心の1番目が、はしごを外されたように悠人の世界から消失していく。唐突に生きがいを失った衝撃と息苦しさが、悠人の意識だけを虚空へと誘った。

「悠人は本当に優しくて、私のことを大切にしてくれて、私もそんな悠人が大好きだよ。でも、そうやって尽くしてくれる悠人に、私は何も返してあげられない。私じゃ悠人をきっと幸せにしてあげられない。それが苦しくて、ちょっぴり疲れちゃった。」

 心から尽くした人。心から愛した人。そんな人に最後にもらった言葉は、ありがとうでも大好きでもなくて、

「ごめんね。」

 君がいれば良い、それだけで幸せだから。そんな一言すらかけられなかった当時の自分を、冷静になった悠人は責めた。しかしその言葉はむしろ、彼女を追い詰める諸刃の剣になる気もして、打つ手のない虚無感に苛まれた。


 ずっと、考えてきた。


 「俺はお前と同じとこに行く。お前と一緒にやりたい。」

 大学で所属した大学祭実行委員。1、2年で企画の仕事を担当し、最後の3年はどんな仕事に挑もうかと悩んでいた時、2年間一緒に企画の仕事をした仲間に言われた。なんで?と笑いながら聞いた悠人に、彼は真剣な眼差しで答えた。

「おもろいから。お前後輩の面倒見も良いし。」

 理屈を並べられるよりも説得力があった。メリットデメリットを並べ立てられて、必要とされる理由を熱弁されるよりも、お前はおもろいから一緒におもろいことしようと、そう誘ってもらえたことが悠人にとっては嬉しかった。結局3年目も2人揃って企画の仕事をした。

「よろしくな、相棒。」

 顔合わせの会議でそうこぼした彼に、どことなくむず痒さを覚えたけれど、頼もしさと暖かさを感じたのは間違いない。宮木悠人が存在する場所を、最も信頼する戦友に作ってもらえたことを、心の底から感謝した。


 ずっと、考えてきた。


 自分『らしさ』ってなんだろう。


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 「ドライブいかん?」

 目覚ましは携帯の通知音だった。目覚ましと言っても時刻はすでに正午を回っており、世間はすでに巡り巡る今日という日を、平常運転しながら半分以上消化している頃合いだ。しかし就活も終わり、授業もほぼ無く、暇を持て余して夜更かしライフを謳歌する大学4年生にとって、この時間の起床というのは、それこそ平常運転なのである。なんならもう少し寝ていたかった手前、メッセージの送り主たる戦友を多少恨んだりもする。完全に八つ当たり。

「ええで」

 二つ返事でドライブ会の開催が決まった。お互いフットワークの軽さが売りのため、多分この会は直近で開催される。

「じゃあ今日18:00に迎え行くわ笑」

 直近にも程がある連絡が来た。さすがに無理だと言ってやろうかとも思う。ただ残念なことに、今日は1日惰眠を貪っても支障がないような、何の予定もない日なのだ。

「おけ笑」

 今が昼過ぎであることを考えると、18:00までそんなに余裕はない。重たい身体を引きずり出して、ベッドを抜け出す。まだぼやけている視界の端で、雨戸の隙間から差し込む日の光が、外の様子を教えてくれる。どうやら今日もアツそうだ。


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 「さーて、目的地はどうしようか。」

 ハンドルを握る戦友の双眸は妙にギラついている。これから起こる事への楽しい予感と、行く先わからぬ漠然とした不安が共存するその瞳は、これまで幾度となく目にしてきた戦友のそれであり、彼が悪巧みをしていることの証左でもある。

「玲治、また良くない眼をしてるよ。お前がその眼をする時は碌な事にならん。」

「ええやん。危なっかしいぐらいが人生は楽しいんだよ。」

 学者先生も実家に帰るような、とんでも人生論を語り出す戦友に溜め息を吐きつつも、今日も玲治の横暴に振り回される心労を嬉しく思う。自他共に飽きさせない玲治の強引さが、悠人の大学生活を色づけてきた事は疑いようがない。

