サルビア事件

湖城マコト

燃える思い

 とある八月の朝。

 夏休み中の七変化しちへんげ学園高校でその事件は発生した。


「大変です、石蕗つわぶき先生!」


 出勤してきた国語教師の石蕗が職員室に入ろうとすると、同僚の女性教師が血相を変えて駈けこんで来た。


「そんなに慌ててどうしたんですか、はぎ先生」

「大変なんです! 青井あおいくんが庭園で血を流して倒れてます」

「何ですって!」


 青井あおい誠二せいじは石蕗が顧問を務める園芸部の部長だ。園芸部は学園自慢の大きな庭園の一画を借りて花を育てており、夏休み期間中も朝から登校して花の管理を行っている。青井の負傷はその最中で起きた悲劇だった。


「救急には連絡しました。私は救急車の誘導に向かいますから、石蕗先生は庭園の方へ行ってあげてください。今は教頭先生が見てくれています」

「分かりました」


 生徒の負傷は一大事だ。石蕗は慌てて庭園へと向かった。


 ※※※


「直に救急も到着するので、邪魔にならないように部室で待機していてください」


 夏休みの朝早い時間帯のため、学園内の混乱は小規模にとどまっていた。それでも朝練などで早くから登校していた運動部の生徒らが騒ぎを聞きつけ、庭園の前で野次馬を形成していた。生徒たちに注意をしつつ、石蕗は青井が倒れているという、園芸部が利用している庭園の外れにある一画へと向かう。


「教頭先生、青井くんは!」


 現場に到着すると、七変化学園の教頭である満作まんさくと、園芸部の部員、秋海棠しゅうかいどうれん布袋ほていあおい緋衣ひごろも奏子そうこの三人が、青ざめた顔で立ち尽くしていた。奥には頭から出血した青井誠二が、花壇に仰向けに倒れている。


「おお、石蕗先生。青井くんは気を失っていますが、幸いにも息はあるようです。素人判断で下手に動かさない方が良いだろうと思い、今は救急の到着を待っているところですよ」


 石蕗が、倒れる青井に駆け寄る。満作教頭の言うように息はあるようで、胸が上下している。青井は後頭部から出血しており、花壇や土にも血が滲んでいた。何らかの理由で転倒し、花壇に後頭部を打ちつけてしまったのかもしれない。


「何か握っている。これはサルビアか?」


 青井の右手には青紫色をしたブルーサルビアの花が握られていた。一度出血を抑えたのか、右手は血塗れで、握られたブルーサルビアも血で赤く染まっている。青井が倒れている花壇には今が花期であるブルーサルビアが植えられており、そこから掴み取ったようだ。


「何があったんですか?」

「秋海棠くんたち三人が花の手入れのために庭園にやってきたら、この場所で倒れている青井くんを発見したそうです。一人で作業をしている時にバランスを崩して、運悪く頭を打ってしまったのかもしれませんな」

「……運悪くですか」


 満作教頭はあくまでも青井の単独事故と考えているようだが、石蕗にはそれは疑問だった。地面に両足をついた状態でそうそうバランスを崩すとは思えないし、花壇に向かって作業をしていたなら、正面から倒れ込むはずで、後頭部を打ちつけるとは考えにくい。もしかしたらこれは事故ではなく、何者かが青井を突き飛ばしたことで起きた事件なのではないか?


 極めつけは、右手に握られたブルーサルビアの花だ。血塗れの手で握られているということは、一度自身の出血を確認した後で握られたということだ。青井がその場から動いた形跡がないことを見るに、すでに意識が朦朧としていたのだろう。その状況下で、青井はあえてブルーサルビアの花を握ることを選んだ。これは青井からのメッセージなのかもしれない。


――血塗れの手でブルーサルビアを。もしかして青井くんが伝えたいのは……。


 一つ、嫌な想像が浮かんだ。園芸部ではこの時期はまだ、サルビアの花はブルーサルビアしか扱っていない。


「青井くんは私が見ていますので、石蕗先生は三人を休ませてあげてください。かなり動揺していますから、顧問の石蕗先生と一緒の方が、少しは安心出来るでしょう」

「分かりました。みんな大変だったね。しばらくは部室で待機していよう」


 石蕗は青井を発見した園芸部の生徒三人を連れて、園芸部の部室へと向かった。


 ※※※


 先程到着した救急車が、再びサイレンを鳴らして遠ざかっていく音が聞こえる。青井が病院へと搬送されたようだ。


「いつもは皆で作業を開始するのに、青井はどうして一人で作業を。近くに誰かいれば、あんな怪我しなくて済んだかもしれないのに」


 三年生で副部長の男子生徒、秋海棠恋が腑に落ちない様子で腕を組む。出欠や作業の確認もあるので、普段は一度部室に全員が集まってから作業を開始するのだが、どういうわけか今日に限って青井は一人で作業を開始し、結果的に周りに誰もいない状況で負傷してしまった。偶然だとすればあまりにも運が悪すぎる。


「そもそも部長はどうして転んでしまったのでしょうか。熱中症とか?」


 一年生の女子生徒、布袋葵は青井が転倒して頭を打った理由が気になっていた。朝とはいえ、高温な八月という季節の出来事だ。真っ先に頭をよぎったのは熱中症の可能性だった。


「青井は普段から熱中症には気をつけていたから、ちょっと考えにくいな。中学の頃に熱中症にかかって以来、もうあんな思いは御免だって、水分や塩分の補給、こまめな休憩なんかも徹底してたし」


 青井と付き合いの長い秋海棠が補足する。もちろん、どんなに気を付けていても熱中症のリスクはゼロではないが、意識的に対策していた人間が、よりにもよって周りに誰もいない状況で体調を崩してしまったというのは、やはり考えにくい。


