『らしさ』を見つけるには現代は生きづらい

織園ケント

【1】正解

「以上の理由から、私は御社を志望いたしました。」

 徐々に鋭さを増す日差しが、リクルートスーツの中にポツポツと水たまりを発生させる6月の初め。外界の暑さとは対照的な冷たさを、真っ白な壁一面に張り詰めたとあるビルの会議室。その壁に、捲し立てるような音読が反響する。入り口近くの壁際に設置された椅子に腰掛ける悠人は、背中を伝う緊張の結晶に、どうか止まって落ち着いてくれと心の中だけで願う。

「ふーん、なるほどねぇ。」

 悠人の対面、窓際に座る白髪の老人は、ひたすらメモに走らせていた筆を止め、眼鏡をずりあげて悠人を見つめる。目線が合った瞬間に、更なる緊張が走るのを感じたのは、悠人だけだったかもしれない。年季を宿した黒瞳の奥に、どんな感情が渦巻いているのか。たかだか20を過ぎたばかりの悠人には計り知ることができない。

「はい、それでは宮木君。以上で面接は終了となります。本日はお疲れ様でした。」

「ありがとうございました!!」

 壁に反響する音が、少しだけ暖かさを取り戻した気がした。しかし、退出するまでは気を抜くまいと、もう一度姿勢を整え直す。そんな悠人を、面接官である老人の黒瞳は見つめ続けている。

「宮木君、少し良いかな。」

「はい!なんでしょう。」

 思わず声が裏返りそうになったが抑える。多分バレてない。再び聞く姿勢となった悠人に対して、老人は先程までの厳格な態度とは打って変わって、和やかな表情を向けてくる。歳のせいだろうが、ただでさえ多いしわが笑うと更に濃くなった。

「いや、もう面接は終わりな。これはそれとは関係のない個人的な意見なんだけどさ。」

「はい。」

 そう言った老人の次の言葉が予想できず、頭をフル回転させる。面接は終わりと言われても、人を見てこその面接である以上、まだ油断することはできない。どんなイレギュラーな話題が出てこようと、最適解を出さなければならない。

「面接自体の印象はすごく良かったよ。身振り手振りを使って話していたし、こちらの質問にも的確な答えを出していたしね。きっと頭の回転が早いんだろう。」

「ありがとうございます。」

 予想外のお褒めの言葉に、思わず口を突いて出たのは『ありがとう』だった。老人が笑顔なのもあって、悠人も頬が緩む。しかし、老人の言葉は「ただね」と続いた。

「そこら辺の面接官は喜ぶと思う。採用サイトの情報とか、先輩や先生の話とか聞いて、たくさん準備して今日に臨んだと思うんだ。それは立派なことだし、真似しようとしてもできない人はいる。君のその努力自体を否定するつもりは毛頭無いけれど・・・。」

 老人はそこまで言って、一度言葉を切ると、浮かべていた笑顔を引っ込めて、代わりに真剣な眼差しを悠人へと向けた。それは面接中に見た物でも、その後の談話の中で見た物でもない。そのいずれよりも、強く何かを、得体の知れない衝動のような物を訴えかけてくる瞳だった。そして告げる。

「僕に言わせれば、面白くないね。」

 白壁が音を吸収し、会議室は再び凍てついた世界へと変貌した。


**************************************


「次は~渋谷~渋谷~。お出口は右側です。」

 聞き慣れた車内アナウンスと、触れ慣れた地下鉄の揺れと、見慣れた都会の車内風景。忙しなく動く社会人や、遊びへと繰り出す若人や、塾へ向かう学生など、日常に追われる人々の姿に初めは慣れなかったが、3年も東京暮らしをしていれば、それもまた景色の1つへと成り代わる。面接会場からの帰り道、悠人の脳内を巡るのは、そんな変わり映えのしない景色などではなく、先程まで相対していた面接官たる老人との問答だった。

「面白くない、とは具体的にどういった事なのでしょうか。」

 未だかつてされたことのない指摘。悠人の脳内を巡るのは、意図が汲み取れない事への純粋な疑問だった。聞き返された老人は少しいたずらっぽい笑顔を浮かべ、ゆっくりと語り出す。

「なんて言うんだろう、頭で考えてるっていうのかな~。受け答えは的確だし何も間違っちゃいないよ。でも我々面接官が知りたいのは『正解』じゃなくて『宮木君』なわけ。」

 そう言うと老人は少し姿勢を崩して、机に肘を突き、悠人をのぞき込むような目線になる。一方の悠人は、まだ気をつけの姿勢を崩せない。

「きっと君は賢いからさ、こう言えば良いとかああ言えば良いとか考えてると思うんだ。でもそれは、宮木君の本心なのかい?君自身が本当に思っていることなのかい?」

「私の言葉は私自身の考えに基づいています。それを取り繕っていると考えたことは今までありませんでした。」

 しばしの沈黙。会議室は聞こえない音に満たされた。無音が生み出す時間の長さを、これ程までに感じたことはない。やがて老人はゆっくりと背もたれに寄りかかり、天井を見上げながら思案するような態勢になる。悠人は黙ってそんな老人を見つめる。

「想像してごらんよ。君が弊社に入社して一緒に働くときのことを。君が人事だったらどんな人と働きたい?『正解』を求めて自分を取り繕うような人と働きたいかい?何事にもマニュアル通りを求めていくような人と働きたいかい?」

 老人の瞳には『誰か』が映っている。それが誰なのか、悠人にはわからないけれど。

「僕はどちらかと言えば、多少不器用でも素直で謙虚な、人間味のある人と働きたいね。苦しんでも、辛くても、目の前の誰かにきちんと向き合える人と。取り繕ったところで、一緒に働いていけば、いずれそのメッキは剥がれていく物だからさ。」

「確かにそうですね・・・。」

「そうだろ?だから宮木君を見ていて思ったんだ。無意識のうちに『正解』を求めているんじゃないかい?ってね。」

「・・・。」

「自分の選んだ人間が、正解を求めて潰れていったら。君はどうする?」

 老人の瞳に映ったのが誰なのか、わかった気がした。数え切れないほどの面接をこなし、『人』を見てきた老人だからこそ言えること。返す言葉が見つからなかった。

「まぁそれが私の本心ですって言われちゃ、どうしようもないんだけどさ。」

 老人は最後に笑って、眼鏡をずりあげてそう言った。なんか最後の最後で選択を間違えた気がして後悔している。いや、そもそも間違いか間違いじゃないかなんて考えていること自体が間違いなのかもしれない。

 揺れる地下鉄の中、揺れ続ける思考はまとまらないまま、山手線のようにぐるぐる回り続ける。気づけばアパートのある最寄り駅へと到着してしまっていた。

 数日後、面接の合格メールが届いた。なんでや。

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