【2】クソまじめ
午後6時、渋谷ハチ公前。待ち合わせやら、電車の乗り換えやら、YouTubeの撮影やら。今日も人が絶えないこの場所で、悠人も人を待つ景色の一部に成り果てている。見上げれば所狭しと並べられた広告達が、今日も眩しい光を放って我々に存在を主張してくる。この街が眠らない街と謳われる所以の1つと言えるだろう。
上京したばかりの頃は、この街を歩く人々の足の速さに驚き、1人スクランブル交差点に置いてけぼりにされたものだが、今では周囲に遅れを取らず歩けるようになった。これも都会に染まったと言うのだろうか。
「よお。」
「よお、相変わらず小さいな。見えなかったぞ。」
「相変わらず嘘が下手だな。私のこと見つけて携帯しまってただろ、見えてんだよ。」
「この人混みから見つけた俺すごくね?」
「先に見つけて近づいたのは私な。」
動きながらも変わらない景色。そこから浮き出る悪友の姿が、名画から飛び出た美女のようで、久方振りに会う感慨とはまた違う、別種の感動を悠人に覚えさせた。
「元気そうだな、茜音。」
「なに改まって。うざいんだけど。」
須藤茜音。悠人とは大学1年からの付き合いで、悠人にとっての数少ない女友達の1人。女の子らしいという言葉が到底似合わないような、男勝りな性格。誰彼構わず自分の意思をはっきり示す強気な態度。その自己中心主義的な振る舞いが、付き合う相手を選びはするが、ブレない自分を持っている彼女を悠人は好ましく思っていた。もちろん、友達として。
「その辺の飲み屋でいい?予約とかしてないんだけど。」
「私は酒飲めれば何でも良いよ。知ってるでしょ。」
2人並んでスクランブル交差点を渡り、センター街を歩く。何人もの客引きの怖目なお兄さん達に声を掛けられたが、笑顔で愛想良く振り切る。悠人の経験上、ああいった人達の紹介するお店は高い。
センター街から少し外れて脇道に入る。渋谷と言えどいつまでもうるさいネオン街が続いているわけではない。一本それれば影のように静かな通りが無数に存在し、人情味を感じさせる小さな居酒屋もぽつぽつと営業している。その中の一軒、茜音が気になったという居酒屋に2人で入った。
あまり広くない店内。10人ほどのカウンター席と2人がけのテーブル席が2つ。先客が1組いるが賑わっているとは言えない客入り。ただ暖色の店内照明と、木目の浮き出た壁が、コンクリートが埋め尽くすこの冷たい大都会において、異世界にやってきたような安らぎを与えてくれる。ぱっと見居心地は良い。
「いらっしゃいませ~、飲み物どうしますか~。」
「生2つで。」
優しい雰囲気がとてもよく似合う、これまた優しいお母さんがメニューを届けてくれた。奥で調理をしているのがお父さんだろうか。夫婦2人で居酒屋経営。支え合うという言葉を体現しているようで少し憧れる。茜音はどうせ生ビールだろうからわざわざ聞かずに頼んだ。案の定文句も出てこない。
「はい生2つね~。」
お母さんが届けてくれたジョッキを片手に、2人で軽快な音を立てて乾杯する。就活が忙しくなってからこうして茜音と飲みに行くこともなかったので、つい嬉しくなった。順番に届く料理を肴に、肉にも骨にもならない様な会話をする。今期のドラマがおもしろくないだとか、先日親と喧嘩しただとか、就活終わったら旅行に行きたいだとか、誰と誰が別れただとか。明日には忘れてしまうようなこんな日々を、最近は過ごせていなかった事を実感する程に、悪友と顔をつき合わせて酒を飲むくだらない時間が、たまらなく愛しいと感じた。
2人ともちょうどよく酔ってきた頃合い、茜音が「それで?」と口を開いた。
「今日は何の話がしたくて私を呼び出したわけ?」
「何が?」
「とぼけんな。何かあるからわざわざ呼び出してきたんだろうが。」
「うーん、まぁあるっちゃあるけど。でもそんな大した話じゃないんだけど。」
「帰って良いか?」
「ダメ。」
話したいことはある。そしてそれは茜音でなくてはならないこと。きっと今の悠人の気持ちを理解して、肯定して、その上で否定してくれるのは、悠人の周囲では茜音しかいない。だから今日は、他の誰でもない茜音を呼んだのだ。
「あのさ、」
「おん。」
言葉を絞り出そうとする悠人の正面。茜音はただひたすらに黙って悠人の言葉を待っている。優しくも強い瞳が、生ビールの白い髭を携えて、悠人を待っている。自分の考えを絞り出すように、悠人の今の精一杯が伝わるように、選び抜いた言葉をこぼす。
「俺って、面白くないのかな?」
言い終えて、空のジョッキに口を付けた。