「とりあえず湘南辺り目指しますか~。夜の海と洒落こもうぜ。」

「男2人で海行くんか。まぁ全然良いけど。」

 大馬鹿男子大学生2人を乗せた車が夜の国道を駆け抜ける。2人揃って大好きなバンドの曲が流れる車内で、曲に合わせて熱唱する。気分はもはやライブハウスであり、時折玲治がハンドルから手を離してエアギターなんか始めるものだから、悠人は落ち着いて助手席に座っていることもできなかった。危ねぇ。

「とうちゃ~く。誰も居ねぇな。」

 そうこうしているうちに目的地である湘南に到着。誰も居ないというのは玲治の誇張であるが、人はまばらであり、想像以上に静かだった。さざ波の足音だけが、夏の夜に反響する。夏の夜に静かな海なんて、精神衛生上よろしくないと悠人は思う。

 日々雑音にまみれた現代社会において、夜は安寧と静けさをもたらしてくれる時間。否、おせっかいなことに、もたらしてくれてしまう時間だ。夜のせいで余計な心配をしてしまう。夜のせいで思考の海に溺れてしまう。夜は静かだからこそ、雑音にまみれて気づかなかった事にまで気づいてしまう。それが良いことばかりとは限らないのだ。そこに静かな海なんて重なってしまおうものなら、普段は仮面を被ってかっこつけて、クールぶっている世の男達が、ロマンチックな心持ちで、愛の言葉なんか囁いてしまうようなキザな男になりかねない。本当によろしくないと思う。

「最近どうよ。」

 思考の海に溺れ、ダラダラと歩いていた悠人に、あまりにも漠然とした質問が玲治から飛ぶ。危なっかしいけれど、考え無しに言葉を発するタイプではない。玲治の双眸からギラついた光は消えており、至って真剣な表情を向けてくる。はは~んと悠人は思った。玲治がこの表情をする時は決まっている。実行委員時代から変わらない。

「何か悩んでんだろ。どうした。」

 楽しいことが大好きで、周りを巻き込んで周りも楽しませる。無鉄砲に見えるが、人への配慮を忘れず、不器用ながら計画性や現実性を考えて行動する。その強引さに実行委員時代は多く助けられたし、付いてくる後輩達からの信頼も厚かった。言ってしまえば人柄で成り立ってきたやり方であり、玲治だから付いてきた者も多かったと思う。だからこそ、うまくいかなくて思い悩むことも多く、SNSに病みストーリーなんてあげちゃうタイプの男だ。鏑木玲治はそんな人間らしさを持ち合わせた男であり、近しいそれを持つ悠人にとって、彼をより一層好ましく思う理由の一つである。悠人の言葉にしばらく沈黙する玲治だったが、やがてボソッと口を開いた。

「彼女にフラれた。」

「いや、ワロタ。」

 つくづく飽きさせない男だと思う。どうして玲治の周りはこうも物事が次々と転がっていくのだろう。それも玲治という男の性質だと言われてしまえばそうだと思えてしまう。

「うっせえ。笑うな。」

 そう言った玲治の表情は、少しだけ柔らかくなったように見えた。きっとこの反応で正解なのだ。玲治は悠人に、慰めなど期待していないだろう。フラれて落ち込んで泣くのは、1人で済ませたのかもしれないし、他の誰かに慰めてもらったのかもしれない。そんなのは悠人の知る範疇ではないが、玲治が悠人に求めたのは、きっと失敗を笑い飛ばすことだと思う。実行委員として、時に意見をぶつけ合い、時に意見を共有し合い、互いを相棒と認め合う関係性にあった戦友。慰めなんて似合わない。ただ次を見ろと、そう示すことが戦友らしさ。

「ま、俺はもう次に進むけどね。女なんていくらでもいるし。」

「おう、その方がお前らしいよ。」

 きっとこの関係性は、この先も悠人を救ってくれる。その確信があるからこそ、戦友が戦友らしくあれるように、悠人も悠人らしくありたい。


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 「そういえば結局就活はどうしたん?あの変な面接されたとこ行くの?」

