二
二
公園から歩いて約一〇分。
自宅からは徒歩で約一五分。
そんなところに僕の愛用する古本屋さんはある。かなり昔からある古本屋さんで、僕はここに通い続けて数年になる……と思う。正直正確には覚えてないのだけれど。
いつもお客さんは少ない方で、店主のお爺さんは基本受付の奥にいる。
「こんにちは〜」
僕はゆるく挨拶をしてお店へ踏み入った。
今日も客は少ない。
僕は何かに操られるかのように迷うことなく奥へと進み、棚の前で止まる。
目の前にずらりと並んだ本たちをみて、心が浮き立っているのが僕はわかった。
古き良き、本たち。
一体何人の人たちの手に渡ってここまで来たのか、僕には想定できないが、したところでどうにもならないのだが、不思議と僕はそういうことを考える。
本の匂いが鼻元をくすぐる。
僕は一通り本を見渡して、
「これにするか」
一冊の本を手に取った。
それは丁度頭の高さにある本で、触ると表紙が少しざらついた。紙がだいぶ日焼けしていて、おそらく緑色であったであろう表紙は色褪せて、くすんだ灰色になっていた。
オレンジの入った紙袋の上に本を置いて、僕は出口へと向かう。
今日の夕飯は何にしようかな〜なんて考えながら歩いていた。
あ、オレンジ買ったし、タルトでも焼こうかな。
「ちょっと」
「………?」
あと一歩で店の外へ出るという時、僕は一人の女の子に声をかけられてゆく手を塞がれた。
「私、みてたんだからね」
そう言う彼女はすごい様相で僕を睨む。
腰に手を当てて、僕の行く手を開けるつもりはないそうだ。
「こんな真っ昼間から堂々と万引きなんて、いい歳した大人がするんじゃないよ」
「………えーと」
「え?何?お兄ちゃんまさかお金持ってきてないの?しょうがないなー。今日は私が買ってあげよう。だから、そこで待ってなさいよ」
「ん、んん?」
話がよくわからないのだが。
「てな訳で、おじいちゃーん!この人万引きじゃないからね‼︎通報とかしないでね!」
女の子は元気よくそう言うと、お店の奥へ戻って行った。
僕は唖然とする。
一人残され、本はなぜかあの子に持ってかれ、どうにもすることができないので僕は大人しくお店の前で待つことにした。
壁に背を預け、目の元をひらつかせる太陽の光を鬱陶しく思った。
あの子は、何なんだろう?
僕を知っているのだろうか?それともただ単に人違い?
「はい、お兄さん」
あっという間に女の子は帰ってきて、僕の目の前にはくすんだ灰色の表紙をしている本が差し出された。
「これが欲しかったんでしょ?」
「う、うん……」
僕は本を片手で受け取りバランスを崩さないようオレンジの入った紙袋の上に乗っける。
「ありがとう……というか、君。僕のこと…――」
「知らないわよ」
僕が言葉を言い終わる前に女の子は言った。
「お兄さんのことなんて知らない。でも流石に万引きを見逃すことは出来なかった。だからと言ってお兄さんは、平凡な青年って感じがしたから警察に通報するのも気が引けたって訳。あ、助けてくれたお礼とか要らないからね。お金もいらない。ただの私のお節介だから」
女の子はそう言った。
よく動く口元と、涼しそうに風邪を切る彼女のポニーテールを見て僕はふと思い出した。
そうだ、この子が僕の事を見たことがないとしても、僕は見たことがある。
今朝、窓から見た楽しそうにスキップする女の子。多分、この子だ。
女の子は僕の目を見てしっかり話してくるので、僕は少し視線をずらした。
「あのぉさ。君って……――」
「君じゃない。上坂笑。上の坂に笑うって書いて、“こうさかえみ”」
出会って数秒の得体もしれない相手にそう易々と名前を教えてもいいものなのだろうか?と思いつつ僕は言った。
「上坂さん。ありがとう」
「だから、お礼とか入らないって言ったじゃん」
上坂笑は不快そうに片眉を上げて僕を見る。
「これは私のお節介だから気にしないで」
「そうじゃなくて」今度は僕が彼女の言葉を遮るように言った。
春の涼しい風が耳元を過ぎた。僕はオレンジの上に乗る、本を見た。
「この本さ、一言で言うと汚いじゃん?こんなくすんだ色の表紙と、カビだらけの紙の臭いは普通の人だったら嫌うでしょ?たとえ僕が盗んだとしても、誰も気に留めない。でも上坂さんは、そんなこと気にする様子も無く本の価値観を優先した。僕はそれが嬉しかったんだ。だからお礼を言った。ありがとう」
「何よ。そんなこと言ったら貴方も同じじゃない。その本を嫌う様子も無くストレートに触れたでしょ?」
「んー、まぁ。そんなんだけどさ」
僕は曖昧に言葉を濁し、ゆっくりと歩み進んだ。そんな僕のスピードに合わせて彼女も歩く。
上坂笑は僕よりも背の低い、凛とした背筋を持つ女の子だ。高くゆいあげたポニーテールは歩く度にぴょんぴょん跳ねている。そのお陰で歳が若くみえる。実年齢を知っているわけではないけれど、今朝の新しい制服からして高校一年生ぐらいだと思う。大人びた眼差しは持っているけれど、キュッと上がった口元が幼い子供のように見えた。
「ねぇ、お兄さん。お兄さんのことを見込んで聞くけどさ、なんでお金を払わないでお店を出たの?まさか本当に万引きするつもりだったの?」
不意に彼女はそう聞いてきた。
僕はどう答えようか悩んだ。
彼女が僕の正体を知らないのと同じように、僕も彼女のことを知らない。
事柄全てを、正直に話す気にはなれないのだ。言葉の選別に迷いつつ僕は静かに言った。
「上坂さんは、いくらで買える?」
「は?」
僕は彼女の目を見て聞いた。
「君の存在を、いくらなら買える?」
それを聞くと、上坂さんは心底嫌そうな目をした。
嫌そうな目をして、
「……なに。万引き犯じゃなくて、もしかして誘拐犯だった?」
一歩、僕から離れた。
柔らかな風が僕の髪の毛をたなびかせて舞う。さっきよりも陽が沈み始めた東を右にして僕は歩き続けた。
「ある意味、そうかもね」
僕はそう言った。
上坂さんは益々、顔色を変えて僕の言葉の意味を理解しようと頭を捻った。
言葉の本質とはわからないもの。
誰にも。
言った本人でさえ、全てを知ることは出来ないのだ…ーーーー。
飲んだのはアイスコーヒー(休載中…) @nokal
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