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「まぁお前のユーモアのセンスは一目置いてるよ、逆の意味で。」
うんうんと、自身の考えが間違っていないのだと確かめるように、茜音は頷いた。「いや、そうじゃなくて」と追撃しようとする悠人を、茜音は右手一本で制す。
「わかってる。わかった上で冗談言ってる。」
「あ、うん。じゃあ・・・」
「全部話せ。」
優しさの定義は難しい。単に甘い言葉を囁くだけで良いのなら、この世に優しい人間なんていくらでもいる。『優しい人が好き』という殺し文句に、惑わされ悩まされる人もいなくなる。しかし、実際に求められる優しさとは、口先だけの代物ではない。たとえ口調が悪くとも、扱いが雑であろうとも、目の前の彼女が発する言葉は、間違いなく優しさを包んでいる。あるいは優しさに包まれている。全て聞かずとも察してくれる、そんな彼女だからこそ今日ここに呼んだ。他の誰でもない茜音に聞いて欲しいと、悠人は思ったのだ。
「この前面接があったんだけどさ・・・」
面白くないと言われたこと、自分の本心がわからないこと、正解を求めてしまうこと、悠人が語る間、茜音はじっと動かず、耳を傾けていた。相づちを打つわけでもなく、何か言葉を発するでもなく、時々ビールを口に運んで、ひたすら話を聞いてくれた。悠人が話し終える頃には、茜音のジョッキも空になっていた。
「・・・という感じなんだけど。」
「うーん。」
茜音は腕を組み、考え込むポーズをする。ふと顔を上げて、視線を宙に走らせたので、悠人もそれをなぞってみる。きっとそれは会話の糸口を探す間合い作りのようなもので、茜音の中ではもう話すことは決まっているのだと思う。少なくとも悠人にはそう見えた。
「1つだけ、思い出したことがある。」
悠人に向き直った茜音が最初に発したのは、過去を掘り返す思い出話だった。それを口にする茜音は、どこか気まずそうな、ばつの悪そうな表情で、悠人は以前にもその表情を見たことがある気がした。
「1年の時さ、私あんたのこと嫌いだったんだよね。」
「うん、それはなんとなく・・・。気づいてた。」
「まぁあんたはそういうの敏感だからね。」
茜音の気まずそうな表情、それを見たのはまだ悠人と茜音が大学に入学したばかりの、初々しい頃だ。最近ではあまり見なくなったこの表情を、嬉しくも思うし寂しくも思う。まだお互いの距離感が掴めていなかったあの頃を、恥ずかしくも懐かしくも思う。
「よっ友なんてよく言ったもんだけどさ、あんたもその1人になるんだとばかり思ってた。」
「俺もこの時期までつるむとは思ってなかったよ。仲悪かったし。」
「あの時のあんたに私が抱いた感情は、件の面接官と一緒。すげえ頭使って、気ぃ遣って喋ってる。賢くて良い奴なんだろうと思ってたけど、友達にはなれないと思ってた。」
「ほう。じゃあなんで今こうなってんの。」
「違うってわかったから。時間を掛けて話していけばわかる。あんたが人に気遣うのも敬意や親愛の表れ。友人同士でも互いを尊重することを忘れず、相手が心地よいと感じる距離感を模索してくれる。そのせいで最初は他人行儀になるんだろうけどね。要するに、初対面が下手くそなのあんたは。あんたが相手との距離感を測っているとき、相手もあんたとの距離感を測ってんのよ。」
茜音とは普段、冗談ばかり言い合っている仲だが、こうして本音をぶつけた時にきちんと同じ熱量をぶつけ返してくれる。だからこそ、悠人も茜音との関係を大切にしたいと思っているし、同じ熱量をぶつけ続けて行きたいとも思っている。
「だからあんたの質問に答えるなら、あんたの面白さはずっと一緒に居なきゃ気づけない面白さだってことね。良いじゃん別に面接官なんて言わせておけば。たかだか面接であんたの面白さをわかった気になられても嫌でしょ。」
21年間生きてきて、忘れられないくらいありがたい言葉を、自分にはもったいないと思う言葉を、悠人はたくさんもらってきた。中学の先生、大好きだった彼女、仲の良い友人。数えだしたらキリがない『大切』に、今日の茜音も加わるだろう。頬を伝う水滴を汗だと言い張れるくらいには、今夜は暑くなるらしい。
「クソまじめ過ぎんのよあんたは。もっとテキトーに生きな。」
心から溢れ出したありがとうの言葉を、悠人は音の形にできなかった。これはきっと汗のせい。
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