「緋衣さん。大丈夫ですか?」


 ショックが大きいようで、二年生の女子生徒、緋衣奏子は俯いたまま、石蕗の問い掛けにも答えない。頭から血を流して倒れていた部の仲間を見たら、こうなってしまうのも無理はないが。


「秋海棠くん。布袋さん。私は緋衣さんを保健室へ送ってくるので、部室で待機していてください」

「分かりました。緋衣、気をしっかりな」

「青井部長もきっと大丈夫ですから」


 二人の励ましに、緋衣奏子はぎこちなく笑った。


 ※※※


「……石蕗先生、もう気づいてるんですよね」


 部室を出て廊下を歩いていると、後ろを歩く奏子が不意に足を止める。石蕗が二人の前から自分を連れ出した時点で、奏子はもう悟っていた。


「出来れば、この予想は外れていて欲しかったですが」


 石蕗が踵を返し、不安気な奏子の瞳を真っ直ぐと見据える。


「青井くんを負傷させたのは、緋衣さんですね」


 教え子を疑いたくなどなかったが、気づいてしまった以上、知らない振りなど出来ない。保健室を口実に部室を出て来たのは、奏子に配慮し、二人だけで話しをするためだ。


「……あんなことするつもりはなかったんです。花壇の前に呼び出されて、別れ話を切り出されて……混乱して青井先輩を突き飛ばしてしまった……そしたら、青井先輩が花壇に頭を……怖くなって、その場から逃げ出しました……本当にごめんなさい」

「よく、話してくれましたね」


 気が動転していたとはいえ、相手を怪我させてその場から逃げた奏子の行為は許されるものではない。それでも、彼女はこうして自分の犯した罪を認める勇気を持った。単に非難するのではなく、今は教師としてその思いと向き合うべきだ。


「……先生が私が犯人だって気付いたのは、青井先輩が握っていたブルーサルビアを見たからですよね」


「気を失う直前に、彼はあえてサルビアの花を手に取った。そこには何かメッセージがあるような気がしました。ブルーサルビア単体では、事件と繋がるメッセージは読み取れませんが、彼は傷口に触れた血塗れの手でサルビアの花を掴んでいました。それによって、青紫色のブルーサルビアも血で赤く染まっていた。彼のメッセージはブルーサルビアではなく、赤いサルビアだったのではと想像しました。赤いサルビアの別名は『緋衣草ひごろもそう』。緋衣奏子さんの名前を連想せずにはいられませんでした」


 園芸部では今の時期は赤いサルビアは扱っていない。だから青井は、目の前の花壇に咲いているブルーサルビアに血を纏わせることによって、赤いサルビアの代替としたのだ。その別名はそのまま、自身を突き飛ばした犯人の名前を指し示した。


「……赤いサルビアの別名が緋衣草だって教えてくれたの、青井先輩だったんです。君は緋衣奏子で赤いサルビア。僕は青井誠二だからブルーサルビアだって。これって運命だよねって。ずっと尊敬してた青井先輩からそう言った貰えたことが嬉しくて、そこからお付き合いが始まって」


 ブルーサルビアは英名をブルーセージという。青いセージ=青井誠二と言い換えることが出来る。石蕗も今までは気づいていなかったが、確かに青井誠二の名前はブルーサルビアと近しいものがある。


「……それなのに先輩、裏では何人もの女の子と交際していたんです。その上、本命が出来たから別れてほしいなんて言われて……頭が真っ白になって、気づいたら先輩を突き飛ばしてました……」

「緋衣さん……」


 石蕗はかける言葉が見つからなかった。青井誠二は成績優秀かつ素行も良い優等生で、部長としても部員たちを引っ張りよくやってくれていた。そんな青井の裏の顔に、石蕗はまるで気づいていなかった。衝動的とはいえ、青井を突き飛ばすまでに追い詰められていた奏子の心情についても、気づいてあげられなかった。


 教師として生徒たちの交友関係、ましてや恋愛事情についてどこまで踏み込むべきなのか、難しいところではあるが、身近な大人の一人として、もっと彼らに何かしてあげられることはなかったのかと、自責の念を感じずにはいられなかった。そうすれば、このような悲劇が起こるのを防げたかもしれない。


「警察に全て正直に話せますね? 私も付き添いますから」

「……はい。罪は償います」


 罪を犯してしまった奏子に対して、石蕗は教師として最後まで寄り添おうと強く誓った。


「石蕗です」


 石蕗のスマホに着信が入った。救急車で青井と一緒に病院へ向かった満作教頭からだった。


『石蕗先生。青井くんの意識が戻りましたよ。幸いにも命に別状はないとのことです。いやー、不幸中の幸いでしたな』


 満作教頭からの報告に、石蕗はほっと息を撫でおろした。


「緋衣さん。青井くんの意識が戻ったそうです。幸いに命に別状はなさそうです」

「先輩が無事で本当に良かった……」


 嗚咽を漏らす奏子の肩を石蕗が優しく支えた。

 青井を思う奏子の言葉はきっと本心だ。傷つけるつもりなんてなかった。彼を愛していたからこそ、瞬間的に感情が爆発してしまった。悲劇は起きてしまったが、より大きな悲劇とならなかったことがせめてもの救いだ。


 ブルーサルビアの花言葉は「尊敬」。

 赤いサルビアの花言葉は「燃える思い」。

 

 尊敬する気持ちを踏みにじられた少女の燃える思いが起こした今回の出来事は、サルビアの花言葉によく似ていた。


 


 了

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