 帰りの車の中、バンド音楽流れる車内で玲治がクエスチョンマークを投げてくる。

「いや、あそこには行かない。別のとこに決めた。」

 就活中も玲治とは定期的に連絡を取っていたし、件の面白くない面接についても話をした。その後、別の企業からも内定を頂き、そちらに就職することを決めたのだ。

「ふーん、なんで辞めたん?割と志望度高いとか言ってなかったっけ?」

「うーん、まぁ色々考えはしたけど、最終的にはなんとなく違うかなと思った。」

「なんやねんなんとなくって。」

 笑いながら答える玲治に対して、悠人は確信的な『なんとなく』なのだと、そう伝える言葉を探した。

「やっぱ就活期病んでたからさ、色んな事を考えたわけよ。」

「ほう。」

「で、結局働いてみなきゃわかんねぇって答えになって、じゃあ悩んでも無駄やんって。」

「まぁ確かに。」

「だから自分の感覚を大切にすることにした。なんとなく違うってのは、やっぱ心のどこかで引っかかってるのよ。」

 就職活動は恋愛に似ているなんて、よく言った物である。誰かにとっては最悪の相手でも、自分にとっては最高の可能性もある。逆も然り。働いてみなければ、付き合ってみなければ、わからない事がほとんどだ。

「現代ってすごく便利だからさ、色んな情報が入ってくるわけ。良いことも悪いことも。面接の準備してるときも、気をつける事とかネットで調べたりしてさ。でもそんな安易な情報で自分を取り繕っても、結局それは本来の俺じゃないわけよ。」

「まぁ同意するわ。色んな情報が出回っててガセか本当かなんて、いちいち確認してたら時間がどれだけあっても足りん。」

「そうゆうこと。そうやって自分に都合の良い情報だけ拾って自分を取り繕って。そんな窮屈な自分は息苦しくて疲れた。俺たちは役者じゃ無いからさ、役と自分の棲み分けができてないの。好かれたいと思って演じれば演じるほど、自分がどんどん空っぽになっていく。自分が本当にどう思っていたのかわからなくなってく。」

「まぁその方が楽だったりするよな、人によるだろうけど。自己開示って多かれ少なかれエネルギー使うし、自分の気持ちなんか眼つむって求められる姿演じてた方が楽だったりする。」

「そうなんだよ。でも残念なことに、俺たちはそれを最後まで演じきれる程、名役者じゃないんだよなぁ。どこかでボロが出る。」

 ふと、江戸時代や平安時代の人々はどんな悩みを抱えていたのだろうと悠人は思う。少なくとも、圧倒的情報社会における情報量の過多で悩むことは無かっただろう。これは現代特有の、現代人の悩みだと思う。情報の取捨選択なんて、やり始めたらキリがない。そんな環境の中で、本当の自分だとか、自分らしさなんてものを探すのは至難の業だ。どう考えても生きづらすぎる。

「だから発想を変えた。情報を精査して的確に判断するなんて無理。そもそも俺はそんなタイプの人間じゃない。直感信じてやってみて、うまくいかなかったらそん時考える。考えてなんとかできる人間だと自分を信じてる。実行委員やってた時だって、うまくいかない事多かったやん?」

「なんならうまくいった事の方が少ないわ。ほとんどスムーズには進まん。」

「そう、だから最初に戻るけど、直感信じた結果あそこには行かん。なんかちょっと違う気がした。」

「なるほどね、納得した。お前らしいわ。」

 そう言って、玲治は笑った。

 自分らしさとは何か。ずっと考えてきたその答えはまだ見つからない。多分この先も見つからないと思う。悠人のこれまでの人生で、見守ってくれた人もいれば、離れていった人もいて、認めてくれた人もいる。期待に応えたくて頑張った自分がいて、好かれたくて追いかけた自分がいて、誇らしくて安心した自分がいる。その全てを自分らしいとも思えるし、自分らしくないとも思える。結論、わからん。

 ただ1つ、間違いなく言えるのは、玲治との関係は、悠人を悠人らしく居させてくれる関係性の1つ。そんな友人の1人だ。だから、

(これからもどうぞよろしく。玲治。)

 浮かんだ言葉を口にはしない。照れくさいし、戦友らしくないから。

「着いたぞ~。おつ。」

「運転お疲れちゃん。お気を付けて。」

 玲治の車を見送る悠人の上で、今日も東京の夜空は少し明るい。でもなぜか、いつもとちょっとだけ違う気がした。なんとなく。

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『らしさ』を見つけるには現代は生きづらい 織園ケント @kento_orizono

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